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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第八章 疑惑咲く
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墓標

 上着を片腕にかけ、空いた腕で額に滲んだ汗を押さえながらも、アレックスは馬車を使わずに通りを歩いていた。行き先を屋敷の人間に知られないためである。

 歩道の脇は赤レンガの塀が続き、視線の先では小さな金色の頭が跳ねるように先を急いでいる。


「アレックス、はやくー」


 急かす声に、アレックスはいつも通り、答えない。

 妖精は行き交う人間の間をすり抜け、時にその足を踏んですれ違う相手の目を白黒させながら、大通りを駆けて行った。


 何もないところでつまずく、という人間の多くは、妖精に足を踏まれているからなのだとアレックスは知っているが、つんのめった老婦人の肩を支えてもそれを告げることはしない。日傘を立て直してやりながら、金色の頭を見失わまいと視線を走らせると、ちょうど小さな人影は五メートル先の角を左に折れ、レンガ塀の向こうに消えていった。


 アレックスも同じ角を曲がると、視線の先に黒い門が見えた。近づいて、石板に刻まれた文字を口に出す。


「……クレイミア墓地」


 妖精は門の奥でアレックスの到着を待っていた。


「こっちだよ」


 灰色や黒の墓石が林立する墓地を、キーラは迷いなく奥へと進んでいく。ほどなくして黒い柵と、今度は見張りの立つ鉄製の優美な扉が見えてきた。柵の向こうの墓石の間隔に余裕があるので、アレックスはそこが貴族のための高級区画だと気が付いた。


 扉の前で、守衛の男たちは手向けの花もないアレックスに不審げな顔を向けたが、アレックスの名乗りと示した家紋入りの時計に目を見開いて、かすかに軋む扉の奥に通した。キーラも開いた扉の隙間をするりと抜けて、ある一つの墓石に向かっていく。


「ここだよ!」と、場所に不似合いな明るい声に、人気の無さもあって、アレックスは苦笑いで返事をした。


「……“穢れなき魂のまま、神の御許(みもと)に送り給う”……」


 しゃがみ込んで、上端が丸く形作られた墓石の文字を右手でたどる。すると、アレックスと墓石の間ににゅっと小さな頭が割り込んできた。


「褒めて」

「……」


 アレックスは遠くに見える守衛がこちらに背を向けているのを確認すると、左手で金色の頭を撫でてやるついでに、自分の視界から退かせた。中断されていた右手が続きをなぞる。


“永遠の安寧を願う。キール・ロッドフォードのために。”


 ややあって、アレックスは体制を変えた。両膝を曲げて腰を落としていた姿勢から、片ひざを地面について前傾で俯く形に。

 かつて教わった通りの作法で両手を組み、目を閉じた。


「アレックス、何してるの?」


 妖精の声に、アレックスは今度もまた答えなかった。

 作法は暗い記憶と表裏一体だった。しかしアレックスは、死者への挨拶はこれしか知らない。


 墓石に刻む文言は、遺書でもない限り、慣習として遺族の意向で決められる。

 アレックスには、この文言が母親の願いのように思えた。あの伯爵が、我が子の魂を神に託すような気がしなかったからだ。


 この墓の下の魂にとって、神の腕に抱かれるのと、妖精に生まれ変わるのと、どちらがより不幸から遠いのか。


 そんな詮無い考えを打ち消すように、アレックスはゆっくりと目を開ける。祈りの時間はそう長くとらなかった。


 遠くで、蝶番のきしむ音がした。アレックスは組んでいた手をほどく。

 この区画に墓参りをするような身分の誰かが来たのだと分かっていたが、挨拶をして自分がここにいることを印象付けたくはなかった。振り返らず、灰色の目を細めて墓石を見つめ続ける。地面に対して垂直に作られたそれに、男の黒い影が落ちかかっていた。


(どうせ、そこにいるんだろう)  


「出てこい」


 墓と影に集中していたアレックスは、小さく声に出した。金色の目玉が見上げてくることを予想し、待ち構える。


 支払いはこれだ。骨でも何でも、あとは好きにしろ。

 そう告げるつもりだった。


 

 しかし、影は沈黙したまま、波のひとつも立たなかった。アレックスは黒い眉を寄せた。額に汗が滲む。

 キーラの小さな手が戸惑うようにアレックスの指先に触れた、その時だった。


「支払う準備ができた、ということか? あいにく、取り立て主はここには来ていないのだがね」


 突如、背後から響いた声がアレックスの心臓を射抜いた。しわがれた男の声であった。


「キール・ロッドフォードを対価とするのか。なるほど、兄殺しは出来ずとも、既に死んでいる兄ならば、良心も咎めない、ということか。苦肉の策だが、間違いでもないと言える」


 動揺を宥めるように、小さな手が冷えた指先を撫でる。同時に、アレックスが見下ろす墓石の上には、大柄な人影がもうひとつ、落ちた。

 拭い切れなかった汗とともに。

 


 ***



 セシルは、低く響く奇怪なうなり声に耳を疑った。


 出しっぱなしの資料を片付けて書庫から出るなり、その声の出所がほど近い一室から響いてくることに気が付いて、恐る恐る扉の奥を覗き込んだ。


「おのれぇ……おのれぇ……ロッドフォードのじじいめぇぇぇ……!」


 セシルはあたりを見回した。わずかに迷ったが、中に向かって声をかけることにした。


「……どうしたの、おまえ」


 テーブルセットと長いすだけの、大して広くもない部屋の中央で、竜の分霊はうつ伏せに寝転がって震えていた。

 その周囲の床には銀色の鋲が点々と、囲むように穿たれている。結界だと分かった。


「あ、おにいさん、ちょっと、ちょっと助けて! きみんちの奴ったらひどいんだからもうっ!」

「……」

「まじまじと見るな!!」


(……父さんかなぁ)


 部屋の中に進んだセシルは、妖精の要求を聞き流し、欠片とはいえ竜の力を一室の中に閉じ込めた術を注意深く観察した。鋲はセシルが引き抜こうとしても抜けない。結界がゆるんだ気配もなく、竜は駄々をこねる子どものようにその場で手足をばたつかせていた。


 残念ながら、解き方はわからない。そう告げたときの竜の「役立たずめっ!」という言葉を合図に、セシルは廊下に戻ることにした。「あああ、待て!!」という少年の言葉は、機嫌を損ねた男にはもう聞き入れられなかった。

 誰もこの部屋に入らないようにとウォルターに告げるため、青年は足音荒く廊下を進んだ。


「……あ」


 しかしその足は、廊下の突き当たりの丁字路の人影に気がついて一瞬止まり、そしてすぐに『丁度いい』とばかりに、駆け足となって進んだ。


「ちょっと母さん、父さんかウォルター知らない? この部屋鍵かけておいた方がいいって伝えなきゃ……」


 セシルは何気なく母アンナの前まで走り寄った。

 しかし、相手の手に収まっている物に気が付くなり、足を止め、目を剥いてあからさまに動揺した。そして、このタイミングで顔を合わせたことを、先程とはうってかわって後悔した。


「……そ、それ……」


 片手で持ち歩ける小さな『それ』をこわごわと指差し、どうしたの、と問いかけるのを、母親の押し殺すような低い声が制した。


「あなたに、確認したいことがあります。……これを、一体どこで手に入れたのですか」 

 

 セシルはいつかの過保護なエリックを思い出した。


 今こそ仮病を伝えてもらおうか。


 そう思ってしまうくらい、母からにじみ出る凄みがセシルを圧倒していた。



 ***



「……アラン、さん」


 炎天下、アレックスは動揺を押さえつけてゆっくりと首を巡らせ、己の頭ごしに墓を見下ろしていた人物に途切れ途切れの声で呼び掛けた。


「叔父さん、とは呼んでくれないか」


 丸い顔に並ぶ、灰色のたれ目が細められる。困惑と焦燥にまみれた甥とは真逆の、困ったような、苦笑混じりの表情だった。


「きみの影に取り憑いていたあの妖精なら、屋敷の一室にとどまってもらっているよ。兄さんてば、どうしてこんなに危険な取引をしている君を放置しているんだろうね」


 アレックスは、穏やかな灰色の目から逃げるように俯いて目を閉じ、ゆっくり立ち上がった。ため息とも、小さな深呼吸とも言えるような息を吐いて、観念したように視線を戻す。


「……あの人には、適当に嘘をつきましたから。そうでもなければさすがに放っておかないでしょう」


 言葉をつづけるのに、アレックスの中にためらいはなかった。捕らえられた竜の分霊が暴露したのかどうかにせよ、結局のところもうばれているのだと認めてしまえば、声が震えることもなかった。


「……大事な跡取りを人身御供に出すような取引なんて」



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