権力を纏った女
「おまえたちは、しばらく部屋の外で待っていなさい。なに、わたくしが面会を許可するのに、おまえたちがレナードから怒りを買うようなことにはならないから、安心おし」
兵士たちは突然現れた第一王女の言葉に逡巡していたが、閉じた扇の先で廊下へ促されると、そこに目に見えない強い力が宿っているかのようにすごすごと部屋から出ていった。
部屋の奥の窓際にも控えていた兵士まで追いたてられると、部屋の中には唖然とした顔でひじ掛け椅子に掛けたままのアレックスと、同じような表情をするセシル、スカーレット、涼しい顔のマグノリアが残された。
「……一体どういうおつもりですか」
セシルが訝しみながらマグノリアに聞いても「あら、もっと喜ぶかと思ったのに」とつまらなそうに返されてしまう。
「ライバルが無力にも捉えられているところを、自由な身で拝みに行くのは趣味ではなかった?」
そんな趣味はセシルにない。
ないが、ひとまずアレックスが元気そうで、客室と言っても差し支えないような部屋に通されていると確認できたことは、セシルの良心にとっては幸いだった。
アレックスは上着もクラバットも身に着けていないが、その身なりは尋問で痛めつけられたというにはほど遠く、ただ堅苦しい正装を緩めただけに見える。見張りさえいなければ、招かれて滞在しているかのようだった。
マグノリアの言葉に口角を下げたアレックスへ、スカーレットが気遣わしげに声をかける。
「アレックスはどこも怪我していないの?」
「いや、どこも。大広間は、どうなった?」
「まだ宴会は続いているわ。みんな、何もなかったみたいに」
スカーレットの言葉に釈然としない顔ながらも、アレックスは「ふぅん」と相槌を打った。気絶していて当時の状況をよく知らないセシルとしても、ここまで厳罰を気にしなくてはいけない騒ぎが起きたというのに、不思議な気持ちだった。
「……それで、殿下はいったいなぜこの部屋に? まさか本当に無様な囚人の顔を見に来たとでも仰るので?」
先程まで三人目の兵士が立っていた窓のそばには、今はマグノリアが扇をくるくると回しながら佇んでいた。アレックスは少しも臆することなく問いかける。
「そうねぇ。次期伯爵の立場を奪われそうな兄が、へまをした弟にどんな言葉をかけるのかを楽しみにしていたのだけれど」
「……」
セシルの口角も下がった。扇を弄ぶ王女に、先程の不安定さは影も形も見当たらない。
「対して面白くもないから、わたくしこの辺で宴に戻ろうかしら。あの子犬のような末の妹の、危なっかしいダンスでも眺めに」
三人が拍子抜けするほどあっさりと、マグノリアは部屋の扉へ向かった。
まるで、二人を送り届けたら、もう用はないと言わんばかりに。
「……マグノリア様」
ゆらゆらと揺れるすみれ色のドレスが、動きを止める。王女は興味のなさそうな目でセシルの方を振り返った。
「今回は、どうして急に帰郷されたのですか」
思えば、この女がこのタイミングで帰ってきたから、セシルはローズの一件と結びつけたのだ。
「……何かと思えば。王太子の誕生日があったでしょう。わたくしの方もとくに忙しくなかったから、帰るにちょうど良かった時期というだけよ」
そう答えてから、マグノリアの瞳が一瞬伏せられた。
「それから、結婚生活を嗤いに」
「……は?」
頭に浮かんでいた金髪のオールバックの男の横に、怒り収まらない銀髪の妻の顔が並んだ。突然の話題の転換にぽかんとして間の抜けた声を出すセシルの背を、アレックスとスカーレットが叩く。
「去年の春は、わたくしも娘が生まれたばかりで、会いに行くことも、結婚の準備の手伝いも、ろくにしてあげられなかったからね」
去年の春。
セシルは意外な言葉に目を瞬かせた。
「祝いを贈ろうにも、それこそわたくしもあの子の好むものなど分からなかったから。……だから、センスのいい相談相手をあてがってあげたつもりなのだけれど、あの子気に入らなかったみたいね。婚儀のあと一度もその相談相手を頼っていないみたいだから」
いかにも不機嫌そうに、マグノリアは鼻息を吐いた。
少しも乱れていない髪を払うような仕草も、わざわざ加えて。
「マグノリア様……それは……」
目の前の女がわざとらしく口汚く言い募る相手の顔がセシルの脳裏に浮かぶ。目の前の女とは、やはりあまり似ていなかった。
「……コルメルサにいたって、二人の妹とは手紙を送りあうし、いけすかない王妃の子どものことだって嫌でも耳に入ってくるわよ。ただ、ひきこもりのあの子のことだけ、なんにも聞こえてこなかったから。……だから、ちょっとつつきにきたのよ。まぁ、ほとんど話す機会はなかったわねぇ。あの子、扇を立てて全然人と話す気のない態度を崩さないのだから」
セシルは、王女の悪し様な告解の続きを我知らず待った。
心配していただなんて、こんな態度ではきっとあの夫人には伝わらなかったのだろうなと苦く思いながら。
「……不愛想なのはあいかわらずだけど、憎たらしいくらいには元気そうで、良かった。今にして思えば、わたくしが言ったささいな冗談が、あの子の結婚生活を決めてしまったみたいで、少し後味も良くないのよねぇ」
「……ささいな冗談?」
そこでセシルが呟いた疑問は、王女の耳にしっかり届いていたらしい。王女は乾いた笑いの後に言葉をつづけた。
「昔の話に食いつきが良いところが、いかにも兄弟ねぇ。なんてことないのよ。王妃の過去の噂を少しおちょくった、その相手が今のあの子の夫というだけ。わたくしの嫌みに対する王妃の意趣返しで結婚が決まったなら、ちょっと気の毒だったかもね、て」
過去を懐かしむ寂しげな表情を一瞬で消し、マグノリアは「じゃ、ごゆっくり」と笑いかけると、今度こそ三人から顔をそむけた。王女自ら扉に手をかけようとしたので、セシルは慌ててエスコートの位置に立つべく近寄る。鈍いながらも貴族教育がかろうじて身についている伯爵子息の様子に、王女は呆れたように小さく笑った。
「せいぜい気を張りなさい。生まれつきの特権なんて、後から簡単に奪われるのよ」
第一王女はそう言って、黙りこむセシルの開けた扉を通って廊下に出た。追い出されていた兵士が部屋の中を素早く確認し、ホッとしたあとで王女に敬礼する。
大理石の廊下にヒールが触れる固い音が、徐々に遠ざかっていく。
セシルとアレックスを会わせてくれた本当の理由は察しずらい。本当に言葉通りのいじわるな理由だったのか。
それとも、腹違いの兄弟でも、弟に何かあれば兄は心配すると、自分の心境に置き換えて、そうと分からないように気遣ってくれたのか――はたまた、アレックスを閉じ込めたレナードを、虚仮にしたかったのか。
しかし、戸口に立ち尽くしていたセシルは、開いたままの扉の外から兵士二人が自分をじっと見ていることにはっと気が付いた。
つまみだされる前にとすばやく扉を閉めるセシルの背後で、アレックスがスカーレットに話しかける声がした。
「それで、あんたたちこそ何しに来たんだ」
振り返ると、スカーレットは長椅子に腰を落ち着けていた。セシルはアレックスの向かいの椅子へ腰掛ける。
「……何しに来たって言うか、私は帰ろうとしたところを侍女と一緒に王女様とヘンリック殿に引っ張られてきたのよ。あなたの安否確認ができてよかったけど」
「ヘンリック? フレイン公爵の息子と同じ名前だな」
「ご本人よ。マグノリア様のお気に入りみたい」
マグノリアはアンナとスカーレットを見送ろうとした侍女から事情を聞きだしたとのことだった。あの調子で尋問されるのは恐ろしいなとセシルは身震いした。
アレックスの目が「で、そっちは?」とばかりにセシルに向けられる。セシルとしても、王太子にアレックスの自由を約束してもらった以上、今夜は大人しく帰るつもりだったのだが、結果的にマグノリアの計らいはありがたかった。
セシルは、騒動の経過として、ヘンリック・エスカティードとリリー王女と話したということ、その後でローズがユニコーンにはちあわせたことを話した。
ただ、ヘンリックが魔法の名残のことを知っていたということは伏せた。彼が知っているのは明らかに不自然で、このことはダンリールの入城方法同様にごく限られた人間だけが知っている事実のような気がしたからだった。アレックスはともかく、スカーレットに聞かせて余計な心理負担をかける必要もない。
「……ユニコーン? そんなのいたのか。なんで王宮でケルピーが暴れてたのか、これで分かった」
アレックスが深いため息を吐く。セシルは、自分のせいで引き起こした騒動であると、素直に謝るしかなかった。
「悪かったよ……僕が安易に引き込んだせいで、エリックもアレックスも大変なことになったんだ」
「とりあえず、今後ローズを見かけたらすぐ回れ右してその場を去れ。何も見るな、きくな」
「……伯爵家の責任問題になりそうもなかったらそうする」
ことの発端にローズが関わっていたとあって、アレックスの顔が苦み走っていた。そのアレックスに、スカーレットが問いかける。
「なんで銃なんて持ち込んでたのよ。ばれたら大騒ぎになるに決まってるでしょ」
「……護身用だよ。殺されかけたんだぞ、あんたらより一回多く」
アレックスがいうことは最もだったが、その灰色の目が一瞬窓の外に向かったのをセシルは不思議に思った。何かいたかと窓枠に近寄る。その間にもアレックスとローズが話を続けていた。
「あのケルピー、池に突っ込んで消えたけど、死んだのか」
「銀の銃じゃなくて普通の銃でしょ? しかも心臓を打ち抜いていないなら、死んでないと思うわ。消えたのは多分、妖精界に戻ったからじゃないかしら。死ななくても怪我は負うだろうから」
一度出ていけば、勝手に王宮の庭に現れることはできない。おそらく、もとのテリトリーであるダンリールの湖に戻ったのだろう。そう話すスカーレットの声を聴きながら、セシルは窓ガラス越しに夜の庭を見下ろす。そこには逢瀬を楽しむ男女の姿もなく、妖精の気配もしない、静かな庭園が広がっていた。
(……出席者が庭に出ないよう手配されているとしても、妖精もいないって珍しいな)
そこまで思ったセシルの視界の端に、小さく揺れる茂みがあった。毛並みとは違う、硬質な艶のある尻尾がちらりと見えて、セシルは静けさに合点がいった。竜を恐れて出てこないのだと。
赤い竜が王宮の庭に入り込めるというのは、考えてみると恐ろしいことだ。セシルがケルピーを手引きしたように、“竜を見張っている”と言ったアレックスも竜が付いてくることを許可したということか。
いくら敵とはいえ、ローズが、竜の獲物がいる集まりだというのに。
(……アレックス、竜への対価はどうするつもりなんだ)
「セシル、あなた、マグノリア殿下を疑ってたの?」
スカーレットの声に、竜とローズのことを考えていたセシルの意識は部屋の中に引き戻された。
「なんで? あの方、ずっと外国にいたじゃない」
「疑ってたけど、違うってわかった」
重ねて問いかけてきたスカーレットに、セシルは椅子に戻りながら短く返した。アレックスに向き合い、声を潜めて確認する。
「マグノリア殿下と話したんなら、分かってると思うけど、あの方……」
「……魔法のこと、何も知らないよな」
みなまで言わなくてもわかるとアレックスが遮った。同意、とセシルも頷く。
ただ一つ、訂正すべきことがあった。
「知らない、んじゃなくて、覚えてないんだ」
「覚えてない?」
アレックスが怪訝な顔をする。
セシルはついさっきのマグノリアの様子についてアレックスに話した。あいかわらず、最初にセシルに釘を刺してきたヘンリック・エスカティードのことは黙っていた。
「……前にアレックスも言ってたよね。結果的にとはいえ、外国に嫁ぐ女性に国の重要機密を教えるだろうかって。そもそも王太子以外はみんな、何らかの理由で諸国の王族と結婚する可能性はあるよね」
「……まさか」
セシルが固い表情で俯きがちに話すと、アレックスの声も強張った。前後の話が分からないスカーレットは小さなスツールを持って近寄ってきて、何事かと二人の顔を見比べる。
「忘れたんじゃなくて、忘れさせられてるんじゃないかな。魔法使いの子孫がいることも、誰がそうなのかも、全部」
アレックスの目が見開かれる。
否定の言葉は出てこなかった。




