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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第七章 監督不行届―家族―
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ある兄の監督不行届

「じゃあ、アレックスのやつもさぞかし振り回されたんでしょうね、良い気味です」

「ははは、どうなのかな。愛人くんのほうはともかく、今のところ公爵の方からあの子の苦情は来ていない。体調もあるだろうが、引きこもり気質同士で楽なのかな」


 セシルは気を取り直し、もう少し話を引き伸ばせないかと試みた。


「公爵は国王陛下や王妃殿下とお年が近いから、本当に親子のように過ごしているのかもしれませんね」


 それは、かつてのセシルの願望でもあった。よく考えもせずに不遜な内容を口にしてしまい、セシルはにこにこと笑んだまま、しまったと焦っていた。

 だが、目の前の男は気分を害するでもなく、それどころか機嫌良さげに相槌を打った。


「ああ、私ももしかしたら、公爵はローズを自分の娘として扱いたいのかな、とか思ったりもしたよ」

「……それは、つまり?」

「これは他言無用だよ。むかーし姉上から聞いたんだが、母上は独身時代、クライス殿と噂があったそうな」

 

 レナードの三人の姉は皆レナードの腹違いの姉である。異母弟を相手取って、その母親の過去の恋愛遍歴を聞かせたということに、この姉弟の関係のうすら寒い気配を感じながら、セシルは身を乗りだした。


「そうは言ってもクライス殿は、元々はフレイン公爵本家の血筋ではなく傍系だからね。あの人の母上殿が前公爵の妹で、当時すでに跡取りが決まっているディックスラン公爵の後妻になってクライス殿を産んだから、あの人は元々爵位を望める立場じゃ無かったらしい。それで軍人として身をたてながら、当時は高嶺の花だったうちの母に手紙を送っていたとかなんとか」


 セシルは自信のない貴族家系図を反芻しながら、頭のなかをぐるぐる回る貴族の名前を整理した。

 ディックスラン公爵は二代前の国王の弟であるから、ああ、だからグラッドが『フレイン公爵は先代国王の従兄弟』と言っていたな、と思考をまとめた。ローズの夫であるフレイン公爵――クライス・エスカティードは、血筋的には先代国王の従兄弟だが、年齢的には現王に近いのだ。


「ま、どこまで本当かはわからないよ。結局母上が父上の妃に収まるより早く、クライス殿の方が身を固めてヘンリックをもうけたんだから」


 その後、フレイン公爵本家の跡取りが生まれてこないまま、当主が老いて危篤となったため、急いで甥のクライスを国境から呼び寄せ跡を継がせたという。これはかなり最近の話で、ちょうど足を悪くして、軍人引退を余儀なくされた時期であるらしかった。


 ここまで話して、レナードは片手をヒラヒラとふった。これ以上詮索しても、面白い話は出てこないと言っているかのように。


「……あの、公爵は王妃様の代わりに今の夫人を娶られたと思いますか」


 無言の間をつくらまいと、咄嗟に尋ねた内容に他意はなかった。そのぶん、素直な疑念が現れてしまっていた。

 レナードは肩をすくめる。


「どうしても老いらくの恋だとか、かつての憧れの人に重ねて、だとか邪推したくもなるけれど、実際彼はローズのこと、そういう目で見ていなさそうだよ。言っただろう、娘として扱いたいかのようだ、と。そうだね、どちらかと言うと、心配なのは義理の息子になったヘンリックの方だ。十歳前後年下の母なんて扱いに困るのも仕方ないかもしれないが、ローズのことをよく思っていなさそうでね」


 そのヘンリックは、フレイン公爵の跡取りであると同時に、どうやらレナードが自分の代役を任せるほど信頼された男だと伺えた。ローズの立場は婚家や実家においても微妙なのかもしれないと、セシルは意外に感じた。


 セシルはもう少し話を聞きたかったのだが、そうもいかない。

 レナードは艶やかな上着の内側から細工の緻密な懐中時計を取り出して一瞥すると、立ち上がった。肖像画用の衣装に施されたきらびやかな金糸の刺繍が、シャンデリアの光を小さく反射する。


「時間切れだ。ま、母上は地位も名誉も、それから財産も申し分なく、さらには跡継ぎや人柄も心配する必要のない人に、か弱い娘を託したかったんだろう。なまじ長く手元に置いて、嫁き遅れなんて言われるのも哀れだと考えたんじゃないかな」


 そうですか、とセシルは素直に言葉を受けとめる。これ以上粘ったら煙たがられてしまいそうだと思えば、王太子の真似をするように自然と立ち上がっていた。


「お忙しいなか、ご迷惑おかけしてすみませんでした」

「わかっているならデッサンさせて欲しかったね。……うそうそ、またおいで」


 一瞬で青ざめたセシルの様子を笑い飛ばして、レナードは侍従を呼んだ。かつて王太子の付き人としてオリエット伯爵邸にやって来た男のひとりが近づいてくる。


「わかっていると思うけど、私はちゃんと恩は返すよ。ただ今回のように、応じられるものとそうでないものはある。……あのとき、君の要求に答えられなかったのは、すまないと思っているけれどね」

「……? あっ、ああ、いえ、それももう良いんです」


 レナードの抑えた声に、一瞬なんのことかと眉を寄せたセシルだったが、『今回』とは話の取っ掛かりにしたアレックスとローズの一件だと気が付いて、慌ててかぶりを振る。この話は逆に了承されたら困る類いのもので、ここでレナードの申し訳なさそうな顔を見せられるのは心が痛んだ。


 セシルが本気で気にしていないのが伝わったのか、最初からポーズだけだったのか、喰えない王太子はすぐに破顔して「そうかい? なら良かった」としゃあしゃあと答えた。

 そのうち、こんな調子でセシルの売った恩は返されないまま、思い出になってしまうのかもしれない。セシルは、それはそれで構いやしない、という心境でもあった。


「じゃあ、これで」


 くすんだ金髪の侍従の案内についていく前に、緑の目を伏せてレナードに一礼した。

 ほとんど王太子とローズの思い出話に終始したが、この中に収穫があったんだか無かったんだか、セシルにはいまいちわからない。帰ってアレックスと相談しようと、心はもう馬車に乗った後のことへ馳せていた。


「……君に、ローズを嫁がせてやりたかったなぁ」


 だから、ぽつりと落とされた言葉に、セシルはすぐには何も返せなかった。


 セシルが目と口を丸くして見上げた先で、レナードが腕を組んだまま、穏やかに見つめていた。その青い目は優しげに、どこか口惜しそうに細められている。


「君、途中から弟のことそっちのけで、ローズのことしか気にしてなかったろう」


 セシルは何も答えなかった。

 いままでだったら、図星に心臓を竦み上がらせていただろう。

 しかし、このときのセシルには、見抜かれた驚きはあれど、居たたまれなさや羞恥で消えたくなる心地は襲ってきてはいなかった。


 髪と同じ赤い眉が、ハの字を描く。


「……ばれましたか」

「分かりやすいよ。宮廷で生き抜くつもりがあるなら、精進したまえ」

「困りましたね。公爵には、黙っていてください」

「それはもちろんだけど、意外だな。もっと焦るか、喜んでくれると思ったのに」


 へら、とセシルは笑う。いつもの、都合の悪いものを曖昧に笑って流す時の癖だった。


「いやぁ、あの人は僕なんかには荷が勝ちすぎます。――見てるだけで、充分でした」


 だが今のセシルの中には、曖昧に笑って流し消したいものなど、何も残っていなかった。


「……そうか」


 それもそうかもしれないなと、レナードが軽く呟く。

 

「はい。殿下も、そろそろデッサンを再開されますか。遅れたら、マグノリア殿下に僕まで恨まれてしまいそうです」

「まさか。あの人は私に嫌味を言いたいだけだよ。それに、きみのいとこ筋の商会とは懇意にしているみたいだから、きみのことは早々睨んできたりはしないさ」

「あ、そうなんですか。僕、あまり叔父の商売のこと、知らなくて。テューダーソン商会がローズ様含む王家の御用達だってことは、跡取りのハリスから聞いたんですけど」

「見てるだけとか言いながら調べ済みじゃないか、怖いな」


 雑談の最後は「怖くないです、偶然です」と否定してしめくくった。それでは今度こそと、セシルはきびすを返す。


 しかし、帰りたいときに限って、なかなか帰れないものである。

 カツカツカツカツ、と鬼気迫るヒールの音に、セシルが何事かと眉を顰めて、広間の扉を見つめたときだった。



「殿下っ!! またあの画家を呼んだそうですわねっ!?」


 両開きの扉が、蹴り破られたかと思うような勢いで開いた。大きな音にセシルの心臓も今度は竦み上がる。驚いたのはセシルだけではないことを示すように、目の前の侍従の肩も強張った。さらに背後でレナードの「げっ」と小さく、嫌そうな声が上がった。


「私、知ってますのよ!! 殿下があのわし鼻を呼ぶとき、それは絵を描かせると言う名目で私に会わせられない客人と会うときなのだと――…………あら、セシル殿?」


 いつかの強盗もかくやという気迫で乗り込んできた銀髪の王太子妃に、レナードがため息をつく。セシルも固まった喉をなんとか潤して挨拶しようとした。


「あ、ご、ご機嫌麗しく、クリステ殿下……」

「なぜこんなところにあなたが? 私に何か用でも?」


 興奮冷めやらぬのか、非礼を詫びる気配もない妃の様子に、セシルの背後からレナードがたしなめたときだった。


「お義姉様、お待ちください、そんな走らなくても――」


 クリステの後方から、慌てた侍女とともに姿を現したのは、ついさっきまで話題の中心にいた、波打つ金髪の麗人だった。


 王太子妃の乱入にすっかり意識を奪われていてなんの心の準備もできていなかったから、セシルはあからさまに息を飲んだ。

 両手でドレスをつまんで追ってきたらしいローズも、義理の姉の向こうの人物に気がついて、動きを止めた。


 数秒の間、二人は目を合わせたまま固まった。


「……なんで、あなたが、ここに……」


 セシルを置いて歩を進めたクリステがレナードに食って掛かる声と、先程とは一転して疲れきった声で宥めるレナードの声を感じながらも、セシルは掠れたような、呆然とした声を確かに拾った。

 形だけは、問いかけの体をなしていた。


「……あなたが、当ててみろと言ったでしょう」


 だから、セシルもそのまま、理由をのべた。


『次に会うことあったら絶対泣かすぐらいの恨みしかないよ』


 父に言った言葉はものの例えであり、場の勢いの買い言葉でしかないが、嘘ではなかった。

 ただ、今はまだ、セシルは目の前の女に傷を追わせるような手札を持っていない。


 でも、絶対に許さない。


 かつては、心の容量いっぱいに憧憬と渇望が満ちたものだった。

 今は、凪いだ心の真ん中に、ぽつりと残ったシンプルな執念しかない。


「では、公爵夫人。また、どこかで。……足、大丈夫そうで、安心致しました」


 貴人への礼儀として頭を下げたセシルは、侍従を急かして広間を出ていった。


 広間を出るまで、どころか出たあとも振り返らなかった。背後ではヒートアップする王太子妃の甲高い声と「いい加減にしてくれっ」とうんざりしたような王太子の声が反響していた。何が油になったのか、一層女の声の火力が上がったので、侍従もセシルも無言で足を速めたくらいだった。



 ふと、今日の彼女は扇を顔の前に持っていなかったことに、セシルは白い回廊を駆けるように歩きながら気がついた。


 レナードの話を聞いたあとだからだろう。目を見開いて驚いている様は、少し、あどけなく見えた。



 ***



「……こ、公爵夫人? いかがされました!?」


 クリステとレナードの間に割って入っていた勇敢な侍女が、少し離れたところに立ったまま動いていないローズの様子に気付き、声をかける。

 つられてそちらを見た夫妻も、それまでの喧嘩――とうとう王太子妃がレナードに掴みかかろうとしていた――を中断して、慌ててローズの方に走り寄った。


「……なんでもありません。はやくお姉様のもとへ参りましょう」


 寄られたローズも自分の様子に今気がついたのか、顔を、紫の両目を、握ったきり開いていなかった扇をばっと広げて隠す。

 

「なんでもありません、目にごみが入ってしみただけです」


 あんなの、ただのごみです。そう答えた女の声に現れた一瞬の震えに、一同は顔を見合わせるばかりだった。



 ***



 金の髪が美しい、小さな妖精がわんぱくだったのは、今に始まったことではない。


 十二歳の少年の部屋に残る遊んだ痕跡に、家庭教師に代わって母が眉尻を吊り上げて凄むことも、父が難しい顔で諭してくることも、一回二回ではなかったのだが、彼は絶対に逃げ込んできたその妖精のような幼子を、自分の部屋から追い立てようとは思わなかった。

 年の離れた妹が、かわいいからと言うだけではない。


「だって、お兄ちゃんなんだよ」


 妹の至らないところは、兄が監督してあげないと。


 少年が、妖精を背後に庇ってそう言うと、誰かがため息混じりにこう言った。


「そうやって、レナード様が甘やかすから、ローズ様が反省なさらないのですっ!」




 ――いつの間にか、背後にいたはずの妖精()は、兄の腕からはるか遠いところに行ってしまっていた。

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