兄弟旅行(三日目の休憩)
「適度な休憩は、必要だろ」
予定外の休憩をとる言い訳をセシルは苦々しく伝えたが、自分の馬車から降りずに窓から見下ろしてきたアレックスは特に何も言わなかった。
整ったその顔が、大層不満げに歪められていただけで。
***
リンデンからダンリールへの旅人も、逆にダンリールからの旅人も、そう多くはない。王家直轄地とはいえ、魔法的な要所である以外には重要な産物も特にない、寂れた土地だからだ。
王都から離れる毎に悪化する舗装の甘い道と、伯爵家のよく鍛えられた馬の急ぎ足は、慣れないベッドでろくに眠れない二夜を過ごしたせいもあり、三日目、出立まもなくにして、とうとうセシルにストップを言わせた。
「次の町まではまだ距離があります。申し訳ございませんが、セシル様、今しばらくこちらでお休みいただくことに……」
いちはやく外の草むらに消えていったキーラに勿論気がつかないで、エリックが心苦しげに街道脇の大きな木の根もとに敷物を広げ始めた。セシルももとより贅沢をいうつもりはなかったうえ、とにかく揺れないところにいきたかったので、固い土の上は願ったりかなったりだった。
地面に敷かれた敷物の上、クッションに頭をのせて寝そべると、エリックが二人ぶんの菓子とワイングラスを準備し始めた。たぶん、この菓子の匂いにつられて妖精はすぐに戻ってくるだろうと考えながら、その様子をセシルはぼんやり見つめる。自分は水でいいと、従者に伝えてしばらく緑の草影を見つめた。
馬から降りたラスターが自分の主人に何を飲むか声をかける。馬車の中からは「気にしなくて良い」というとりつく島もない言葉がそっけなく返された。
「いいって言うなら、ほっておけば……」
二日前の夜から、セシルはほとんどアレックスと会話をしていない。もともと雑談するような親密さからは程遠い二人だったが、今は嫌味の応酬すらしていなかった。
エリックたちの心配するような顔に申し訳なく思うこともあったが、現状セシルにはどうしたらいいのかわからなかったし、アレックスはどうする気もないようだった。宿でも部屋から一歩も出てこない。互いに攻撃も歩みよりもない、無味乾燥といった状態だった。
(……正直、何に怒ってんのかわかんないんだよ……)
お互いに意見を言い合っていただけだと思ったのに。
各人ごとに物の見方は異なることくらい、充分わかっていたはずだが、自分はそんなにアレックスの意見を頭ごなしに否定していただろうか。
開かない馬車の扉の装飾を見ながら、そんなことを考えた。
と、すぐそばの草むらがわずかに揺れる。エリックとラスターがさっとそちらに目を向けたが、「……風か」と呟いてまた周囲の見張りに戻った。
「セシル」
草むらの揺れは風のせいではないが、あの二人にはその正体が見えないのだから仕方ない。
キーラの金の瞳に覗きこまれながら、上体を起こすのも億劫なセシルは、従者たちが余人の有無を確認していたからと、あまり警戒せずにそのまま口を開いた。
「クッキー食べない? せっかくエリックが出してくれたんだからさ」
「……ど、どうも」
飛び起きた。
聞き慣れない声にセシルが振り向くと、キーラが出てきた方角の草むらに身を隠しながらこちらを見てくる見知らぬ少女がいた。年は十二か十三か、セシルにはその位に見えた。
キーラが見えていないだろう少女は、セシルが自分に話しかけてきたと思って返事をしたのだろうが、物々しい警戒感を出す従者二人と、庶民では所有できない馬車を二台も使っている旅人の様子に気後れしているようだった。
「し、失礼、君は?」
如何に昼間とはいえ、こんな近くに寄られるまで気がつかないというのはいただけない。
日焼けした肌にそばかすを浮かせた少女は「薬草をとっていたら、ばあちゃんのスカーフが風でこっちに来ちゃったんで……」と言って、見えないはずのキーラを指差した。反対の手には布で中身を覆い隠した籠が抱えられていた。
見ると、キーラはしれっと木の根もとに赤い布を引っ掻けたところだった。
気がつかなかった自分も相当だなと思いながら、セシルはそのスカーフを取って少女を呼び寄せた。エリックたちも気がついたようで「あれ?」「おや」と寄ってきた。
「返すよ、ごめんね」
「ううん、こちらこそ、邪魔してごめんなさい。突然ほどけたと思ったらするするっと草むらの上を風で流れていっちゃったの」
旅人の穏やかな笑顔に安心したのか、なにも知らない少女から出た言葉にセシルは申し訳ない思いがした。エリックたちに、気にしなくて良いとばかりに手を降って仕事に戻るよう伝えた。
「クッキーどうぞ。僕も連れも、今そんな気分になれなくて」
「顔色が悪いね。もしかして酔ったの?」
クッキーに目を輝かせながらも、そのあとに馬が繋がれたままの二台の馬車を見て、セシルにそう尋ねてきた。
「なら、この葉っぱを揉んで噛むと良いよ。うちの父ちゃんも馬とか船とかすぐ酔っちゃうけど、これがあれば平気なんだ」
そう言って少女は籠の布包みをほどいてセシルの手に何枚かの葉を差し出した。
おそらく、キーラは少女の持つものがセシルの酔いに効くとわかっていて、彼女をここに導いたのだろう。そう思えば、セシルも疑うことなく少女から葉を受け取って礼を言った。
クッキーを頬張る少女の横で、セシルはさっそく葉を一枚揉んでみた。青臭い汁が鼻につく。
「この辺りを通る人なんて、郵便馬車以外じゃ全然いないのに、向こうの方で何かあるの?」
無関係の人間に正体を名乗るのも、噂になりそうでよくない。セシルは適当に笑ってごまかした。
「たまに馬車が通ると凄いガタガタ言うんだよ。郵便馬車もそうだし、昨日は真っ黒な馬車もそうだったし」
少女が楽しそうに話を続けるので、セシルも相槌を打つ。草をもむとは、もうこのくらいで良いだろうかと思った頃だった。
「……おい」
突然、扉の開かない馬車から声がかけられた。
目を向けると、わずかに開いた窓からアレックスが手招きしていた。
「……ラスター、アレックスがなんか用だって」
「ラスターじゃない、あんただ」
ぶっきらぼうに言われて、重いからだに鞭打ってしぶしぶ馬車に近づいた。後ろから、少女が興味深そうについてきていたが、セシルは対して気にしなかった。
「……すぐ出るぞ。片付けさせろ」
「……急ぐのはわかってるけどちょっと、もうちょっと待ってよ」
アレックスの厳しい声音とは裏腹に、セシルは自分が悪いと思いながらも憮然と返す。急ぐ旅なのは重々承知だが、今出発したらまた馬車を止めることになりそうだった。今度は、洗濯で。
「酔い止めはすぐにきくよ」
死角からの少女の声にアレックスが舌打ちせんばかりの顔をした。なんで部外者連れ歩いてんだと目が物語っていた。
「もらったもん見せろ。ほんとに酔い止めなんだろうな。親切ごかして毒草食わされて追い剥ぎに遭うなんて、珍しい話じゃないんだぞ」
アレックスの辛辣な物言いに、少女もかっと顔を赤らめて言い返した。
「よ、酔い止めだよ! 五年前、修道院にいたっていう旅の従者のお兄ちゃんにここで教わったし、父ちゃんにもよく効くんだから!」
セシルはげんなりした。こんなところで一般人と喧嘩しないでくれと嗜めようとアレックスの顔を見た。
しかし、馬車の中から手を差し出していたアレックスの顔が強張っているのを見てしまい、セシルも思わず口をつぐんだ。
なにごとだ、と。
「大丈夫だよー、キーラもその葉っぱ知ってるー。人が死ぬ葉っぱじゃないよー」
いつのまにかアレックスの馬車に繋がれた馬の背の上に乗っていたキーラは、のんきな調子で少女の主張に補足してきた。「すごく苦いけど」とさらに付け足してきて、セシルは少し気分が沈んだ。
セシルの背後から、少女がさらなる抗議のためか馬車の前に進み出てきた。
「……あれ?」
怒りを称えていた少女の目が驚きに見開かれる。
アレックスはすぐに窓を閉め、カーテンをひいた。
「……このタイミングで昨日王都からダンリールへ向かった『真っ黒な馬車』を警戒しなくてどうすんだアホ」
アレックスは馬車の中でも話のほとんどを聞いていたようだった。苛立った声で言われれば、なるほどその通りであるが、しかし、最後の一言がセシルには余計な一言である。
文句を言おうとしたところで、少女がおそるおそるといった体で問いかけた。
「……アルお兄ちゃん?」
今度はセシルの方がぎょっとした。
しかしアレックスはその声に答えず、大声でラスターを呼んだ。
「出発する。片付けてきてくれ」
従者たちはちらりとセシルの様子をうかがったが、「セシルは酔い止めを持ってる」と畳み掛けられ、ラスターの方は片付けに木の方へ向かった。
エリックが心配そうにセシルに声をかけたが、セシルは馬車と少女を交互に見つめるばかりだった。
「……急げよ。責任があるんだろ、家の者として」
そう言われたら、セシルもぐずぐずしていられない。見下ろした少女の顔は混乱しているような、自信なさげな顔になっていた。
「ひ、人違いかもしれません、すみません……でも、薬草はほんとに効きますから……」
旅人が従者を呼びつける声で我にかえったのか、明らかに身分の高い人間の冷たい態度に、素朴な少女はしゅんと萎縮してしまっていた。
無理もない。年上のセシルもここ何日かでアレックスには圧されっぱなしなのだ。少女とともに馬車から離れながら、彼女を安心させる言葉を探した。
「疑わないよ、ありがとう……彼のこと、見たことあるの?」
セシルは後半、他人に聞かれないよう声を低くした。
「……わかんないや。私の知ってるアルお兄ちゃんももっと、子供だったし」
でも、似てる気がする、というので、具体的にどこだとセシルは追求してみた。
「顔が格好いいところ」
セシルはため息を天に向かって吐いた。
女の子ってこれだから。




