眠れない夜
「……スカーレット、戻って。こんなとこでおしゃべりは年頃の女の子のすることじゃないって怒られるよ」
スカーレットは薄暗い部屋でも構わず、器用に雑多な荷物を避けてセシルの寝台に腰掛けた。目の向けどころに困った様子でセシルがたしなめても、「この旅で怒られるのなんて今さらよ」と返すのみである。一体何が今さらなのか気にはなったが、藪に潜む蛇が怖いセシルはつつかなかった。
普段は淑女然としている彼女だが、ここにきて昔のお転婆がぶり返しているようだった。セシルは何も後ろ暗いところがないにも関わらず、舞踏会の翌日に礼を言ってきた叔父に申し訳ない気持ちがした。
「……キーラが部屋から出ちゃったから、そっち行ってたら申し訳ないな、と思って確認しただけだよ。あいつ女嫌いでしょ、行ってないならいいんだ。エリックの方はアレックスが妖精避けを持っていったから大丈夫だと思う」
スカーレットはきょとんとした。「なんだ、そんなこと」とつぶやかれ、セシルは気恥ずかしさに襲われた。心配する相手が違ったことは自覚している。
「それだけだよ、もう用は済んだから、クレアのとこ戻りなよ」
「それより、フレイン公爵夫人、捕まえたらどうするの。向こうは元王女で、公爵夫人よ。伯父様だって動きにくい相手じゃない?」
突然振られた話題に、セシルは一瞬言葉に詰まった。話を遮られたからだけではなかった。
「……裁きを受けさせたいけど、まだよく分からないことが多いんだ」
仄かな光の中で、軽装の男女二人でありながら、漂う空気は至極静かで、ずんとした重みすら含んでいた。
セシルは立ったまま、揺らめく小さな火を見つめ、しばらく無言だったが、やがてぽつりと言葉を返した。
「まずは、どうやってあの人がうちの秘密を、叔父さんや少し前の僕ですら知らなかったことを知ることができたのか、できれば全部教えてほしいよ」
「セシル従兄様、フレイン公爵夫人好きだからショックでしょ」
セシルは何も飲んでいないのにむせた。
「舞踏会の夜ずっと見てたじゃない。夫人が庭に向かったからってそっち追っかけちゃって、ひどいんだからもう」
「……確かにそうだけど、もうそれどころじゃないし、とにかく捕まえて聞かなきゃいけないことが沢山あるよ」
「あら、つかまえて、弱み握って、それでお相手してもらおうとか思わないの?」
重い眩暈を感じた。そんなに不謹慎で卑劣な男だと思われていたのかと、悲しみさえ沸いてきた。セシルは額をおさえて、「君、どこでそんなの覚えてきちゃったの」と、弱々しく非難した。
「ある意味人生最大のチャンスだと思うけど」
「そんなわけあるか!」
「まぁ、何いってるの。本気なら、利用できるものはなんでも利用しなくちゃ。それに、向こうはそれどころじゃないような損害をこっちに与えてきたのよ」
気を取り直して、いつになく強く言い返すセシルに、スカーレットはこの上なく真面目そうに応じる。かえってふざけてるとわかるから、セシルも本気で返すのがバカらしく感じた。
爪先で自分の広げた小物入れをどかしながら、溜息まじりで寝台に近づいていく。
「ひどい目にあったから自分もやり返すなんて、そんな種類の話じゃないし、そもそも旦那さんに僕が殺される。足を悪くしてるとはいえ、もと軍人だぞ」
(……別に、だから未亡人になってから、て思ってた訳じゃないけど)
「……けっこう具体的にイメージしてるのね。怖い男」
「君が言ったんだぞ!」
数日前、別の宿でアレックスにも言われたシンプルな評価についムキになって顔を赤くした。怖い。怖くて悪いか、正直になれば、恋など身勝手の塊だぞと、終わってからそう思う。
「でも、夫人自身も、足だったかしら、怪我してるなら今は可哀そうかしらね。……そういえば、従兄様の肩はどう?」
スカーレットのペースに乗せられた自分が恥ずかしくて、セシルは少し気を散らしていた。この話をはやく終わらせたかったのに、自分の発言を悔やんでいたせいで、つい反応も一拍遅れた。
「怪我してなくてもやらないよ。 ……て、えっ、何?」
「妖精の棲む苗の薬は強力でしょうけど、一応経過を確認させて」
突然白い腕が伸びてきて、セシルはまた焦った。肩を見せろとは、つまりシャツを脱げということだ。薬を塗布してもらったときは明るい部屋で、アレックスも妖精たちもいたのだ。
今この部屋には他の人間はおろか、妖精もいない。さすがにスカーレット相手とは言え、セシルも戸惑わざるを得なかった。
「なぁに、照れちゃって……もしかして効いてないの?」
脱がされまいとして咄嗟に肩をかばったセシルのしぐさを勘違いしたのか、スカーレットが途端に真面目な顔で力強くシャツの襟口を引っ張った。セシルは慌ててその細い腕を掴んだ。
「ちがっ違うって!」
「っきゃ!」
抵抗しようとしたセシルの力が勢い余って、華奢なスカーレットがバランスを崩した。しかし、反射的に支えようと踏み出したセシルの足は、散らかった寝間着につっかかった。視界が大きく揺らぐ。
ばたっと、月の光に照らされた夜の空気に、寝具のかすかな埃が舞い上がる。
しばらくお互いに向かい合って寝台の上で何も言わず見つめあった。セシルの方は、突然倒れ込んでスカーレットを潰しかけた恐怖を落ち着かせようとしていたせいである。
「…………ごめん、僕もびっくりしちゃって」
「………………いえ、肩、平気ならいいのよ、でも」
横になったまま、どうにか謝ったが、「でも」の後につづく言葉が怒っていてもいいように、ぐっと心の準備をした。しかし、それに対して向かい合ったスカーレットが「ふ、ふふ」と笑い始めたので、セシルは怪訝な顔をしてしまった。
「ふふふふ、なんかこうして二人寝っ転がってると昔のお泊りみたいね」
大人から隠れておしゃべりを続けようとする幼子のように、スカーレットは声を潜めた。ランプは燃え尽きたのか、既にセシルの目に映る従妹を照らすのは月の光だけとなっていた。いつもの化粧を施した顔とは違う、あどけない笑顔に、動転していたセシルも拍子抜けして、ついで笑いが込み上げるのを感じた。
「……そうだね。ああ、そういえば、この前久しぶりにオーレルゲイエを見たよ」
王太子夫妻の寝室で、とはさすがに言えなかったが、セシルも懐かしい気持ちになって声を潜めた。
「ええ? 従兄様、まだあの『傘くるくる』に寝かしつけてもらってるの?」
「ちっがうよ」
冗談にふざけて怒った後で、セシルはそこではた、と我に返った。
「それよりスカーレット、もう部屋に戻った方がいいよ。疲れてるだろうし、クレアさんがマンドレイクに触ったら大変だよ」
こんなところで長話をして、アレックスが戻ってきたら気まずい。何より、向かいの部屋の侍女が「いい加減にしろ」と怒鳴り込んでくるかもしれない。自分の身を起こし、スカーレットを急き立てた。
「ええー、せっかくだからここで寝る。クレアは賢いから私の忠告には絶対従うし、心配してないわ」
「なにがせっかくだよ」
「ちっちゃいころはお泊りの時に同じベッドに寝かされてたじゃない。私が窓に近い方がいいってねだったの覚えてる?」
セシルは眉尻を下げた。珍しく従妹の方が幼児返りしていると思ったからだ。まだ寝たくないと駄々をこねていた頃の彼女そのままだと、呆れた。
「それで僕が窓側譲ったら、きみ今度はドアに近い方がいいって言ったよね」
「窓に近いのってなぜだかわくわくするし、ドアに近いとそれこそオーレルゲイエが入ってくるところを見られるんだもん」
「今思うと、きみは僕のベッドを独り占めしたかったんだろうね。怖い女だよ全く」
「だからといって、従兄様ったらソファで寝ることないのに。翌朝、私が追い出したと思ったお父様の怒ったことといったら」
「まさしく追い出したんじゃん……」
「従兄様、そんなにすぐ譲っちゃ駄目よ。そんなだから好きな人のことも見つめるだけで終わっちゃうのよ」
楽しそうな声音で軽やかに心を刺されて、セシルはぐっと黙った。
「そういえば、受付してるとき、窓の近くにいたわね。逃亡してる件の夫人がいるかもとでも思った?」
「……そんなじゃないよ」
セシルは宿の窓から見えた旅装の男たちのことを話した。自分たちが泊まる宿のランクを上げるか、押さえる数を減らせば彼らは安宿に泊まれたのに、少し悪いことをしたと思った、というところまで話して、セシルはスカーレットの様子が変わっていたことに気が付いた。
「……セシル従兄様、その人たち、アラベスク編みのベルトを締めてたの? 旅装だったの? 荷物、持ってたの?」
何気ない雑談に対して、身を起こしたスカーレットの声は固かった。すんなり出てきた東方の紋様の名称に、さすが商人の娘である、と思ったが、視線を合わせられたセシルは肩を強張らせた。スカーレットの顔が真剣そのものだったのだ。
「そ、そうだよ。だから、宿を探しに来た人だと思ったんだよ」
「いたわ、その人たち、食堂に」
ぱちぱち、と緑の目が瞬いた。雑多な食堂を思い出す。確かに旅装の人間も多くいた。
「部屋が無くても、食事だけ、ここでとってったんじゃない」
「あの固いお肉のスープを、わざわざ? 中心まで行けば遅くまでやってる店も安い宿も沢山あるのに。……ねぇ従兄様、そもそも、私たち、今日最後にこの町に入った人間なのよ」
なのに、なんで私たちより先に町にいたはずの男たちが、私たちより後に宿を探すの?
「――え、なんでって言われても」
そのとき、古い木造の宿の廊下が、微かにきしむ音がセシルの耳にかろうじて届いた。足音は、複数の人間が慎重にこちらへ向かっていることを、静かな部屋に教えていた。
足音は、ある時点で減った。そのあとこの角部屋の前で完全に消えた。ある者はここよりもっと手前の部屋の前で、残りはこの部屋の前で立ち止まったのだ。
部屋に明かりはついていない。スカーレットを連れ込んでいるとは知らないアレックスが入るにはばかる理由はない。従者は今さら呼ばれない限りやってこない。
妖精は近寄らない。妖精避けは相変わらず扉に掛けられているからだ。
「…………だれ?」
バンッと大きな音と共に扉が蹴破られるのと、セシルが銃の入った上着を手に取ったのは同時だった。
「っセシル様、逃げてください!!」
怒号と衝撃音と共に廊下から響いたエリックの声を待たず、セシルはスカーレットを抱え込んで寝台の後ろに飛び込んだ。侵入者の掲げた銃から発砲音がほとばしって、背後の窓のひとつが割れる音がした。
乱入してきた大柄の男は、マントのフードを被っていなかった。露になったひげ面と小さな冷たい目のせいで、まるで大きなドワーフといった体だった。
月の光に照らされたアラベスク編みのベルトは、一瞬だけ緑の目に映りこんできた。
(狙われてたんだ!)
「……っクロース!!」
「はいっ!」
パァン、と、高い、大きな破壊音がした。
混乱しながらも発されたセシルのするどい呼び出しに、厩を飛び出してきたくせ毛の美丈夫が窓を蹴り破った音だった。背後の窓の外からとんできた見知らぬ男にスカーレットが、そして正面からそれを目撃したならず者も目を剥く。
降りかかるガラスからスカーレットをかばいながら、セシルは自分達の頭を飛び越していったしなやかな体躯を頼もしく見上げた。首に相変わらずの革紐を巻き付け、人型になった水棲馬は飛び込んだ勢いそのままにセシルたちが隠れる寝台に乗り上げると、低い姿勢で獲物に狙いを定めた。金の瞳には獰猛な闘争心が浮かんでいた。
その目が、驚愕に塗り替えられるまでは。
「ご主人、無理です、あれは仕舞っておいてくれないと!」
えっとセシルが声に出す間もなく、慌てた様子でクロースは寝台から入ってきた窓枠に跳んで戻り、そこから地上へと飛び降りていった。来たとき同様、帰るときも嵐のような突然さで、一同は無残に割られた窓と、その向こうの月を呆けて見つめた。
「……アレックスのばか……」
セシルの呆然とした呟きは誰にも拾われない。
暴漢に蹴り破られた扉の取っ手には、まだ妖精避けが絡まっていた。




