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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第八章 疑惑咲く
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片鱗

 甥の敵対的な発言があっても、アラン・バーティミオンは表情を変えず、かすかに笑みを浮かべたままだった。

 二人の間には小さな妖精が佇み、交互に両者の顔を見比べている。 


「……小妖精ちゃん、ちょっと、向こうで遊んでおいでね」


 アランは視線をキーラに合わせると、懐からガラスの小瓶を取り出し、左手の指先を濡らした。小瓶をつまんだままの右手で、妖精の前髪をかきあげると、つるりとした額に濡れた指先でする、とすばやく円を描く。そこから一瞬、白い煙が上がったのが見えて、アレックスは思わず目を剥いた。


「びゃっ!!」


 避ける間もなく術をかけられたキーラは、大きな目をますます見開いてとびあがった。したたっとキールの墓石の後ろに回ったかと思うと、そこから声も気配もしなくなった。


「……消えた」

「道案内のつもりだったんだろう? 帰りには必要ないさ。何より、聞いていないことは、あの子もしゃべりようがない。妖精は口止めしても、あとからより良い条件を提示されたら、しれっと取引の抜け道を使って相手にばらしてしまうよ」


 口止めという言葉に、アレックスは自分が書庫を出たときから叔父に見られていたことに気が付いた。


「“足元と上に気を付けて”……夕立とぬかるみのことじゃなかったのか」

「はは。上からアヤシイ男に見られてるぞ、影に何か仕込んでるぞ、ってことかね。ピクシーって、子どもそのものみたいななりしてるのに、案外油断できないんだから」


 チーフで額を拭ったあと、アランは悪戯っぽく肩をすくめた。

 墓石から目を背けたアレックスは、つられて笑うことができなかった。


「アレックス君、あの小麦色の髪の妖精との取引、後悔しているのかい?」


 問いかけに、甥を責める色はなかったが、アレックスはすぐには答えられない。

 伏せられた黒い睫毛を撫でるように、緩い風が微かな土埃を纏って吹き抜けた。


「……どうでしょう。あまり、起きたことをぐずぐず考えない性質なのですが」


 そう小さく返した言葉に、嘘はなかった。変えられない過去を振り返っても惨めな気持ちになるだけだと、ここ十年ほどでよくわかっていた。


 それなのに、アレックスはあの日から幾度も思い返していた。自分はあの時どうすればよかったのだろう、と。


 答えは簡単だ。死にたくないとしても、違う条件を提示すればよかったのだ。

 追い詰められて咄嗟に生きた他人の顔が浮かんだ。結局、他人を自分のための犠牲にしようとする、自分のそういう人間性が今の状況を招いたのだ。妖精は図らずか否か、結果的にこの国で特権を持つにふさわしくない者を排除しようとしているかのようだと思った。


「君は、それが生まれながらの性分なんじゃなくて、そうでないと生きていられなかったからだろう」


 アレックスは視線を上げた。見つめてくる瞳は伯爵によく似た色だったが、そこに込められた感情に、アレックスは戸惑った。

 同情によく似ているが、違う。ただ、アレックスには既視感を覚えさせる感情だった。


(……ローズ?)


 なぜか、かつて自分を拾い上げた女の顔が浮かんだ。


(あの時は、一瞬、本当に一瞬、あの人が救世主なんだと思ったけど)


「娘には言ってるんだけどね、何するにしても本気なら、利用できるものはなんでも利用しなくちゃならない。君の欲しいものは他の人も欲しがるもの、誰も譲ってなんてくれないよってね」


 穏やかな笑みを絶やさない丸顔の男から、意外な言葉が出てきたと思った。

 白髪の混じる薄茶の髪の上に、風に揺られた枝葉の影が重なったが、瞬きの間に、叔父はまた日差しの下に戻った。 


「できることはやっておくに限る。やりすぎたと思ったときから修正すればいい、後悔するよりずっとましだろう。……なんて、知った風な口をきいて、口うるさい親戚だと思われちゃったかなぁ」

「……アランさん、俺にこれからがあると思っているんですか? 伯爵は、さすがに許さないと思いますよ」

「おや、私が黙っていても?」


 アレックスは信じられない気持ちで目を見開いた。どういう意味かと問いただそうとした口の前に、叔父の右手が掲げられる。

 覚悟の行き場に困るアレックスの発言を制したアランが、全く変わらない穏やかさで言葉をつづけた。


「まだ妖精のあしらい方にも慣れていない君に、過ちを正す猶予も与えないなんて、きっと君の父さんだって望まない。それでも、ことが明るみになれば我が子を罰さざるを得ないなら、いっそ知らないままにしておこう」


 そう言って、アランは目の上に手のひらで(ひさし)を作り、空を見上げた。暑いねぇ、とぼやいた後で、男は目の前の甥が未だ戸惑いを拭えないでいるのに気が付いて、小さな声で言葉を補った。 


「……本当はね、アレックス君。私は君に、君自身の望むものを手に入れて欲しいんだ。だから、応援しているし、少しだけ贔屓している。兄さんには内緒だよ?」


 年か、苦悩か。しわがよる目尻は優しく見えたが、落ちくぼみ始めた眼窩には悲しみも見え隠れしていたことに気が付くと、アレックスは途端に、アランの目に宿る感情の正体に気が付いた。


 かさ、と、風もないのに足元の草が揺れる音がした。否、踏まれた音だ。「アレックスぅ、もう行こうよぉ」と、暑さを感じていないかのように、ひざ元に擦り寄ってくる気配が続く。


「やぁ、小妖精も戻ってきたね。会って間もない君にはべったりなのに、私には懐いてくれないんだから、妬けちゃうなぁ」

 

 そう言っておどけたようにキーラに手を振る。キーラは瞬時に片手で額を覆うと、び、と小さな舌を出した。微笑みを困り顔に変えた男に、アレックスは乾いた口内を少し舐めてから「あの」と問いを投げかけた。


「あなたは、自分の兄を大切に思っていますか」

「え、もちろん」


 今度はアランが目を瞬かせる番だった。視線を甥に合わせると、あっけらかんとした様子で話を始めた。


「勘違いさせてしまったかい? 私は、先代の跡を継ぐのに相応しかったのはアルバート兄さんの方だったと思っているし、私の役目はそれを全力で支援することだと思っている。アレックス君、庶子である君への共感は、兄さんやセシルへの負の感情に基づいてるわけじゃないから、安心してくれよ」

 

 アレックスは、膝元に纏わりつく少女の顔を見た。金色の目はアレックスと目が合うとにっこりと笑いかけてくる。

 どこかで、蝶番の軋む音がかすかに聞こえた。誰かが入ってきた、その事実を告げる音が、二人にとってはその場を離れる合図となった。アレックスは足元の重みを気にしないよう努めながら、アランの横に並んで歩き出した。


「そういえば、スカーレットはあれからどうしていますか。ドレスの件も、まだ弁償できていないけど」

「ドレス? ああ、王太子の誕生日の夜の。いい、いい。仕立屋を向かわせるなんて兄さんからきいて、何のことかと自宅でスカーレットにきいて笑ったよ」

「父に聞いてから? じゃあ彼女とあの夜のうちには会えませんでしたか。あんなドレスで従兄の馬車から降りてきて、さぞかしあなたを混乱させたのではないかと思っていました」

「あっはは、確かにその夜に知ってたら、帰宅する君たちの馬車を追いかけて何事だと問いただしていたかも。あいにくか幸いか、その日は仕事で夜も忙しくて、帰ってきたスカーレットとは会えなかったんだよねぇ」

「はは、ならこちらにとっては幸いです。あとあと、俺の方からも詫びをしておきます」

 

 墓地の通り道で何気ない会話をつづけながら、花束を抱えた男とすれ違う。眼鏡をかけた男の、青みがかった紫色の目がにこやかに細められたので、二人も笑みを返した。アレックスよりずっと年上の、整った容姿の男が気になるのか、キーラが眼鏡の男についていこうとしたので、アレックスは靴ひもを確認する体でしゃがむと素早くピクシーの腕を掴んだ。


「だから詫びなんていいって。ああ、それなら次のマグノリア殿下の集まり、またスカーレットをよろしくね」

「……ええ」


 ふと、アレックスはセシルが王女マグノリアを疑っていることを思い出した。妖精の口にクッキーを一枚押し込み、見知らぬ男に向けられた注意を引き戻すことに成功したアレックスは、立ち上がった場所から数歩先で立ち止まっているアランに視線を合わせた。


「……一応、あの方には気を付けて」

「え?」


 叔父の眉間に浅くしわが寄っていた。アレックスはその様子に、何事かと声を漏らした。


「仕事で会ったことがあるんだ。いやに王妃殿下やそのお子様方を敵視していらっしゃるみたいだった。セシルはレナード殿下と懇意にしているようだから……マグノリア殿下は、あまりよく思われないかもしれない」



 ***



「……ちょ」


 伯爵邸のサロンでは、赤毛の息子が目を白黒させていた。


「ちょっと、待って」


 息子の目の前に立つ伯爵夫人アンナは、動揺を隠せない息子を固い表情で見つめている。

 いつもなら、その表情の険しさは息子の粗忽さに向けられるが、しかし今回ばかりは違った。


「……母さん、何か勘違いとか、思い込みとかしてない? な、なんで、僕がそれをダンリールから持ち帰ったって答えた途端、そんな突飛な話になっちゃうのさ」


いつもは扇を構える手が、代わりに持っていたそれをセシルの目前に差し出す。セシルは混乱した頭のまま、受け取った。


「勘違いも、思い込みもしていません。……そう、思い返せば十七年前、あの人は子どもを失った私のそばを片時も離れませんでした。浮気など、できたはずもないのです」


 セシルの目にうつるのは、黒い髪に、青い目の女の肖像画である。

 それは紛れもなく、セシルがダンリールの城、東の塔で見つけ、アレックスが持ち帰ってきたキャンバスであった。


 セシルは絵から顔を上げた。その視線の先には、よく手入れのされた赤毛を一筋の乱れもなく結い上げ、息子をひたと見つめる貴婦人の姿があった。


「あの人は、我らのオリエット伯爵は、この女と会ったことなどありません。……つまり、」




「アレックスは、アルバート・ロッドフォードの息子ではありません」




 ぱかっと口を開けたまま呆けたセシルの頭に、いつかどこかで聞いたバンシーの嗚咽が思い起こされる。


「……………………は?」


 間抜けな声に、母の眉間の皺は一層濃くなった。


 


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