切り札
しかしまぁ、とため息交じりに口火を切ったのは、ベグノス辺境伯だった。
「事情はお察ししますが、それが理由で起こした騒ぎとしては、あまりにも大きすぎる。他国へ我が国の魔法が漏れたわけでは無いにしても、これはどう処するのが適切なのでしょうね」
セシルの顔が強張る。予想の範疇の言葉だったが、どうにもこの辺境伯は穏やかな顔をしながら、しつこく食い下がる性質のように思えてならなかった。
「公爵夫人には、未遂に終わったとはいえ王妃への危害の意志があったということですし……完全に不問とは、言えませんな」
そう言ってアルター子爵は悩ましそうに眉を寄せた。
王妃が口を開きかけたが、結局なにも発しないまま、諦めたように青白い顔を俯かせる。
ぽつりと言葉を零したのは、右手の閉じた扇で左手の平を軽く叩く仕草を繰り返す、フレンディア伯爵であった。
「王国法とは別に、基本的に我々魔法使いは、犯した罪は同等となるだけの対価を支払って償うべき、としてきましたわね。命には命を、と。……まぁ、戦時の獣的な考えと言えなくもありませんけれど」
後半の言葉は、固められたように表情を変えない国王夫妻と王太子をちらりと伺ってから付け足された。
「殺意の有無はどうなりましょう。失血に対する処置がされていたことは」
セシルの父、オリエット伯爵の言葉が続く。
「直近の似た事例をさらうなら、百五十年前のキークロック家ご令嬢によるノートンご令嬢生き埋め未遂事件が近しいのでは。記録に寄れば、あれも明確な殺意はなく、かといって私欲の害意が無かったとも言えなかったはず」
淡々と持ち出された先祖の醜聞に、辺境伯が初めて眉間に不快気な皺をつくった。
同時にセシルの胸にも苦いものが広がった。書庫で夜遅くまで漁ったのは、過去の十月裁判の記録であり、その事件は比較的時代が近く、今回のローズの一件の参考にされそうな事件として、セシルも記憶にとどめていたのだ。
「あの判決は確か、残りの生涯、塔一室への幽閉だったか」
レナードが手元の紙束をめくりながら呟いた言葉に、意見を重ねる声は貴族たちから上がらない。
国王は固い面持ちのまま、王妃も目を伏せ、口元を引き結んで黙っている。
いまだ証言台から退かないままのセシルが首を巡らせれば、ローズもまた静かに沙汰を待っていた。ただ、国王夫妻とは裏腹に、その顔は至極穏やかで、セシルの視線に気が付くと一瞬だけ困ったような笑みを向けた。
その双眸は長い睫毛の下にすぐに伏せられたが、喉から発された声しか聞こえない筈のセシルにも、その表情の意味するところはありありと伝わってきた。
『ありがとう、ここまでで充分だ』と。
ローズはいいのだ。自分が一生、狭い一室から出られなくても。
それは最悪な事態ではないからと。死罪すら危ぶまれたことを鑑みれば、幸運なくらいだと。
「……ほ、本当に、それは妥当な判決でしょうか」
証言台からの声に、判事席の面々が視線を向ける。合わせてローズの頭もぴくりと揺れる。
「ユニコーンが宮殿の中に入り込んだのは我が家の落ち度ですが、人の出入りが多い大広間には精霊による加護もかけられていたのに、古い西の塔の出入り口には各精霊による侵入者避けの加護がありませんよね?」
「……何が言いたい」
レナードの言葉に、セシルはひとつ、つばを飲み込んだ。視界の端でローズが再び落ち着かなさげに身じろぎしたのも無視して、一句一句ゆっくり、はっきりと言葉を並べはじめた。
「六貴族のうち五家が見落としていた守護の穴によって侯爵がお怪我を負った。その責任を、魔法使いの子孫ではない……というか、元王女とはいえ、妖精との取引も精霊の使役もできない公爵夫人だけに負わせるのは、百五十年前に精霊を意図的に駆使した件と同列に扱うべきなのでしょうか。それこそ、妖精の知識に疎い方に、宮殿内部まで付いてきた馬に似た妖精、それも貴族の紋章にも使われる生き物が、自分以外の人間を襲う危険性を、どこまで予測できたでしょうか」
「……では、貴殿は五当主が被告人同様に罰を受けるべきと考えているのか。そういえば、先代オリエット伯爵が王家への失態を軟禁状態の隠居で償ってからほんの二十年かそこらか」
聞き返したレナードの言葉に、血相を変えたのは四精霊使役の魔法使いの末裔たちである。当事者意識がある分、妖精伯爵だけは渋い顔で視線を下げるにとどまった。
「僕……私は、この件は前例とは切り離して考えるべき事柄かと」
話にならない、とレナードが嘆息したときだった。
「セシル殿」
それまで一言も発さずに周囲に耳を傾けていた王太子妃の涼やかな声が場に響いた。
「あなたは事実の証言者として出廷を命じられたのであり、審理に参加する権利も義務もありません。許可されていない発言は慎みなさい」
切り口としては一考の価値はありましょうが、という付け足しに、火精霊使役のフィックマロー子爵が苦々し気に口をゆがめる。妖精避けに最も簡単で有効な精霊魔法は火の魔法だからだ。
「アラン・バーティミオンが不在で、公爵夫人ご自身は一部証言に同意した以外はすべて黙秘と、現状で出せる情報は既に揃った模様。被告人ローズ・エスカティード様に関する審理は、その非協力的な態度も含めて今の状況から我々が決し、余程のことがない限りそれは覆ることはありません」
開いたままの扇で口元を隠したまま、クリステの怜悧な視線がセシルに向かった。
「セシル・ロッドフォード殿。今一度、わたくしが発言を許可します。――何か、ほかに、言いたいことはおあり?」
居心地が悪くなり始めた貴族たちの中にあって、妃の言葉に怪訝そうな顔をしたのは王太子だった。
「クリステ?」
妻の問いかけ様が、証言の出し惜しみの確認とするにはどこか不自然だと、そう言いたげであった。
そんな夫の戸惑いに構うことなく、王太子妃の視線はまっすぐセシルへと向いていた。
見返すセシルも、それをしっかり受け止めた。
問いかけの意味するところも、読み誤ることなく。
「……畏れながら、殿下」
王太子の咎めるような視線が妻からセシルへ移される。開いた口が、勝手な発言を制止しようとしていた。
が。
「あの夜のお約束、……妖精の立ち会いのもとご署名頂いた、あの誓約に基づいてお願い申し上げます」
セシルが素早く続けた言葉に、レナードは目を見開いた。
「誓約?」
「妖精の羊皮紙はまだあったのか?」
諸侯の声には思いもかけない発言を繰り返す証人への苛立ちと、新たな予想外の言葉への戸惑いが表れていた。
話が見えなくなったのはセシルの父、アルバートもまた例外ではなかった。固い声が法廷の進行役へとかけられる。
「……レナード殿下、倅と、なにを」
「……さて、なんのことか」
少しの間のあとに返したレナードの顔からは動揺は消え失せ、代わって相手への苦笑が浮かんでいた。
「確かに、……私の旧い友人の件で彼の、セシル殿の協力を仰いだことがあった。ただ、それについてはもう話が済んでいるし」
それに、と続く言葉のほかに送られた青い瞳には“余計なことを言うな”と――王太子妃のしでかした“事の発端”でゆさぶりをかけることなど断じて許さないという、確かな鋭さが込められていた。
「わたしは、何にも署名していないし、誓約などしていないはずだったが?」
セシルも負けじと緑の目に力を込めて、固い表情で頷く。
まさか、忘れたわけでも、勘違いしたわけでもなかった。
『……悪いが、私の立場でそういう誓約に署名はできない。恩は必ず返すが――』
それはまだ、バラの花が咲いていた夜のこと。
ローズに叩かれた頬をおさえて王宮の庭園迷路を出たセシルは、もう一度レナードと東屋で落ち合うことに成功していた。その膝に、猫の姿をした妖精ケット・シーを乗せて。
だが、そのときのセシルの要望は、髪と同じ色の眉を寄せて困り顔になったレナードにあっさり断られたのだ。
『ほかの貴族の立場もある手前、無条件で魔法の効力のある“妖精の誓約書”に、署名はできないよ』
『そ、そんな!』
セシルは、その夜の王太子への恩を“決しておろそかにできない貸し”として残したかった。当時のセシルには、切り裂かれたローズへの恋心と煮えたぎるアレックスへの嫉妬心で、自分のしていることの畏れ多さにも無頓着だった。
『考えてもみてくれ。このさき、君が大きな犯罪、それこそ、王家や王国そのものを脅かすようなことに加担しない保障がどこにある? 少なくとも、今の私から見て、だ』
ため息混じりに諭されれば、セシルの肩も下がっていくしかなかった。
『……何が起きるかわからないなかで、“絶対にセシル・ロッドフォードの味方をする”という誓約を、王太子が、もしかしたら王になっているかもしれないわたしが誓うわけにはいかないのだよ。ただ、信じて欲しい。クリステを助けてくれた恩は、決して踏みにじらないと』
東屋には、セシルと、妖精のしたためた誓約の羊皮紙、そしてその羊皮紙をセシルの求めに応じてのろのろ吐き出し――誓約書は羊の皮のように見えるのだが、妖精たちはこれをいつも思いもかけない所に収納している――、今は人間のように口をおさえて欠伸をするケット・シーだけが残された。
この出来事の後、舞踏会翌日に伯爵家を訪問した際にも、そしてダンリールから帰還したセシルが謁見した際にも、王太子はそのことを詫びた。妃の命の恩人への誠意を示すかのように。
『もちろん、これくらいで昨夜の依頼の代わりになるとは思っていないから、あらためて礼をさせてもらうけれど』
――誓約書に署名はできなくとも、セシルが王太子を頼ることができるように。
『あのとき、君の要求に答えられなかったのは、すまないと思っているけれどね』
――かつての署名と、此度のアレックスの醜聞による失脚。図らずも二度、セシルの頼みをはねつけてしまってもなお、恩を返す気持ちはあると。
そうして念を押していた通り、レナードはセシルの着せた恩を清算した。王宮に銃を持ち込んだアレックスの罪を不問にする、という、セシルにとって重要な形で。
「もちろん存じております、レナード殿下。それは既に終わった話だと」
だから、とセシルの視線は一層きらめく。
「……僕は今、クリステ王太子妃殿下にお頼み申し上げているのです」
呆然としたレナードの青い目に晒されても、クリステは表情を変えずにセシルを見つめていた。
動きを止めた扇の奥で、女は静かに笑っていた。
***
『なぜこんなところにあなたが? わたくしに何か用でも?』
『……セシル殿。なにか、ほかに、わたくしに言いたいことでもおあり?』
王太子妃クリステは、あの夜以来幾度となくセシルに問いかけていた。
遡れば舞踏会の夜のこと、東屋で呆然とするセシルの前に、王太子妃付きの侍女が声をかけてきた。
『王太子妃殿下があらためてお礼をなさいます。ついてきてください』と。
セシルはその夜、王太子とその妃、王家に大きな貸しを作った。




