喜ばしくも望まなかった再会
「待たせてしまってすまない。いや、少し考えごとをしていてね」
ぶすくれた顔の竜を伴って、叔父は困ったようにそう言った。
「どう殺せば、私のことがアルバートにばれないかと」
そんな言葉をいつもの調子で投げ掛けられる。セシルは竜から目をそらし、叔父を睨み付けた。
「叔父さん、本当にあなただったんだね。エリックとローズ様を脅して、僕らを殺そうとしたのは」
「お、ご名答。兄弟二人で知恵を出しあったのかな」
悪びれる様子の一切ない、決定的な発言だった。セシルの中にわずか残っていた叔父への情は見事に叩き折られたのだ。
目の前の裏切りに、自分がショックを受けていることは微塵も悟られたくなかった。
「おやおや、怖い顔だ」と、アランは肩をすくめてセシルの牢に近寄ってきた。傍らには竜が連れ添い、その背後には、竜から一定の距離をとるようにクー・シーがうろついている。黒い尻尾が影のように地面近くで揺れた。
「叔父さん、王家まで巻き込んでこんなことして、まさかただですむと思ってないだろうね」
セシルの険しい声音に対し、アランは笑みを深めた。
「ばれたら、大変だね」
ばれないわけがないだろうと言いかけて、やめた。相手は今、自分を殺そうとしている。相手の行動を急かす言葉でなく、思い止まらせる言葉を選んだ。
「……ぼ、僕らが死んだら、エリックが裁判で全部喋るかもしれないぞ」
「おお、それはとても悲しいことだ。きみの忠実な僕は、主人と父親をいっぺんに失うことになる」
そのわざとらしい言い方に、セシルは悔しさで顔が熱くなってきたのを感じた。
(こんな外道を、今まで身内だと思って慕ってたなんて……)
「あんたの手によってセシルが消えたら、スカーレットが悲しむな」
奥歯を噛み締めるセシルの横、壁の向こうから、アレックスがぽつんと呟いた。セシルの脳裏に従妹の顔がよみがえる。最後にあったのはマグノリアの舞踏会の夜だ。
(……そういえば、あのとき)
アレックスの投げた小石は波紋を広げた。不気味なほどに穏やかな顔だった叔父は目を瞬き、次には目に見えて冷たく変わった。
「確かに。でも安心してくれ、あの子はすぐに大忙しになって、君たちのことを忘れる。爵位を継ぐ準備で」
「爵位を?」
「当然だろう。傍系の血筋でも爵位は継げるのだから」
アランは竜の背中を押した。セシルと小麦色の髪の少年が、鉄格子越しに向かい合う。
「おしゃべりはおしまいにしよう。そろそろスカーレットも起きてしまうし」
アランは竜の背を押し、そして視線はセシルから逸らした。
アレックスの声がする方に。
「さてアレックス、わかるだろう? この魔物に、何をさせるべきか」
突然アレックスの行動を促すアランに、セシルは「え?」と小さく声を漏らして眉を寄せた。
「……なるほど、ローズとエリックを使ったように、あくまで自分でとどめはささないってわけ」
当惑するセシルは置いていかれた。アレックスの低く唸るような声が横から絞り出される。
叔父の丸い顔がまた、いつもの満面の笑みに戻る。
「どっちにしろ、私にセシルを殺されたら困るだろう? ……安心したまえ、私は君を殺さない」
「そのかわり、王家が俺を罰してくれるもんな。伯爵長男殺しの実行犯として」
セシルは後ろ手にガラスを動かしながら、自分を殺す凶器として連れてこられた竜の方に目を遣った。金色の目は憎々しげに歪められ、口の端は下を向いている。
ただ、その不機嫌な視線はセシルの方ではなく、横目で別の人間に向けられていた。
「……おにいさん。こんな形でおにいさんを殺すのは、俺の方でも不本意だよ」
ぼそり、と竜が呟いた。
妖精はプライドが高い。銀の鋲で捕らえられた彼が大人しくアランに従っているのは、それが解放の条件だったからだろうと推察できる。
そこに屈辱を感じていないとは思えなかった。竜は今、隙あらば背後の男に一泡ふかせたくて仕方ないのだ。
「おや、でも竜の坊や、君だってアレックスと取引したのだからどちらにしろ――」
「セシルおにいさん、ここから出たいよね」
アランの目が見開かれる。妖精の憮然とした声に、セシルは相手が何を言おうとしているか、このときばかりは素早く察することができた。
「望みは何?」
狼狽したアランが竜の後頭部に突きつけたのは、銀の銃だった。
「ロッドフォードも、エスカティードも、あのタペストリーを使って俺を封印しないということ。この先、決して」
金色の目がぎらぎらとセシルを見据えてくる。
銀弾の銃口を背後に感じても恐れない妖精に、アランの顔が固まる。再封印しないという要求に、セシルは怯む気持ちを押し退けて、一も二もなく頷いた。竜の口の片端が上がる。
「俺、まだ力が制限されてるから。ここから動かせるのは一人だけなんだ」
セシルはそれにも頷いた。竜の口の、もう片端が上がり、大きな弧の形を描いた。
「取引成立だ。意外と交渉上手じゃん、おにいさん」
「セシル、よく考えなさい、ここに弟をひとり残していくのか? 竜が、妖精が、人間との取引に善意で応じるなんて……」
セシルはアランの焦る声に被せるように声を張り上げた。
「アレックスを、叔父さんの“妖精立ち会いの誓約書“があるところに送り出して!」
言い終えたとき、弧を描いた竜の口は小さくぽかんと開いていた。
「は?」
隣の房のアレックスが、竜の代わりに声を出したようだった。
別に、セシルは自己犠牲の気持ちで言ったわけではない。しかし、どちらか一人しか出られないなら、出る方と残される方を選ばなければいけないのだ。
(……だって、あんな咄嗟の一言ずっと恩に着せてたなんて、兄の威厳丸つぶれじゃん……)
それに、自分は竜との取引は最初以外かなり主導権を取れている。どうにか、もう一度――
「……肝心なとこで、つまらない男」
小さく悪態を付いたかと思うと、突如、竜の少年の体が大きな火柱に包まれる。わっ、という驚きの声もまた、壁の向こうから一瞬だけ聞こえた。
次の瞬間、セシルは鉄格子をはさんで叔父と、唸る黒犬とだけ向かい合っていた。
「……泣けるねセシル。弟を逃がすために自分が残るのか」
「…………」
セシルは涼しく笑ったつもりで、片頬がひきつるのを堪えられなかった。まさか、竜も一緒に去ってしまうとは予想外だった。
セシルの内心の焦りを知ってか知らずか、アランは憎悪の滾る目で、アレックスの声が聞こえていた牢の方を見、ついで全く効果を発揮しなかった銀の銃を一瞥した。
「自分で手を下すのは嫌なんだろ?」
セシルは、自分に向けられない銃口を睥睨し、両手を後ろ手にしたままふんと鼻をならした。煽るのは危険だが、今アランの頭からこの卑怯な考えを捨てさせたくはなかった。
ローズとエリックと交わした妖精の羊皮紙からしたためられる誓約書は、十月裁判で有力な証拠になる。
それを持たずに、この邸から逃げるわけにはいかなかった。
「叔父さん、ローズ様にもその銃を渡しただろ」
叔父の瞳が忌々しげにセシルへ向けられる。竜がいなくなったからか、その足元にはクー・シーが控えてセシルへ大きな牙をちらつかせていた。
「あのとき、やはり君を殺すよう小娘によくよく言い含めておくべきだった」
「……ダンリールに追いやった僕らにスカーレットがついてきちゃったの、焦ったろ? おかげでせっかく雇った暗殺者がぱあだもんね」
従妹の名前を出したのは、叔父を足止めするためだった。すぐにアレックスの邪魔に赴かれては台無しだからだ。
ただ、思い返せば皮肉なものだった。スカーレットはあの旅で、セシルに言ったのだ。
本気でほしいなら、どんな手でも使えと。
「スカーレットは、父親の思惑なんて軽く飛び越えていくよね」
父親が娘にそう言ったとき、父親の脳裏にあった欲しいものはなんだったのか。
「……そう、スカーレットは優秀だよ。君より、アレックスより、私より、ずっと」
セシルは強気に叔父を睨んだまま、じり、と後退した。アランが扉の鍵に手をかけたからだ。
「私はね、自分が伯爵になりたかったわけじゃない。同じ親を持っていても、選ばれるのがひとりなら、もうひとりが日陰者になるのは当然だ」
かちゃ、と音がなった。鍵が開けられた。
同時にセシルの喉も上下した。
「自分が諦めれば、無駄な争いをする必要もない。誰も傷つかない。決断を後悔するような、矮小な男ではないと、ひとり取り残されることが決まった十代半ばのあの日に、自分に言い聞かせた」
(……十代?)
セシルの口は浮かんだ疑問を吐く前に、アランの視線で縫い止められた。
その目の奥の暗い、深い闇に、背が震えた。
「若く、素直で、愚かだった私は、わかっていなかったんだ。その決断が何を意味するのか。……自分の子どもに、どんな理不尽を強いるのか」
セシルは瞠目した。
「これは、みんなスカーレットのため?」
ぎぎ、と不快な音を立てて、扉が開く。直接殺しに手を染めたくないと聞いているとはいえ、このまま自分が解放されるとはどう楽観視しても、思えなかった。
「……ローズ様の秘密は、婚姻準備の最中に知ったの?」
黙りこんだ叔父に、セシルは食らいついた。開いた扉の前に立ち塞がられて、やはりセシルは外に出られない。
「教えてくれてもいいでしょ。死に行く甥に、答え合わせしてくれても」
唸り声を上げて牢に侵入しようとした黒犬の鼻面に、主人は手のひらを掲げ制する。
「……マグノリア殿下がコルメルサへ旅立つ直前に、ぼやいていた。フレイン公爵と現王妃のことをからかったら、妹がすねて出てこなくなった、別れの挨拶にも出てきそうにないと。他のご兄弟も不機嫌になるが、ローズ王女は殊に傷付いたようだと」
淡々と話し始めた叔父の顔に、手柄を語る誇らしさはなく、セシルへの憎しみもなかった。とはいえ、さっさとアレックスを追いたいはずなのに、セシルの挑発じみた要望に応える義理もない。
ただ、自分が何をしたのか、それを誰かに聞かせることだけを目的としている口ぶりだった。アランの計画通りにことが進めば、この話は誰にも語ることなく埋没していくからか。
形だけの洗礼を受けた神にすらも、告解する機会はなかったかもしれないのだから。
「年月を経て、マグノリア殿下から手紙が来た。ローズ殿下によき助言をと。あの方に違和感を覚えたのは、我が家を訪れた王妃の言葉に嘘がいくつもあったからだ。妖精は年の離れた夫となるフレイン公爵のことを語るときに最も頻繁に騒いだ。そして、王女本人にお会いして気がついた。この女、王の子ではないのだ、と。まさかと思い、公爵家から出てきた妖精を捕まえて話を聞き出して、ようやく彼女らの抱える罪がわかった。……神なんていないと思っていたけど、誰かが私たちに、スカーレットに味方しているような気がした」
そのときの高揚感に比べたら、妖精が暴露したローズを含むエスカティード一族の魔法の名残の秘密など、便利な情報取得手段に過ぎなかったと、叔父は笑みを浮かべた。そのときの気持ちを思い出しているのか、晴れがましささえ漂わせていた。
父と同じだけの年月、この国の魔法使いの子孫として生きてきた男のものとは、セシルには到底思えない顔だった。
「……」
セシルは喉を上下させて考える。結婚準備中ということは、一年以上前のことだ。
「……なんで、今さら動いたの。アレックスが出てくるのを待ってたみたいに」
アランの乾いた口が別の形に歪んだ。叔父の嘲りを、セシルは生まれて初めて目の当たりにした。
「待ってた、か。そうだね、ローズ王女の弱味を握って、あの従者を手懐けたのに、なんだかんだ言ってそれ以上のことに踏ん切りがつかなかった情けない私の背を、彼という存在が押してくれたよ」
叔父の笑みはすぐに消えた。目の奥に剣呑な光を灯して。
「――ぽっと出の愛人の息子に取られるくらいなら、私が取りにいこうと。伯爵夫人にするとか、補佐とかじゃない。かつて、私が父に食らいついていれば、爵位は私の、スカーレットの父となる男のものだったかもしれないのだと思えば、もう葛藤なんて生まれなかった」
アランは黒犬の背を押す。ぐるる、と低く唸りながら、四つ足の黒い獣が、セシルにまっすぐ向かってくる。
アランは扉を開けたまま背を向けて、地下牢の出口へと向かって歩きだした。歩きながらセシルに迫る妖精に命じる。
「喉を噛んだらまたここで、私の帰りを待っておいで。……もう二度と、妖精と取引なんて出来ないようにしてやれ」
近づく獣の巨体に、頭頂部から爪先まで氷がひた走ったように戦いた。何か逃げるすべはないかと、セシルは思わず大声を上げた。
「キーラ! 近くにいるんでしょ、もうクッキーあとでいくらでもあげるからこっち来て!!」
その必死な様子に振り返り、アランは憐れむように苦笑した。
「この出入口の向こうにも、見張りが一匹いるからね。ピクシーには荷が重かろう」
絶望的なことに、両手は相変わらず背中だった。たとえ、その両手で目の前の獣妖精相手にどうすることもできないだろうことが想像に難くないとしても。
セシルの頭に、宿屋でこの黒犬に群がられた夜盗の顔が浮かんだ。苦痛と恐怖、混乱に歪んだ顔が。
無情な足音と扉の開く音に合わせて襲い掛かる大きな口に、セシルは痛みを覚悟して目を閉じた。そのときだった。
「――っな!?」
叔父から、不自然な驚きの声が上がった。
思い描いた牙の食い込む感覚は来なかった。
ただ、固いものが激しく床を打ち鳴らす音と、聞き覚えのある高い声が、セシルの瞼を弾くように開けさせた。
「……キーラじゃないもん。もうそんな子いないもん」
その言葉に疑問を呈するより、セシルは柵をひしゃげる勢いで牢になだれ込んできた巨体に目を見開いた。
そして、黒犬に対しては向ける暇のなかった悲鳴が口をついて出た。
「なんでぇぇぇぇぇっ!?」
金色の少女を背に乗せた黒い馬が、苦しみに喘ぐ犬を踏みつけにしたまま、金色の目でじっとセシルを見下ろしていた。
「クロース、セシルのことずっと探してたんだって!」
縄の切込みは、半分以上進んでいた。最後は驚きと恐怖で底上げされた力で引きちぎった。
少女の嬉しそうな声を聴き終える前に、セシルは既に叔父の消えた地下牢の入り口へと這いつくばって逃げた。
その、見下ろしてくる馬の金色の相貌に浮かぶ残忍さから、一刻も早く逃れんとして。
「なんで、なんでそいつまでいんのーーーっ!!」
ピクシーがまたがる黒い水棲馬には、もちろん馬具などついていなかった。




