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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第九章 渦巻く思惑動き出す夜
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権力を纏った女その2

 父を、母のいた場所を、変えてなるものか。


 そう思って意地を張り続けていた時期のことは、父の後妻やその子ども達にわざと冷たい態度をとっていた少女の頃のことは、まだ覚えている。


 ――何を覚えていないのかが分からない。分からなくても、自分の毎日は満たされている。幸せになるために必要だったものではないのかもしれない。

 ただ、自分がこの先、この国に望まれて戻ることはない。それだけは漠然と分かっていた。根拠がなくて誰にも言えない寂しさを、あの緑の目の若者は郷愁だと言った。

 生意気だ。

 ただ、あまりに必死そうな顔でそういうから、そういうことにしておこうと思った。自分の諦念に、そう言い聞かせた。


 マグノリアは足を速めた。音楽と光の溢れる大広間の入り口で、名前を忘れかけていた侯爵が人のよさそうな笑みで透明な酒を差し出してくる。色のない酒が注がれたグラスから、甘い柔らかな香りが漂ってくる。一口飲んで気に入って、一気に飲み干した。


 酒精が存外強かったのか、気分が高揚してくるのを感じる。

 さっきまでのことがどうでもよくなる。自分は何を不安に思っていたのだろうと笑いたくなる。頭に白い靄がかかって、次の瞬間には目の前の豪華絢爛な宴が自分を迎えてくれていることしか考えられなくなって――はっとした。この感覚に、覚えがあった。輿入れの朝、この侯爵が父と共にやって来て、なぜだか父が悲しそうで――。


 しかし、一度瞬きをした後には、王女の頭にその考えが再びよみがえることはなかった。

 妹王女、マーガレットがどこか切なげに見てくるのも、よく分からないので笑っていなした。



 ***



「……妖精の魔法や精霊術で、そんなことができるのか?」


 訝し気に訊かれて、セシルは口をつぐんだ。


「……ねぇ、全然話が見えないけど、忘却術ならあるわよ」


 スカーレットの言葉に二人は目を見開いてそちらを見た。


「まぁ、随分昔の術で、もう失われてるって、伯爵家の本に書いてあったけど」

「……そっか」


 セシルはまた俯いた。自宅の本も全部は目を通せていない自分のふがいなさを痛感しながら。

 

「でも、もしかしたら、ヴィレイ侯爵はそれにかなり近い術を引き継いでるのかもしれないわ」


 続いた言葉に、再び従妹の琥珀色の目を見つめた。 


「今夜の騒ぎ、なんにも知らない貴族の方々にも勿論広まって収拾つかなくなりそうだったんだけど、……侯爵とそのご家族が“気分が落ち着くから”って急に透明のお酒を振る舞い始めたのよ。美味しいって大好評だったんだけど、それからみんな一斉にお庭のこともアレックスのことも興味なくしちゃって。衛兵や侍女にも注いでたから、何か変だなと思って口つけなかったんだけど」

「……酒に催眠効果をもたらす薬が混ぜられていたか、酒自体がそういう薬だってことか?」


 それを聞いて、セシルはあっと思い出した。

 

「アルター子爵が今回のこと、ヴィレイ侯爵に出てきていただく案件じゃないかって言ってたのは、こういうこと!?」


 さわぐな、とアレックスが渋い顔をする。


「もう既に出てきてもらってんじゃないか、現場の目隠しと口封じに。この上で何のために“出てきていただく”って?」


 アレックスが苦笑し、セシルが考えこむように腕を組むと、スカーレットが再び「ねぇ」と声を発した。


「もしかして他の貴族に薬を飲ませることを言ってるんじゃなくて、今回のアレックスへの処罰としてヴィレイ侯爵の薬を使う、って意味の言葉だったんじゃない? 子爵は伯爵家への罰を望んでたんだから」


 兄弟二人、一瞬の沈黙の後、セシルが焦ったように問いただす。


「……なんで処罰として忘れさせたり、暗示に掛けたりするの」

「……例えば、アレックスをブランデンの貴族社会から追放するなら、全部忘れさせた方がいいでしょ」


 確証の無い話だからか、スカーレットも不安そうに言葉を返す。ただ、その答えには嫌に説得力があった。――マグノリアが意図的に魔法の名残を忘れさせられたのなら、理由は同じだろうと想像できる。忘れてしまえば、夫の家族に話すこともない。


 しかし、癖のように口元を押さえたアレックスが唸るように言った言葉は、さらに重苦しさを伴っていた。


「……もしくは、服毒処刑かな。催眠効果、忘却効果の薬を作れる魔法使いの子孫が、毒殺とわからない毒を作るのなんてわけないだろうし。事情を公に説明できない以上、秘密裏に処理するしかない案件なんだろ」

「……そんな、アレックス」

 

 スカーレットもショックを受けたように両手で口を覆う。建国期や王政が揺らぐ時期ならささいな罪でも処刑が当たり前で、暗殺が横行したと言われている。

 セシルも戦慄したが、今世は決してそんな不安定な治世ではない。暗くなった空気を払うかのように、強く否定した。


「でも、今回の会議で誰がどんな厳罰を求めても大丈夫だよ。レナード殿下が発言力を持ってる限り、発砲の件も銃の持ち込みの件も、大目に見てもらえると思う。……あの方は僕に返すべき借りがあるから」


 二人の怪訝な視線に晒される。セシルは、どんな形でアレックスが解放されるかわからない以上黙っているつもりだったが、ここで無駄に心配させるくらいなら、明かしたほうがいいと判断した。

 セシルが、この二人の絶望的な顔を見ていたくなかったという理由もある。


「……殿下に、そう約束していただけたの?」

 

 スカーレットの呆然としたつぶやきに、セシルは頷いた。


「……貸しって、そういうことか……いや、口約束なんてないも同然だぞ。確約は取ったのか。妖精立会いの誓いとか」


 アレックスが思わずといった風に呟きを漏らした後、疑わしげに問いかけた。

 セシルはすこし表情をゆがめた。念押しされると、不安になってしまう。


「……殿下は慎重な人だから、妖精の誓約書にサインなんてしてくれないよ」

「えっセシル実際に署名を求めたことあるの? 王太子殿下に?」


 驚くスカーレットの言葉に、セシルは苦い記憶を思い起こしながら頷いた。


 ――クリステの寝台からオーレルゲイエを追い払った夜、セシルはローズたちと別れて王太子を探した。アレックスとの後継争いの決意を固めたセシルにとって、王太子への貸しは大きな切り札だったから、それを確たるものにしておきたかったのだ。

 だが。


『……悪いが、私の立場でそういう誓約に署名はできない。恩は必ず返すが――』


 レナードが時折“あの時はすまなかった”と言うのはこの時の拒絶のことだった。心底申し訳なさそうに言われれば、セシルも引き下がるしかなかった。その時は。


 その後、セシルは後継の意欲が失せたので、この約束が無かったことになっても気にしないくらいの気持ちになったのだが、それは過去だ。いい人ぶって王太子に「あの貸しは忘れてください」なんて言わなくて本当に良かった。


「……誓約書にサインはしてくれなかったけど、結構、わりと、いやかなり大きな貸しだったから大丈夫だよ」


(……これで口約束だからってなかったことにされたら、反乱ものだよ)


 セシルは内心の不安に蓋をした。年の離れた妹との思い出に浸る情の厚さも、妃の命の恩人が用意する誓約を拒否する冷静さも、両方兼ね備えているのが王太子だ。

 それでも、命がけで働く臣下の信頼に君主がこたえる、それは主従関係の基礎だと知らない男ではなかろうと祈るほかない。


「セシル、殿下相手に何したの?」

「い、言えない。黙ってることも含めての貸しだから」

 

 いやに問い詰めてくるスカーレットをセシルはかわした。アレックスは何も言わずにセシルを見つめたままだったのだが、迫りくるスカーレットから離れようとしたセシルが椅子から転げ落ちそうになったところで小さく問いかけた。


「良かったのか」


 セシルはアレックスに視線を合わせた。問いの意味がよく分からなかったからだ。


「貸し、いざというときのために取っておかなくて」

「どう考えても今がいざってときだろ。処刑は行きすぎだと思うけど、きみ、自分の立場分かってんの」

「…………そう」


 アレックスの視線が床に向かう。セシルはスカーレットの両手を二の腕から振り払って立ち上がると、それまで座っていた肘掛け椅子に相手を座らせて、「言えない! 勘弁してっ」と言い切ると、自分が小さなスツールに移った。 


 ――アレックスが助かるのが今は最優先だ。セシルはもう父の跡を継がないつもりなのだから。……もしも今回望んだ結果にならなかったら、その時は――。

 

 セシルは一瞬浮かんだ女の顔を頭から追い払った。そうならなければいい、と思考に終止符を打つ。


「……そういえば、エリックはどうなったんだ」


 セシルはアルター子爵が話した通りのことを伝えた。アレックスの顔が曇る。

 セシルはそこでようやくアレックスの態度のおかしさに気が付いた。身の安全は王太子に確約させたときいてから、ますます暗い表情になったように見えていた。


「どうしたの。……まさか、今回の騒動にエリックの関与を疑ってんの?」

「違う。純粋に生存確認だよ。フィックマロー子爵はこっちに訊くばっかりでなんも教えてくれなかったから」


 アレックスがすぐに否定したので、セシルも安堵したが、そこにスカーレットが不安げに待ったをかけた。


「まって、マグノリア様を疑ってたこともよく分からないけど、今回の騒動って本当にエリックは無関係なの? だって、控室か馬車の近くにいるはずのエリックが、なんで庭の奥に来ていたのよ」


 スカーレットが言うことに、アレックスが首を振った。


「どんな理由かは本人にきくしかないけど、ケルピーの乱入はエリックじゃないだろうな。本人も、自分は用済みだと思ってるみたいだし、引き金はユニコーンだろ。……ユニコーンが現れる前に、塀の外でセシルを待ち構えていたのが気になるけどな」

「塀の外まで手綱をつけた状態で連れてきて、そこで外したんじゃないの? 手綱を外されたケルピーは真っ先にセシルを噛みにいくわよ」


 セシルも背が冷えていくような気がした。確かに、それはありえそうだった。エリックに限らず、誰かがそうすれば、ケルピーは真っ先にセシルに向かってくる。そして、エリックは前科がある。

 アレックスは暫く黙って考えていた。セシルは自分の考えが肯定されそうな気がして重苦しい気持ちになりかけていたが、アレックスの低い声はセシルの予想を裏切った。


「……そこまでしたのに、なんでわざわざ助けに入って死にかけるんだよ。心中か? 伯爵家の威信を地に落としたかったのか? 父親だって伯爵の庇護下で暮らしてるのに」

「……それも、そうね。なぁに、いやに庇うわね。今までの感じだと、アレックスこそ真っ先にエリックを疑いそうなのに」


 スカーレットは気分を害するよりも、アレックスの態度の方が気になるようだった。

 セシルも、同じ違和感を覚えていた。


「……なんか、エリックとあった?」


 セシルは特に深い意味もなく、漠然とそう聞いた。詰問したつもりはなかった。

 しかし、心当たりがあるからか、思いもかけない騒ぎでアレックスも精神的に参っていたのか、迷うように額を押さえたあと、アレックスはぽつりと問いかけた。


「……セシル、誓約に立ち会った妖精がそばからいなくなったときはどうなるんだ」

「え、なに急に。ラスターとの誓約にはケット・シーが立ち会ったでしょ」


 アレックスがラスターと主従関係を結んだ時には、王都の伯爵家に棲みつく猫の妖精ケット・シーが立ち会ったはずだった。誓約書は妖精が用意する魔法の羊皮紙で、そこに書かれた誓約が片方に破られると、立ち会った妖精が相手方に知らせたり、誓約内容に制裁規定まで書かれていれば制裁まで行うことになる。


「……とにかく、どうなるんだ」


 セシルは、嫌な予感がにじりよってくるのを感じた。いたたまれなさそうに視線を逸らす灰色の瞳を見つめる。


「……もし、誓約が破られたら、知らせか制裁に来るかな……立会人には、絶対に伝わるはずだし、どんな妖精もこの手の約束事には厳しいから、不可能じゃない限りやってくると思う」

「……そうか」


 アレックスは深く、深くため息を吐いて、小さく「悪い」と謝った。


「え、なんの謝罪だよ。いやそれより、アレックス一体誰と何を」

「今回」


 焦りで捲し立てそうになったセシルをアレックスが遮る。黙ったセシルをちらと確認してから、ひとつ息を吐いて言い直した。


「……今回、エリックは何もしてないと思う。もしこのあと、元気になったケルピーがダンリールから遠路はるばるあいつを襲いに来たら、その限りではないけど」


 セシルには、話が見えなかった。

 あまりにも予想外の言葉で、うまくつながらなかった。

 そんな呆けた顔のセシルに、アレックスは嫌みひとつ言わずに白状した。


「……俺のことを裏切らない。ケルピーの前で、そう誓約させてる」

「………………なっ!? え、なんでっ!? え、勝手にっ!?」

「勝手に。だから悪いっつったろ」

「わ、悪いですむかーっ!!」

 

 スカーレットの制止は間に合わず、セシルはアレックスにつかみかかった。

 アレックスはセシルに襟をつかませるに任せた、――むしろ、セシルの襟をつかみ返すふりをして、ぼそりと小さく呟いた。 


「……目の色、黙らせるためだった」

「……は?」


 セシルが蹴倒したスツールが床を打つ音は、思いのほか大きかった。スカーレットが肩を跳ねさせる。


「なに言って……」

「うっせぇな謝っただろうが。もとはと言えばケルピーを手引きしたあんたの責任だろ」

「なっ! そりゃ、そうだけどっ!」


 聞き返そうとしたのを、またも遮るように揚げ足をとられる。白々しい態度の豹変ではあったが、その言い様にセシルは何も言えなくなった。あまりにもそのとおりだった。


「ふ、二人ともやめて! 見張りが入ってくるわよ、もうマグノリア様もいないのに――」


 スカーレットがそう言ったのがまるで合図だったかのようだった。


 何の前触れもなく、部屋の扉が突然開いた。

 焦ったように三人の目がそちらに向かう。てっきり兵士がセシルとスカーレットをつまみだしに来たのかと思ったのだ。

 しかし、開いた扉の向こうから部屋に踏み込んできた人物を見るや否や、三人とも目と口を丸くして絶句するしかなかった。


「――マグノリアがいない、だから何だというのです。いたところで、私の入室を阻める女ではありませんよ」


 王女マグノリアより一層傲慢で、しかしながら真理だった。


 この国で、第一王女よりなお大きな力をもつ女性――王妃がそこに立っていた。



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