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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第十章 墓の下より
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昼日中の誘惑者

 ときに、妖精は美女の姿で以て男を誘惑する。



 ***



 厳めしくもどこか寂れた佇まいの門は、セシルの記憶の中の姿からそう変わっていなかった。


 竜は人の目に触れない生き物なので、自然、セシルもその背から降りるまでは一般人からは姿が見えない。わざと振り落とそうとする竜にしがみつきながら、セシルは人の目の有無を慎重に確認し、石造りのギルベット修道院の前に降り立った。

 それが、今からだいたい三十分ほど前のことだ。

 

 心なしか、足元から伸びていた影も少し縮んだかと、胡乱な緑の目で見つめる。


「……お待たせいたしました、ロッドフォード様」


 小柄な若い修道士が門を開けて顔を出す。その眉は山の峰を描くように端が下がっている。


「……も、申し訳ございませんが、その、当院ではただいま風邪が流行っていますから、今日はお客様を中に入れるわけには……」


 しどろもどろの言葉をつむぐ男を、セシルは半眼で睨みつける。最初こそ取り繕って笑みを浮かべていたが、焦りに暑さと疲れが加わり、やつあたりと知りながらも、苛立ちは隠しようがなくなっていた。


「修道院が来訪者を拒むってどういうことですか。神の家はいつから招待状がいるようになったんですか」

「……」


 縮こまった修道士の視線が決まり悪げに彷徨う。セシルにも、自分が歓迎してもらえない理由は察しがついていたが、出直す時間が惜しかった。

 

「レイバン殿が、そう言えとおっしゃったんですね」


 哀れな修道士は、セシルの詰問に返す言葉が見つからない様子だった。セシルに負けず劣らず疲れ切った顔には、怒りの代わりに後ろめたさがにじんでいた。客人の言う通り、旅人の訪問を拒むなど、修道院の意義に反すると思っているようだった。セシルは畳み掛ける。


「ですが、こっちは人命がかかっているんです! 何が何でも中に入れてもらわないと困ります」

「……それが、どういうことなのか教えていただかないことには……」

「それはレイバン殿に直接話します! もう中に入れてくれなくていいですから、ここに彼を呼んでください!」


 無理です、と泣きそうな修道士が再度同じ説明を口にしようとしたところで、セシルの背後で乾いた土を踏みしめる音がした。


「……どういうことですか?」


 驚いたような男の声にセシルも何だと振り向いて、「あ」と口を開けた。

 そこに立っていたのは、大きな麻袋を乗せた荷車を引くロバと、幼い少年を連れた、くすんだ茶髪の修道士だった。人の顔を覚えないセシルにも、さすがに印象深い顔である。

 前回の旅で、畑でセシルと話した修道士だった。横に佇む少年は「あ、金髪のおねーちゃんの家来だ」と無邪気に指を指してきた。


「じ、人命がかかっている、とは?」


 修道士はロバにつながれた手綱から手を放し、セシルの方へ青ざめて寄ってきた。せんせーこれどうすんのーと、少年が呑気な声を上げる。


「いや、あの」


 外出から戻ってきた体の修道士と少年に向き直ったセシルの背後で、門が閉められる小さな音がした。困り顔の修道士に逃げられたのだが、目の前に現れた新たな修道士にどう言ったものかと、今度はセシルが視線を右に左に往復させることになった。


 この修道士、この修道院でかつて『アル』と呼ばれていた少年が、女に金で買われて隠蔽されたと思っている男である。人命の危機と言われて誰の命と思っているかは明白で、セシルはその間違いを正すべきかどうか迷った。


「……詳しくは、話せないのですが」

「では、『アル』とはまったく無関係ということで?」


 幾分か安心したように息を吐く男に、セシルは頷けなかった。

 まったく無関係どころか、直球どまんなかのことを聞きに来たのである。

 視線を迷わせて言葉を探すセシルの態度に、修道士は自分の身内の危篤を聞いたかのような表情になった。と同時に、何かを決意したように険しい目付きでセシルを見据えた。

 思わず息を呑んだセシルを放って、ロバの手綱をたぐる少年のもとへ行き何事か言い含めると、再びセシルのもとに戻ってきた。少年はロバを引いて塀沿いに歩いていく。


「……ロッドフォード様。ここには子どもたちがいます。修道院長は、あなたが悪魔憑きであるとして、あの日以降、もしいらっしゃってもおいそれと中に入れないようにと、きつく我々に言い渡しております」

「そんなの建前で、アレ……、アルのことを聞かれるのが嫌なだけでしょう。……た、確かに僕はちょっと独り言が多い方ですけど、悪魔憑きだなんて」


 セシルは一瞬憤慨したが、前回ここを訪れたときのことを考えれば、目の前の修道士にも一応言い訳をしておいた方がいいような気がした。

 しかし、鬼気迫る顔の修道士はそこには頓着しなかった。


「もちろん、私にはあなたが悪魔憑きだなんて、とてもそうは見えませんでした。だいたい、悪魔なら口封じに黒魔術を使うでしょう、……金ボタンではなく」

「……そ、そうですよね、よかった」

 

 着眼点はそこか。教会的に、黒魔術が何を指すのかは知らないが、セシルは余計なことは言わずに要求だけ口にした。


「とにかく、僕はレイバン殿ともう一度話がしたいんです!」

「私も、哀れな少年のためにお力添えをしたいと思います。しかし、レイバン様はきっとお会いにならないでしょう」


 セシルは相手の浅黒く焼けた顔を見つめた。その目にセシルを疎んじる様子はなく、言葉にも嘘はないと、妖精の茶々がなくとも伝わってきた。

 一介の修道士に、修道院長へ面会を強いる力もないだろうことも、セシルは認めざるを得なかった。

 しかし、セシルは、その通った鼻筋とくっきりとした二重瞼を見つめ、唐突に閃くものがあった。


「……じゃあ、中に入れてもらえませんか」


 セシルは、目的は言わず、方法だけ願い出た。

 招かれざる客を手引きする方法を思案し始めた敬虔な聖職者の前で、『中にいる妖精(悪魔)と話がしたい』とはとても言えなかった。



 ***



 結局、セシルは修道院の背後、後から作りつけられた通用口からなんなく入ることができた。内鍵を協力的な修道士に開けてもらえれば、どうということはなかった。


「……すみません、じきに昼の礼拝の時間となりますので私はもう……」


 セシルは心配げな顔の修道士に礼を言って、礼拝堂へと見送った。


(むしろ一人にしてもらった方が助かるな)


 セシルは周囲を見回しながら畑の端を歩いた。人の目を気にする意味もあるが、もうひとつ、会いたい相手がいたからだ。

 途中、礼拝堂から本棟に通じる渡り廊下に置かれた鉢植えにミントの苗を見つけると、かすかに悩んでから、そっとその葉をちぎりとった。爽やかな芳香が鼻を掠める。


 虫除けの効果があるミントだが、多くの妖精にとっても不快なものとされる。ちぎった葉を自分の足元、短い影の上に置く。


「悪いけど、ちょっと出てって。おまえがいるとほかの妖精よってこないから」


 予想通り、短い影からずるりと顔をだした金色の目の少年は、鼻を押さえて不快げに眉を顰めて離れていった。


(よし。時間がないから、急がないと)


「あなた、また来たのねぇ」


 額の汗を拭って決意を新たに固めたセシルは、背後からの鈴を転がすような声にぎょっと振り返ったが、相手の顔を見て目を僅かに輝かせた。


「……よかった、まだいてくれて」


 真っ直ぐな黒髪に蠱惑的なドレスを纏った女妖精、リャナンシーがそこにつんとすまし顔で立っていた。


「あぁら、私に会いに来てくれたの? ありがたいことだわ」


 くすくすと手を口元に添えて笑う女に、セシルは苦笑いを返す。前回会ったときは嘘つき呼ばわりされて、最後はろくに情報を教えてもらえなかった。


「それで、今日は誰の家来のふり? 王様かしら? 王子様かしら?」


 やはり、セシルの嘘を覚えている。


「……僕が知りたいのは、王女様のことです。アルを連れていった、金の髪の王女様」


 覚えてるでしょ? とセシルはふるが、女は後ろで腕を組んで、くるくると踊るように回って「王女ぉ?」ととぼけた。


「嘘つきくんに教えることなんてないって、言ったはずなのだけどねぇ」


 金の瞳は冷たい笑みに歪んでいた。セシルは、脱いで片手に持ち歩いていた上着のボタンを切ろうかと考える。数が丸見えなので、全部取られるだろうなと覚悟した。



「言っておくけど、黄金で乙女の心を買えると思わないでね、坊や」

「……はは、当然ですよ」


 駄目らしい。口に出して機嫌を損ねずにすんでよかったとセシルは胸をなでおろした。

 黄金を嫌うというのは、もしかするとローズが多額の現金を置いてリャナンシーの獲物であったアレックスを引き取ったことに由来しているのかもしれない。しかし、それならそれで、今この場で妖精に機嫌よく話させるにはどうしたらいいのか、セシルは舌先で歯列の内側をなぞりながら考えた。


 そんなセシルの様子を、リャナンシーは手櫛で髪を梳きながら見ていた。その目は退屈に飽いており、目の前のおもちゃで暇を潰せないかと探る目付きであった。

 時間の経過でセシルが焦るなか、女が気まぐれを起こしたのは偶然だった。



「……あなたが、私の聞いたことに答えてくれるなら、教えてあげても良いわ」

「えっ!」


 セシルはすまし顔の妖精乙女の言葉に、驚きの声を上げた。そして同時に、“まずい”と狼狽えた。

 妖精の謎かけは、回答を間違えると、破滅につながる。誤答した者はその妖精に殺されるか、下僕にされて解放されないという。砂漠の半獣妖精(スフィンクス)が冒険者を退けるときによく使う手とされるが、まさかここでそれを提案されるとは。


 しかし、セシルが悩んだ時間はごくわずかだった。ほかに手段が無ければ、炎の中だって歩かなければならない時はある。


「……一問?」

「あなたの聞きたいことの数だけ」


 う、とセシルは言葉に詰まった。もし運よく答えられる問題であったとしても、女の応じ方によっては、謎かけはセシルが負けるまで続いてしまうからだ。

 それでも、セシルは退けなかった。


「わかりました。どうぞ、レディ」


 女の金色の目がする、と三日月型に歪んだ。


「求める者は、ありとあらゆる注意を払ってそれを目指すのに、手に入れる前に満足する。あなたは、そのすべてを小さくたたんでポケットに入れることができる」


 女の赤い唇が閉じられる。これが問題ということかと、セシルは考えた。


(リャナンシーは若い男の中でも、本来芸術家を好む妖精だ。関心も、そっちに偏るはず……)


 音楽。彫刻。絵。


(……目指しても手に入れることをしないなら、それは抽象的なもの……)


 ポケットに入れられるなら、実体化させる方法があるもの。たたむなら紙。絵に近いもの。


 地図。


「……ほ、方角」


 リャナンシーの顔から笑みが削げ落ちた。途端につまらなそうに「正解……」と呟く。

 セシルは安堵し、勢い込んで問いかけた。


「ここから、ローズ・エス……じゃない、当時のローズ・ディエニット王女がアレックス・グレイを連れて行った時のことを詳しく教えてください!」


 セシルは二人の当時の名前を正確に伝えた。でないと、『そんな人間はいない』と言われてしまうからだ。


「……五年前、十月二日、曇りの日、明け方の雨で少しひんやりとした空気が一日中続いていて、連れて行ったときはもう日が落ちかけていた。これでいいわね?」


 肩をすくめた妖精に、セシルは「ぜんぜんだめ!」と叫びそうになって、すんでのところで口を閉じた。正面入り口からは離れているとはいえ、人の集まる礼拝堂からあまり遠くないところだ。


「も、もう一回お願いします!」

「そうこなくちゃ。二問目、いかなる王より高いところに座す方に、常に反するもの。けれど彼らは、この世で最も弱いものに従うことをいとわない」


(芸術家と美形に執着するこの妖精に、王だの反乱者だの、政治的な関心はないはず……)


 セシルは考えるために俯いた。自然、目は足元を見る。

 太陽が真上に近いから、足元の暗がりはとても小さくなっていた。


「……影!」

「……正解。子ども向けだからって、簡単すぎたかしら」


 セシルは今度は慎重に考えた。


「ローズ・ディエニット王女は、なぜここに来たのですか」

「母親が望んだから」


 それきり、女はとぼけたように口笛を吹き始めた。シンプルな答えに、セシルは愕然とした。


「お、王妃様が望んだから……」

「そ。遠くから、わざわざ馬車で」


 女は歌うようにそう言って、優雅にステップを踏み始めた。哀れな若者を誘惑する踊りだが、セシルはそれどころではない。また質問を無駄に消費してしまったと焦燥に沸き立つ頭を落ち着かせるために、少ない情報を必死に分解する。


「……王妃が望んだから?」


 ここは王領に近い。公務だろうか。であれば、ほとんど姿を現さなかったローズが同行したことが、噂となって社会に知れているはず。

 しかし、結婚式まで誰もそんなことを知らなかった。


(王妃は、私的にローズを連れてきた)


「……馬車で?」


 体の弱い王女をわざわざ外に連れ出した。もしくは、弱いふりをしている王女を。

 病弱な少女には、王都からここまでの道はすこぶる荒い。また、隠したい少女に旅させるには、行程も長い。子どもならセシルたちより多くの休憩を必要とするだろうから。

 ダンリールまで隠し通路を使ったというなら馬車に乗る時間はそう長くならないが、妖精は『遠くから』といった。ならば王都からはるばる時間をかけ、悪路を越えて、馬車で来たのだ。隠し通路は使われなかった。


(非常事態とはいえないから? 魔法の名残を使う隠し通路なら、六家なりなんなり、魔法使いの子孫の協力が必要だ。そこまでの理由ではなかったってこと?)


 国王の許可はおりなかった。


「……母親が、望んだから……」


 父、国王の意思ではなかった。


「……三問目を、お願いします」 


 リャナンシーの歌に引き寄せられてきたピクシー達の真ん中に立つ女に、セシルは静かに願い出た。


「……聞いてばっかりの坊やなのね」


 黒い髪をひるがえらせて、女は軽やかに向き直った。

 セシルには、耳の痛い言葉だった。


「その者には敵も味方もおらず、すべてが獲物となり得る。それはいかなる騎士より最も多くの心臓を刺し貫いてきた。その前ではいかなる砦も鎧も猛者も意味をなさない。その襲撃を避けるもっとも有効な戦略は、孤独」


 セシルは焦りを抑え、目を閉じて考えを巡らせた。


(すべてが獲物……なり得る、ということはならないものもいる。……騎士より、武力より強い殺傷力があるもの。鎧が意味をなさないなら、物理的なものではないか、鎧を脱がすもの。孤独……ひとりきりだと力を失う?)


 権力。

 芸術家のパトロンになるもの。

 集団で効果を発揮し、命令ひとつで幾人も殺せる。処刑命令の前に鎧は無駄である。

 敵味方の概念もない。権力を害そうとするのは、別の地域、別の領域の権力である。革命ですら、勝者に新たな権力が宿るものだ。


 セシルは顔をあげた。セシルの緑の目に、リャナンシーの金色の瞳が映りこむ。

 セシルは口を開いたまま、固まった。


 ちがう。


 妖精は、『それはいかなる騎士より最も多くの心臓を刺し貫いてきた』と言った。『殺した』とは言っていない。

 敵も味方もいない。それは誰にとっても脅威となるから。


 ところが、孤独、ひとりきりだとこの“何か”に負けることはない。


 ――セシルは、この“何か”に負けている。既に心臓を奪われている。


 セシルは短く息を吸った。


「恋」


 食事代わりに恋をする妖精は困ったように笑った。


「子どものくせに、生意気ねぇ」


 質問を寄越せと言わんばかりに、女の細い指先が招く動きをした。セシルは相手の言葉を聞き漏らさないために、もう一度妖精と距離をつめた。


「王妃様は、なんのためにローズ・ディエニットを、ここギルベット修道院に連れてきたんですか」




 退屈を持て余していた女との問答が終わると、赤毛の若者は駆けだした。

 礼拝の終わる時間が、もうそこまで迫っている。


「まてまてまて下ろせこの不敬者!」


 地図をもたず、影に潜み、セシルの思い人を食らうつもり(と、セシルに思われている)の妖精を抱えて。



 ***



 ときに、妖精は美女の姿で以て男を誘惑する。

 その誘いに応じたが最後、男には破滅しか待ち受けていない。


 妖精の女王の誘惑を、セシルは二度撥ねつけた。


『このまま、私を連れて、逃げてしまえばよかったのに』


 応じなかったのは正解だ。おかげでセシルはまだ罪人ではない。

 

 おかげで、捕らえられた妖精の女王のためにあくせく走り回っていられるのだ。


 朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足の生き物、な~んだ? ていうあれです。

 なんか恥ずかしい……。

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