魔女の実家訪問
セシルは、舞踏会の夜とは違う道を案内されていた。
古代の神殿を意識した意匠の柱が並ぶ白い回廊は開放的で、照り返す日差しが眩しいくらいだった。とはいえ、歩いている間は終始緊張していたため、すれ違う手の込んだ装飾も絵も鎧も、セシルには見る余裕がなかった。
「殿下。オリエット伯爵ご令息、セシル・ロッドフォード様のご到着です」
客人を先導した侍従は、開け放たれた扉の中に向かって声をかけ、セシルを中に誘った。
その日、セシルは王宮の奥、国王夫妻や王太子夫妻が住む区画を訪れていた。
ダンリールから戻るとほどなくして、セシルは手紙をしたためた。急ぎ、且つ、内々での謁見を望むと王宮へ届けると、相手は「私的な場であれば明日にでも」と予想よりずっと早く機会を設けてくれたのだ。
しかし、案内された部屋に目を向けて、セシルは絶句した。壁に沿って並べ立てられた大理石の彫刻群と緻密な天井画、そこからぶら下がる大きなシャンデリアがセシルを圧倒したのだ。磨かれた格子柄の床が、見開かれた緑の眼までくっきりと映している。部屋というよりは広間だった。
(え、王子様たちって普段からこういうところで本読んだりお昼食べたりしてるの?)
「私的」の定義のずれにセシルはおののきながらも、荘厳な部屋の中央で蒼い天鵞絨の長椅子に掛けた金髪の男を見つけた。その正面には、イーゼルとキャンパスの前に立った男が無心に手を動かしており、さらにその横には誰も腰かけていない優美な椅子と丸テーブルがあった。
画家と相対するレナードは、顔を向けないままセシルに声を掛けた。
「よく来た。すまないね、明日からしばらく外に出てしまうからって、こんな見苦しい場面に立ち会わせて」
確かに、家族以外の人間が肖像画を描かれている現場に遭遇したのは、セシルにとっても初めてだった。
「い、いいえ。こちらこそ不躾に申し訳ありません。この度は……」
「はは、固いね。回りくどい挨拶はいらないから、そこの椅子にかけたまえよ」
レナードは顎をしゃくって無人のテーブルを示す。セシルは素直にしたがった。ここでレナードが解放されるのを待てということかと考えたのだ。
だから王太子が「で、今日はどんな用?」といったときには焦った。思わず横に立つ画家の横顔を見たが、薄茶色の口髭の上にわし鼻が目立つ横顔は平然と作業を続けていた。
「彼のことは気にしなくていいから」
「え、で、でもですね……!」
内々で、と願い出た意味を汲んでもらえなかったのだろうかと、セシルは眉を下げた。
「彼は私のお気に入りでね、聞いたことも見たこともすぐに忘れてくれるんだ」
レナードが笑顔のまま足を組み替えた。画家は黒炭を止めない。モデルの男は首をかしげて片目をつむった。
「ま、私が促したときだけ、都合よく思い出してくれるけどね」
「殿下、おそれながら申し上げます。今、顔は動かさないで下さい」
「……この通り、本業は、正真正銘画家だがね」
セシルはそれでもしばらくは言葉に窮していたが、すまし顔の侍女がワゴンを押して紅茶と菓子をテーブルに置いて去ると、「そうですか、では」と話を切り出した。
「フレイン公爵夫人のことで、少々お聞きしたいことがありまして」
セシルは、相手の人形のような笑顔を注視ながら、緊張で声が震えないよう慎重に話しはじめた。
「ローズのこと?」
レナードの青い目が見開かれた。ずっと正面を向いたままだった首が、客人の方へ向けられる。
「……弟さんと君とのことではなくて?」
セシルはわざとらしく目をそらした。否定も肯定も明言しない。
(王女で既婚のローズと、臣下の庶子のアレックスのスキャンダルは、誤解でも他人には聞かせたくないはず)
セシルはここに来る前に、アレックスとローズの関わりをだしに王太子からローズのことを聞き出すと伝えていた。後から他人を通じてそれを聞くよりはと、アレックスの心証を慮っての報告だった。
もとより父がこの都を離れられなかったのは、王太子自らが指揮を執るオリエット伯爵家兄弟の身辺調査のためである。
ローズはアレックスを引き取ったあと、四年間は後宮の一角に、そしてローズが結婚してからの一年間は都のフレイン公爵邸に、彼を匿い続けたのだ。いかに隠しても大方ばれているだろう、とセシルは考えていた。
ただ、アレックスはというと、セシルのすることに異論はない、と言いつつ、意味がないかもしれない、とも忠告してきた。
自分が四年間後宮にいたことは、レナードは今も知らないかもしれない、と続けた弟の言葉を、セシルは不思議に思った。
『なんで。後宮って言ってもレナード殿下は夫人の実のお兄さんなんだから、むしろその頃こそ、どこかでアレックスの姿が見られてた可能性あるんじゃないの』
『確かに、俺は護衛見習いの名目でいたけど、ずっと他人の目から姿を隠すよう言われていたんだよ。俺の顔を知ってる侍女も本物の護衛も少なくて口が固い上、今は田舎の公爵本家に一緒に連れていかれてる。
そもそも、ローズ自身がほとんど外部の人間と会ってないんだよ。……父親とか、兄妹含めてな、病が移ったらことだからって。たまに王妃が来るのだけは迎え入れてたけど』
だが、最後の一年はローズと離れ、ひっそりとはいえ、王都の公爵邸に奥方の知り合いとして居候していたから、馬車を止めてしまったウィリアムのような人間に偶然目撃されていたかもしれない、とのことだった。
はたして、レナードは考えるようにかすかに視線を下げた。
「殿下、あまり顔は動かさずにお願いいたします。デッサンが滞ると、後の予定に支障をきたしてしまいます」
画家の淡々とした声を無視するように、黙っていたレナードはため息をついて、組んでいた足を下ろし、背もたれに体重を預けた。
「休憩だ」
「……このあと、王妃様やお妃様方と共に、里帰りされたマグノリア様とお会いになるとお聞きしましたが、時間がおしてしまいますかと」
整えられた髪に、長い指が差し込まれる。
「そんなこと、お前が気にしなくていい。いざとなれば、ヘンリックを私の代わりに座らせるさ。いっそその方が姉上も機嫌が良いかもしれない」
予想通り、レナードは人払いをした。わざとだったが、セシルは自分のせいで王太子の予定を変更させてしまったことを申し訳なく思った。本来なら追い出されるのは後から割り込んできた自分の方だ。
それがされないのは、舞踏会の夜の一件のおかげだ。レナードは、今はセシルを邪険にできない。
(マグノリア様って、前王妃様の双子の王女様のおひとりか。コルメルサにお嫁に行ったはずだけど、帰ってきてたのか)
レナードやローズの母である現王妃は現国王の後妻だった。
若くして亡くなった最初の王妃の子供たちは、双子を含んで女ばかり三人設けていたが、現王妃は王太子レナードを筆頭に男子三人と女子二人に恵まれている。ローズの同母妹で末の娘ヴィオラ様はまだ十五歳だったはず、と、そこまでセシルが考えたところで、再びレナードが話を催促してきた。
「……アレックス君が公爵邸にいたことくらいは知っているが、それがどうかしたか?」
画家が立ち去った部屋で、常より低い王太子の声に、セシルは腹に力を込めた。相手の態度は、威嚇ではなく他人の耳を気にしてのものだと、自分を落ち着かせる。
(アレックスの言った通りだった。夫人はすごく厳重にアレックスのことを隠してたんだ)
それはそれでセシルには不可解だが、きっと父である伯爵のもとへ行かせたくなかったためだろうと結論付けて、目の前の男との対話に集中した。
「この前の舞踏会で、夫人とアレックスが庭園の迷路にいるのを見かけました」
嘘をつくときには、真実を混ぜる。アレックスがとった方法を、セシルも意識した。
「……そうか。ああ、それであのとき、君はあんなに急いで外へ……」
言っておくが、とレナードは渋い顔で続けた。
「ローズとの姦通容疑でアレックス君を失脚させる案には、乗れない。証人が君では私怨による虚偽を疑われるだろうし、六十歳になった公爵自身が黙認していたという、その立場もこっちとしては尊重したい。自分が夫とともに領地にいる間、彼をそばに置かなかったのはローズなりの夫への義理立てだろうし。
……王家としても、あの婚姻は、母上が公爵側へかなり強く推した話だったのに、それを君のために面子を潰すようなことはちょっとね」
「……そうですか。いえ、仕方ありませんよね。僕も難しいとは思いました」
さも残念そうにため息をついたあと、「それにしても、正直弟が羨ましいです。一時とはいえ、あんなに美しい方とお近づきになれたんだから」と、わざとらしく話を続ける。レナードが苦笑した。
断られるのは予想の範疇で、本命はこれからだった。たった今聞いた話を取っ掛かりに、標的の周辺事情を聞き出すのだ、と。
「夫人はお体が弱いとお聞きしていましたが、王妃様はなぜ領地も遠く、その、お年も離れている公爵とのお話を進めたんでしょう? ……変な話、年齢的なズレでアレックスが付け入る隙になったような気がしていまして」
無礼なことを言っている自覚はあった。セシルは自分の鼓動が相手の耳にまで届いていないことを祈りながらぼやくふりで探りをいれた。
これはアレックスもしらなかったと聞いている。ある日突然、『結婚が決まったわ。公爵も了解してくれたから、あなたもついていらっしゃい』と目も合わせずに言われ、このまま身を隠し続けることを是としないアレックスと言い合いになったと言うのだ。
「体が弱いから、もう跡継ぎの心配がない人の元に嫁がせたんだろう。もっと昔は、父上が用意した縁談を母上が片っ端からはねのけていたから、結婚そのものをさせたくなかったみたいだけどね」
レナードがなんてこと無さそうに答える。誰もが思うであろうアンマッチな年の差縁談について、きっと周囲からかなり聞かれたのだろうと予想がつくような、躊躇いのない受け答えだった。
「……でも、四十も離れている方ですよね。いくらなんでも年上過ぎませんか? ずっと国境警備のために都を離れていたとも聞いてますし、夫人が……その、」
「かわいそう?」
「……」
王太子レナードはまた苦笑いを浮かべて、言いよどんだ客人の後を引き継いだ。さすがに言い方がまずいかと、セシルは気まずげに口ごもった。
政略結婚は何も珍しくないが、ローズと公爵の婚姻は、双方何の旨味があるのか、よくわからないと当初から言われていたのだ。だからこそ、下世話な憶測がまことしやかに流れたのだが。
「私も弟たちも戸惑ったよ。特にライオネルはローズのひとつ下だったから、自分だったら考えられないと最後まで反対してた。でも、母上より先に、この縁談を望んだのは他でもないローズ本人だったからね」
「えっ?」
今度はセシルが驚きに目を見開いた。レナードはさっきよりも満足げに笑って頷いている。王家がローズを邪険にして遠ざけたと思われるのが、不服だったのだろう。
「この話は母上が推したから実現したという側面が強いけど、きっかけはそういうことなんだよ。本当に、昔からよくわからない子だったけど、大人になっても不思議な子だよ、ローズは」
レナードが笑う。どこか懐かしむように、青い目が広間の彫刻群に注がれた。
「結婚式と舞踏会で、ローズの姿は見られたかい?」
「……はい、とてもお綺麗でしたね」
忘れもしない。あらゆる意味で。
「いつの間にやら、あんなすました女になってしまっていたけど、昔は私たち兄妹の中でも随一のお転婆だったんだ」
(今もある意味暴れん坊ですよ)
セシルは心の中の言葉を飲み込んで「意外です」と返した。
「母上が、部屋にいるようにとよく言い含めても、侍女たちの目を上手に掻い潜って脱走していてね。この広間にも、至るところにあの子の爪痕が残されている。ほら、あの女神像の肘が欠けているのはあの子が上に登ったときのだよ」
指差された大きな大理石の腕が言う通りに欠けている。
セシルは乾いた笑いで答えた。子供は怖いもの知らずだ。
「かくれんぼもおいかけっこも、あの子が一番上手だった。頭がよくてね、人の考えを正しく予測して、先回りすることが多くて、ああ、姉上たちもかなりやり込められていたな、あの頃は」
「……アレックスも言っていました。勘が良いと」
「そう。でもいつからか、母以外を寄せ付けなくなった。と思ったら急に公爵のところに行きたいだなんてね」
レナードは長椅子にもたれ掛かったまま、青い目を彷徨わせる。走る幼子を追うように。
「……不思議だったな。今でこそ逆だけど、あの頃は私の方が体が弱くて、でも調子が悪いのを臣下や姉達に悟られたくなくて、無理をしてあの子を捕まえる部隊に加わっていたな。
……するとね、父上が言っても母上が言っても足を止めないあの子が、何も言っていない私の方をじっと見つめてきて、しゅんとして寄ってくるんだよ。『お兄様、辛いなら寝ていてください』って。いや誰のせいだと思ってんだ、て話だよね」
おかげで我慢していたことまで結局バレるし、と困ったように笑いながら、遠くを見つめるレナードにつられて、セシルも緑の目を広間に漂わせた。
白い彫刻の影から、長い金の髪の毛を垂らした少女が顔を覗かせる。紫色の瞳はこちらを見透かすようにじっと見上げてきて、にや、と笑ってこちらの出方の先手を打って逃げていく。
つかまらない。侍女たちが、護衛たちが、兄や姉たちが、果ては父王や母王妃までもが悪戯少女に振り回される。
だけど。
ふと足を止めて、何かに気付いたようにこちらの目を見てくる。
それから、申し訳なさそうな顔をして、近寄ってくる。
小さな口が開く。
『当ててみたら良いわ、魔法使いさん』
笑みが、嘲笑となって意地悪く歪む。
「……さぞかし可愛らしかったんでしょうね。想像も追い付きませんよ、ええ」
妄想から帰ってきたセシルは、ぶすくれて王太子の方に視線を戻した。ずきずきと痛む気がした肩を、思わず手のひらで撫でる。
魔女め。




