嘘偽りなき真実
「……しかし、では魔法酒はどこにいったというのだ?」
セシルが体勢をもち直して証言台に向かうのと同時に投げかけたのは、フィックマロー子爵であった。
気まずげに目を逸らすセシルをよそに、言葉は証言台の人間にではなく周囲の貴族たちの意見を求めてのものであった。もはやセシルの言うことには興味がないといったところである。
自然、一同の視線は被告人席のローズへと向く。息を整えたローズは、また床だけを見つめる姿勢に戻っていた。固く握られた拳が、女の口の堅さを物語るかのようであった。
「ライオネル王子が言うには、捕らえたとき、いくばくかの金以外にはとくに持っている物も無かったということでしたね」
フィックマロー子爵がそのまま、言葉を続けた。
「では、道すがら使ったということかしら?」
フレンディア伯爵が閉じた扇を顎にあてながらつぶやく。
「……そもそも、何のために酒を奪ったというのか」
低い呟きは、よりにもよってセシルの父オリエット伯爵からだった。
セシルは自分の皮膚の下を這いまわる緊張感が表情に出ないよう、必死にとぼけた顔をした。
「……貴殿の弟君に使う為ではないのかね」
その言葉に、法廷の視線はヴィレイ侯爵のもとへと集まった。しゃがれた声が白い口髭の奥から紡がれる。
「夫人はバーティミオンに秘密を握られ、脅されていたのだろう。であれば、握られた秘密を忘れさせようとしたというのが一番自然なのではないかね」
言葉尻は、相変わらず顔を上げない公爵夫人に向けられていた。肯定も否定も、できるわけがないと知りつつ、セシルは肩の力を抜いた。ぜひその方向で話を進めてくれればと思った。
しかし、やはりそうも上手くは進まなかった。
「酒を奪った理由としては、それが自然と言えば自然ではあるが、在り処がわからないのは解せないままですな。何せ、夫人は王宮を出てから一度もバーティミオンの屋敷に赴いた形跡がない。セシル殿、ダンリールにはバーティミオンもいたかね」
アルター子爵に訊ねられ、セシルは冷たい焦燥を抱えたまま「……いいえ」と答えるしかなかった。
では一体どこに? と法廷がざわめきだす。
尋常でない拍動と冷や汗を感じながら、セシルは立ち尽くしていた。もはや横のローズを伺う余裕もなかった。
ただ、セシルの緊張は真実が明るみになる恐れに対するものではなかった。
セシルは時期を計りかねていた。自分が“あのこと”を持ち出す時期を。
「……ここは、ヴィレイ卿に自白剤をお願いするしかない気もいたしますな。ここまで真実が見えないのでは、埒が明かないでしょう。どちらにしろ、夫人の握られた秘密も、この調子ではご本人からも脅迫主からも聞き出せません」
どく、とセシルの心臓をひときわ大きく波立たせたのはゆるりと声を発したベグノス辺境伯であった。
ヴィレイ侯爵は何も言わない。
王族相手ということもあってか、かつて捕虜に使用していた劇薬を使うことには、口々に意見を出していた諸侯もぴたりと押し黙った。
ただ、誰も反対もしなかった。
「……」
「……それは」
黙ったままの国王の横で、はじめて王太子の瞳に動揺が浮かんだ。
「だれが魔法使いなのかを知りえる立場で、それを狙うというのが国にとってどれほどの脅威とお思いです。奪った酒は、近隣国の間諜に渡った可能性も捨てきれない以上、見逃すわけには――」
がた、と大きな音が経つと同時に、辺境伯の言葉が途切れる。
それは人が椅子を押して立ち上がった音だったが、音の出所はセシルが思いもかけなかった、そしてローズが最も望まなかった人物であった。
「……い、いかがされました、王妃陛下」
国王も、余裕の態度でいた辺境伯も含めた全員の目が驚きに見開かれ、青い顔の王妃へと視線が注がれる。
「……わ」
常になく声は震え、息をするのも苦しいかと慮るような憔悴が見て取れた。
しかし、視線だけはまっすぐ前を向き、絵画の向こうを捕らえていた。
母親の悲壮な決意に気が付いたローズの肩が、再び衛兵によって押さえ込まれる。
「わたくし、が、」
被告人ローズが、それを遮ることはできない。
だが、証人の口を押さえ込むものはいなかった。
「魔法酒を奪ったのは、お、おそらくローズ様のご結婚の真実を隠すためだと思いますっ!!」
王妃の震える声をなぎ払ったのは、セシルの盛大な早口だった。
「……なに?」
王妃とローズの呆然とした視線とともに、一同の目はまたしても証言台へと向けられた。
「さっきから何を言っているのだ、セシル殿は」
「口を慎みたまえ、今王妃陛下のお言葉が途中……」
呆れたようなアルター子爵とフィックマロー子爵に睨まれても、セシルは黙らなかった。
必死だった。
「僕は叔父の家に行く前に、フレイン公爵にお会いし、そして夫人との結婚の真実についてお聞きしました!」
言葉を遮られたフィックマロー子爵は鼻にしわを寄せていたが、セシルの勢いと発言内容に、判事席の面々は顔を見合わせた。
青を超して真っ白になった王妃は、佇むだけの人形のように、ただただ目を見開いてセシルを見つめていた。
セシル殿、と小さく口が動いたように見えたのを、セシルは無視した。
「……セシル、あなた」
知ってたの、とローズがこぼしたのも、今は気が付かないふりをした。
俯いていた顔を上げているのなら、きっと彼女は悲嘆にくれた顔をしているに違いなかった。
それを見て、いかにも自分は味方だと、大丈夫だからといった態度を示してはいけないのだと思っていた。
「それは、どういうことかね」
国王直々の問いかけに、セシルは二度瞬きをする。
この場において話すことに、一切の嘘偽りのないことを、ここに宣誓いたします。
この言葉は自分と国王に誓った言葉。
破ることは、許されない。
「公爵閣下はお認めになりました」
「やめてっ!!」
叫んだ女の声が、セシルの口を止めることはない。
「……“ローズは、妻ではない”と」
しんと、何度目かの沈黙が法廷を覆った。
「それは、つまり?」
促したのは、呆然としたレナードだった。
「……ぼ、わたしはそもそも、おかしいと思ったんです。ローズ様が、公爵夫人が、ユニコーンを侯爵にけしかけた、というのは。……ユニコーンは、男性と、既婚の女性を襲う妖精なのに、ローズ様は無傷でいらっしゃったから」
その言葉に、幾対かの視線が当代オリエット伯爵へと向く。
険しい顔のまま、伯爵は息子の言うことを否定しなかった。
「生活に密着したピクシーならいざ知らず、ふるい妖精の習性は、人間の儀式事とは無関係です。だから、もしかしてと思ったんです。ローズ様は、ユニコーンから見れば、人の妻ではないのかも、と」
これは嘘ではない。
「お二方に夫婦としての実態は無かった。……一年前から、ずっと“白い結婚”だったのか、と」
白い結婚。
肉体的な夫婦の営みがなく、儀式だけを踏まえた虚無の結婚生活。
古くからあり、数少ない“婚姻の不成立”をなしえるスキャンダルである。
セシルは本当にローズが清い身のままであることをその時に確信したし、結婚の実態については公爵本人から聞いたのだから、これは決して嘘ではない。
導かれた真実の目玉が、少しずれているだけで。
「王妃様は、おそらくご夫婦の実態を知っておられた」
この言い方は、“公爵夫妻”を無傷で守れる逃げ道ではない。セシルは、自分がもっと用意周到に準備できたら、咄嗟の機転で動けたら、もっと上手なやり方もあるかもと、一晩中ずっと書庫で思い悩んでいた。
だが、何も思いつかなかった。
そもそも無理なのだ。王妃も、公爵も、そしてローズ自身も罪を犯している。
全くの恥も傷も負わずにいられるわけがないのだ。
だけどせめて、とセシルは思う。
「ローズ様は、ご自身に関する記憶を王妃様から忘れさせようとした、それで記憶操作の魔法酒を奪う強硬手段に出たのです。……忘れてしまえば、思い悩まないだろうからと。でも、それは結局使えなかった。ローズ様は結局、ヴィレイ卿への足止めにしか、それを使えなかったんです。皆さま、ご存じのとおり」
だから、とセシルは言い募る。
「叔父のアランにも、魔法酒は使われていないと断言できます。確かに叔父も結婚準備に携わる中で、結婚の無効という醜聞を知り、それをローズ様への脅迫に使いました。でも、誓約によってその口は堅く塞がれますから、ローズ様が叔父に対して使う必要はありませんでした。叔父は誓約の破棄が身の破滅につながることを知っている人間ですから。ローズ様はただ、結婚を推進した王妃陛下の罪悪感を軽減したいと、それだけだったんです。……奪った後の酒は、私は、ローズ様がご自身の意志でダンリールで手放されたのだと思います。もうそれは、行使する意志の及ばないところにあるのだと、思います」
セシルはその酒を使う意志がない。使うことを頼まれたアレックスはその酒を持っていない。
セシルの決意が固い限り、これは決して嘘にならない。
――ただ、セシルは認めざるを得なかった。ローズのこの勝手な行動はどう言いくるめることもできない。
これは本当に誰の指示でもなく、ローズ自身の下した決断だったのだから。
(だけどせめて、その背後にある真実は、だれも幸せにしないものなら)
「……被告人、今一度問う。この話に、異存はあるか」
王太子の言葉で、貴族たちの目は証言台の横へと移る。
セシルも、ついつられて横に顔を向けてしまった。
「……」
目を見開いたまま、両肩を抑えられたまま、椅子に座ったままのローズは何も言わない。
(それなら、国も国王も、知らないまんまでいい)
――それはあなたの守りたかったこと。
それを踏まえても、女が少しでも楽になれる方法があるなら、セシルはその道を選びたい。
それは誰に頼まれたわけでもない、セシル自身のために。
(知っているのは、あなたを傷つける必要のない人間だけでいい)
「……そうでしょ」
同意を求めた言葉は小さすぎたのか、誰も咎めることはなかった。
「……」
女の喉をふさいでいたのが、卑怯な物言いで騙し続ける王への罪悪感なのか、虚偽にも似た言い訳を見破られることへの恐怖なのかはわからない。
「……そうです」
言葉を押し出したのが、苦しむ母親への思いだったのか、何も知らない兄弟への思いだったのか。
それとも別の感情だったのか、やはりセシルは心を読めないからわからない。
「彼の言うことに、何も、……異存はありません」
前方で、王妃は糸が切れた人形の如く椅子に腰を落とした。
妖精の剣は、いまだ誰をも貫かないままである。




