兄弟旅行(五日目の朝)
あの少女の薬草はセシルによく効いた。
アレックスにあの少女のことは、聞いていなかった。
「セシル様、ダンリールの村はもうすぐそこです。本日中に到着できるでしょう」
リンデンを出てから五日目の朝、御者と話してきたエリックは朝食をとるセシルにそう報告してきた。
「ところで、脇道に入れば、村のすぐそばにギルベット修道院があります。孤児院も併設された施設ですが、今回お立ち寄りになりますか」
ブランデンの貴族は教会や修道院への寄付を惜しまないのがマナーとされていた。通常の旅行だったら遠回りになっても立ち寄って修道院長に挨拶をして、寄付をおいていくものだが、今は急いでいる。
「今回僕たちが来てることは公にしたくないし、悪いけどスルーしよう。馬車に紋章も出てないし」
「かしこまりました。ラスターへもお伝えします」
エリックが宿屋の部屋から去ると、ミルクにクッキーのはしを浸していたキーラがセシルに顔を向けて言った。
「修道院嫌い。いかなくて良かった」
ふにゃふにゃになったクッキーをそーっと口に運ぶキーラの襟元をぬぐってやりながら、セシルは疑問に思って聞いてみた。
「なんで教会とか修道院とか嫌いなの? 聖書とか十字架とか、何か感じるものがあるの?」
以前にも、「あいつら意味わかんない」と言い捨てていたことをセシルは覚えていた。
妖精は見えていても、神や天使のことはよくわからないのはセシルも同様だった。ただ、ほかの貴族と同じように、教区の教会で洗礼は受けている。
「なんも感じないよ! ほとんどの聖職者たちはキーラたちのこと、見えてないもん。でもあいつら、キーラたちのこと、いるとわかるとそれだけで悪魔とか言っていやがるの、ほんと意味わかんない!」
クッキーもミルクも置いてくれないし、とぷりぷり怒っている妹分を宥めてやるためにもう一枚クッキーをとってやった。
ピクシーは、洗礼前に死んだ子供の魂から生まれると言われている。
存在からして相容れないのだろう。セシルは朝食の席ではそれきり、深く思考しなかった。それより気になるものが視界のはしに映ったからだった。
「キーラ、悪魔かどうかはともかく、仲間と結託して部屋の鍵を持ってったら僕たちが宿の人に怒られるから、ほんとに困るから、絶対やめろよ」
部屋のドア近くにいる見知らぬ妖精がちらちらとキーラを見ている。キーラは仲間に対し「ダメだって」と首をふった。
「……アレックスにもこんなことやってんの?」
彼が妖精に何されてようと構いはしないが、ラスターの気苦労が増えて気の毒であり、同行している自分も足止めを食らうし、と思い牽制も込めて確認した。
キーラは今度はセシルに向けて首をふった。悲しげに萎れた瞳だった。
「窓辺にチョコと鉄の置物がおいてあって、部屋のドアにアンナのと同じオーナメントがさげられてるの……」
入ることすらできないらしい。
屋敷にいるときも使用人の前ではキーラを無視するばかりだったが、それでもキーラはたびたびアレックスの部屋に入り込んでいた。今回は彼自身の経験と知識を全活用して妖精を遠ざけているようだった。思い返せば、クッキー求婚事件のことも鑑みれば、アレックスがキーラを全力で遠ざけるのも無理からぬことかもしれなかった。
しかし、うつむいてクッキーを見つめる金色の瞳には、いつだってセシルが味方してしまうのだ。
「ちょっとだけ、つついてみたら?」
「アレックス、隙を見てちゅっちゅしても髪引っ張ってもズボン引っ張っても全然反応してくれない。寂しい」
セシルの見ていないところでかなりモーションをかけていたらしい。彼のことだから、ズボンを引っ張られても涼しい顔でずり下がらないよう耐えたに違いないと思えば、ちょっと愉快な気持ちになった。
キーラがじっとりと恨めしそうに見上げながら、「笑わないで、必死なの」と言ってくる。
「ダンリール城は人がいないから、そこまでいけばまた遊んでくれるんじゃない?」
アレックスがキーラとの攻防を『遊び』と思っているかどうかは知らないが。
キーラが椅子の上で小さな足をパタパタ揺らしながら、さも面白くなさそうに愚痴を言い始めた。
「アレックスったら、ずっと部屋にこもってる~」
「キーラがちょっかいかけるから」
「お昼ご飯の時も、馬車から降りてこないしぃ」
「うーん」
「アレックスは今、誰にも会いたくないのね……」
誰にも会いたくない。
出会って間もないが、アレックスはセシルよりずっと社交的だ。講師たちにも、舞踏会の出席者たちに対しても、はじめて会う親戚にも。しかも、顔を売ろうとしていたのか、かなりにこやかだった。その彼が、今度は人目を避けるかのように個室にこもりきろうとしている。
(……そう。妖精もかなり避けてるけど、人も避けてる)
アルバートにかなり強引に連れていくよう言っていた割には、この辺りの人間に、自分の存在を知られたくないかのように。
それとも、貴族のいない場に顔を出すつもりがないのだろうか。旅の初日の晩のことを相当怒っているのだろうか。
(あの少女の件も、触れてほしくなさそうだ)
ぶすくれるキーラを撫でながら、セシルが考えに耽っていると、コツコツと扉をノックする音がした。
「お客さん、ちょっといいですかい?」
宿の女主人の声だった。セシルたちが貴族の客だと知らないからか、田舎の宿だからか、かなりくだけた口調で話しかけてくる。
「お付きの方に声かけようかと思ったんですが、なんか見つかんないんで、直接お伝えしますね」
セシルがドアを開けると、恰幅のいい女主人の後ろには見知らぬ若い女性が二人立っていた。高級とは言えないが、仕立てのしっかりした明るい色の服を着ており、町の住人だと見て取れた。
「このお嬢さん方、うちの向かいの大きな仕立て屋あるでしょう。そこで働いてる針子の二人なんだけど、お客さんの昔馴染みだってんで少し話をしたいって言うんだけど」
女主人がそこまで話したところで、娘たちが口々に声をあげた。
「待って女将さん、人違いです。この人じゃなくって」
「そうよぉ。もっと背の高い、黒い髪のぉ」
見知らぬ客に緊張していたセシルは一気に馬鹿馬鹿しくなった。要は、何かのタイミングで見かけたアレックスと話したくてわざわざ部屋まで押し掛けてきたのだ。昔馴染みだなんて言ったのは、そうしないと部屋を教えてもらえないと思ったからだろう。
「……多分、弟の方でしょう。ここじゃなくて……」
庇ってやる気にもなれなくて、アレックスの部屋を教えてしまおうとした。
「え、おにーさん、アルの兄弟なんですか?」
しゃきしゃき話す方の娘が驚きの声をあげた。
セシルの方も驚いた。部屋の位置を示そうとしていた指も中途半端に止まった。
「アルって……」
「へぇ、あいつ孤児だって他のにぃちゃんたちゆってたけどぉ、家族いたんだぁ」
間延びして話す方の娘もたれ目を大きく見開いていた。
「……弟の、ご友人ですか?」
セシルはアレックスの部屋の扉が開く気配がないのを横目で確認してから、ひそめた声で尋ねた。
しかし、そこで二人はぴたりと沈黙してしまった。
「…………友達っていうかぁ」
「………………家族、みたいなものです! あの、あたしたち同じ修道院で育ったんです」
間延びした声を遮るように、もう一人がしゃきしゃき話し始めた。
「修道院?」
「はいっ、この先のギルベット修道院。あたしたち、二人とも子供の時に、あそこで世話になってて、そこでアルに出会ったんです」
早口で捲し立てる娘の口調が熱を帯びて、緊張か興奮か、頬が紅潮してきていた。忙しいのか、女主人はさっさと階下へ降りていってしまった。
セシルは興味深く話を聞きながら、背後にキーラが寄ってきた気配を感じていた。ドアの隙間から見知らぬ女たちのドレスをじっと見つめる妖精が、余計なことをして話の腰を折らないよう、さりげなく自分の足でキーラが廊下へ出られないよう塞いだ。
「アル、というのはあいつの愛称だったんですか?」
檻に閉じ込められた猿よろしく、壁と、足、ドアの隙間から小さな手が客人のドレスに伸ばされている。セシルは精一杯何も感じていないふりをしながら、足に力を込めた。
「愛称っていうかぁ、みんなそう呼んでたから?」
「で、あの、アルとよく似た人が向かいの宿に昨夜入っていったから、あたしたちビックリしちゃって。暫く様子見てたんですけどなんも起きないから、ちょっと会ってみようって思って」
なんも起きないから、とは多少物言いに引っ掛かりはあったが、昔馴染みというのは嘘でなさそうだとセシルは結論付けた。あの薬草の少女も言っていた「アル」はアレックスのことで間違いないように思えた。なるほど、ダンリール周辺に詳しい、とはこの事だったのか。
じきにエリックたちが戻ってくる。そうなればすぐに出発だが、その間だけでもアレックスに会わせてやろうとセシルは思った。若い娘たちは偶然見かけた幼馴染みと旧交を温めたかったのだろうと想像がついたからだ。
(ほんとに女受けはいいな)
部屋の場所を案内してやろうと再びアレックスの泊まっている部屋の方へ顔を向けた。
「……」
昨日馬車を降りるときぶりに見た顔が、眉間に険しいしわを刻んで斜め向かいの部屋の前にたっていた。
「…………お、おはようアレックス」
「あ、アレックスだ、わーいっ」
キーラがのんきな声をあげる。もちろんアレックスはセシルの足下からの黄色い声を無視する。
「この人たち、君に用があるみたいだけど」
「……」
すでに旅装を整えていたアレックスは無言で部屋の鍵を閉めると、つかつかと靴音をさせながら三人に近づいてきた。
「あ、アル、久しぶりね」
「えーっと、五年? 六年? そんくらいぶりかなぁ、あは……もぉ、大丈夫なのぉ?」
緊張しているのか、とセシルは気遣った。会いたがって押し掛けてきたわりに、二人とも手放しでアレックスに駆け寄ったりはしなかったからだ。
黙ったまま三人のもとに寄ってきたアレックスは、娘二人に艶やかな、とびっきりの笑顔を見せた。
「どちら様でしょうか。セシル兄さんもすみにおけないな?」
「……アレックス」
娘二人がぼっと顔を赤らめたあと、すぐにさあっと青くなった。
セシルが咎めるように言っても、アレックスは続けた。
「はじめまして。セシル兄さんの弟のアレックスと言います」
「あ、アレックス? あれ、じゃあ、アルっていう名前はニックネームだったの……ですか」
さっきまでしゃきしゃき話していた娘がしどろもどろになってどうにか返事をしたが、アレックスは顎に手を当てて、困ったように眉をよせた。
「アル? すみませんが、私がそう呼ばれていたことは覚えている限りありませんよ」
「えっ!」
娘たちがあわあわと焦り始める。セシルの足下でキーラの手が、今度はアレックスの方に伸ばされているのをセシルは感じた。
「えっあ……」
「あ……じゃあぁ……もしかしたらぁ……人違い、かなぁ」
すっかり萎縮した二人が後ずさり始める。
身なりのいい、見るからに金のある兄弟の一人から礼儀正しく、冷たくあしらわれているのを感じとっているのだ。
「もしかしたら、そうかもしれませんね。レディ」
それが撤退の合図になったかのように、娘二人はけたたましく謝罪をしながら階段を転げるように降りていった。
あとに残されたのは、「セシル兄さん」とアレックス、そしてキーラと見物の妖精たちだけである。
「…………セシル、強盗に殺されるときは、絶対に正しく犯人を特定できるようにしてから死ねよ。この旅で目撃者なしで死んでみろ、真っ先に俺が疑われて家がつぶれるんだからな」
不用意に対応するなといつもの低い声でおどろおどろしく警告された。「そのときはスカーレットが跡をついでくれるよ」とは思うだけにとどめた。
「……アレックス」
「女の記憶に残りずらい顔のあんたにはわからないかもしれないが、ああいう手合いにいちいち時間を割かれるな。よくある名前を言って、人違いのふりをする、ナンパでも強盗でも使われてる常套手段なんだよ」
アレックスはわざと、セシルを怒らせて話をすり替えようとしている。
「いつ、ダンリールに住んでたの?」
アレックスは答えないまま、階段を降りていった。
セシルはアレックスの過去を知らない。アルバートとどうやって出会ったのかも、知らない。
でも、『アル』はアレックスそのものだ。薬草の知識がある従者のお兄さんも、娘たちと同じ修道院にいたのも。たった今も、彼が白々しい兄弟の芝居で嘘をついて娘たちを追い払ったことは明白だった。厳密には、兄弟であることは嘘ではないが、お互い慣れ親しんだ普通の兄弟のふりをして。
(よしんば、あの娘たちも、僕のこともごまかせたとしても)
足下ではキーラがほほを膨らませ、眉間にしわを刻んで階段の方をにらみつけている。
嘘嫌いの妖精が、こんなに不満そうな顔をしていたら、もう僕たちには筒抜けなのだ。




