“オリエット伯爵の息子”アレックス
「わたしは一切、叔父には何もしていません。話が終わるとそのまま部屋を出ましたから、アラン氏の行方は、わたしのあずかり知らないところです」
席に戻ることを許されたあと、アレックスは自分の言葉を反芻して、俯き、苦く笑った。
法廷に居合わせた者のうち、その発言の真意を探る者はいない。
前夜起きたことについて、アレックスは何も嘘をついていないのだから。
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アレックスが戸を開けたとき、アラン・バーティミオンは、出入り口からまっすぐ目につく地下牢の中で、一人固い椅子に腰かけていた。
地下室の鍵が回った音に反応していたのか、灰色の目は最初から来訪者の方に向いており、その姿を認めるや否や口の端をわずかに上げた。
「君かぁ。見張りが外にいたろうに、よく入ってこられたね」
鉄格子の向こうからうつろな笑みで出迎えられたアレックスは、入り口の扉に見慣れた妖精避けの紋様を見つけた。足元の不快感をやり過ごしながら、足音の反響を意識して慎重に歩く。
「あなたの作った茶が役に立ちました」
視線は手足の自由を許された罪人に向けたままに、牢の前まで近付く。倒れていた椅子を立て直して自らも腰を落ち着かせた。
簡潔な言葉にアランが「ああ」と苦笑いした。
「この場所といい、ずいぶん便利に使われてしまっているな。お客人に使わせるためのものじゃなかったのに」
アレックスがなんの反応も返さないでいると、アランも乾いた笑いを収め、静かに問いかけた。
「で、せっかく脱出したこの屋敷にわざわざ戻ってきた用件はなんだい? 分かっていると思うけど、ここで私を害すると君まで裁かれることになるけれど」
自分で何気なく言ったことへ、アランは目を輝かせた。
「そうだな、それはいいな。それでさらに、セシルが君に殺されるなら、もうアルバートの直系の跡継ぎはいなくなる」
煽りも皮肉も含まない、純粋な期待に、アレックスは笑いも怒りも見せなかった。
ただ無表情のまま、目の前の男を見つめたあと、そっと己の足元を見るように目を伏せてから、また男へと目を合わせた。
「今夜が最後だから、ちゃんと顔を見ておこうと思って」
“会いに来た用件”に、アランは微笑を浮かべた。驚きもしなければ、たいして興味を引かれた風でもなかった。
「それはありがとう。その口ぶりだと、明日私は法廷には出られないということかな。……少し、残念だな」
アランはそこで小さくため息をついた。
「法廷での私の話は、出廷されている皆様を、それこそ国王陛下も含めて、きっと楽しませられると思ってたから」
まあでも、とアランは視線をアレックスの顔から外し、さらに上の虚空へ向けた。
そこに唯一にして最愛の娘の幻影を描こうとするかのように。
「最終的に私の当初の目的が達成されるなら、あの役立たずな公爵夫人のことは目を瞑ってもいいかな。……感謝するよアレックス、現れたときにはどこからわき出た虫かと思っていたけど、最後にこんな働きをしてくれるなんて」
笑みを深くしたアランがアレックスに視線を戻す。アレックスは鉄格子越しに、その様子をじっと見つめていた。
この穏やかな笑みの男を狂気へと至らしめたものについて考えながら。
「スカーレット、の」
つかえた声でアレックスが発した名前は、この父親に愛される娘の名前だった。
脳裏に浮かんだのは、輝く日差しの下にいながら、日傘が落とす濃い影のなかに佇んでいた従妹の寂しげな笑顔だった。
「スカーレットの母親は、あなたが殺したんですか」
はじめて、アランの瞳が意外そうに見開かれた。
「奥方は、自分の娘が妖精と戯れていることを、受け入れられなかったでしょう。罵ったでしょう」
アレックスが王宮の庭で見た夢は、スカーレットの過去に思いを馳せての妄想からきたものでしかない。
だが、その妄想がほとんど事実に近いという確信が、アレックスにはあった。
「……そうだよ。私が殺した。彼女は嘘つきだったからね」
笑みはそのまま、瞳の空虚さもそのまま、アランは白状した。
「私と一緒になるとき、伯爵家の血筋がどういうものなのかを知っていたのに、生まれてくる子どもにもその性質が出ると話していたのに、……納得ずくでいたはずなのに、スカーレットの母親になってくれなかった」
殺すのはマンドレイクの妖精を使えば簡単だったと、男は笑った。もともと、この離れは妻を殺すために建てたのだとも。
「マンドレイクは、ひとたび土から根を引き抜けば泣き声で人間を殺せるけど、自身も外気の寒さに耐えられずにすぐ消えてしまうんだよ。一晩たてば、遺体とただの植物を回収すればすむ話さ」
地下牢は当時の事情を知った使用人たちを閉じ込めて同様に殺すのに使った場所だと、懐かしむように続けた。
「私は、一度ならず二度までも、選択を誤ったんだ。一度目は、兄が嫡子になるのをおめおめと見送ったとき、二度目は私の子を産み育てるのにふさわしくない女を妻にしてしまったときだ。その代償はどちらも、なんの決定権もなかったスカーレットに降りかかってしまった」
アレックスは、自分の予想か当たっていたことになんの感慨もわかなかった。
それを知ってか知らずか、アランはアレックスを見つめ返してきた。
その灰色の双眸に、僅かな自嘲を浮かべて。
「今思うとね、そこまでやったんなら、さっさとセシルも殺しておけば良かったんだよね。そうすればアルバートはスカーレットを養女にするしかなくなる。どこかの娼婦が産んだ部外者に先を超される前に、決意できていれば良かったのに」
アレックスはその言葉を表情の変化なく受け止めた。
今さら驚きはしなかった。
ただ「アランさん」と呼び掛けたとき、かすかに震えた声だったことを、発した自分自身、忘れることはないだろうと思ってはいた。
「俺を応援していると、セシルより少しだけ贔屓していると言った、あの言葉は嘘でしたか」
墓地での会話を思い出し、ああ、とアランは合点がいったように頷いた。
「まさか。君が首尾よくセシルを竜への供物にしてくれたら手間が省けるし」
いつもと変わらない、穏やかな笑みと語り口のまま、アランは続けた。
「日陰者が汚い手段で正統な後継者を貶める、その様に、共感を抱いていたのも事実だよ」
僅かにアレックスの目元がくもったのを、アランはいっそうにこやかに見つめた。
「残念ながら、どんなに挑発しても、叔父殺しの罪人として裁かれるつもりはありませんよ」
ぽつりとアレックスの口から返された言葉に、アランは苦笑して「やっぱり?」とだけ口にした。
アランには余裕があった。もはや自分の命運になど興味はなく、愛娘の栄達の道も塞がれたとあって、生きる希望などこの世のどこにもないといった体であった。
牢の外のアレックスの方が、よほど苦く重いものを抱えていた。
「……正直に言えば、俺はアルバート・ロッドフォードより、よっぽどあなたに親近感を抱いていました。境遇が似ていると思ったのもあったし、セシルよりも俺寄りだと明言してくれたのは、あなただけでしたから」
「そう。……そうだろうね」
丸い顔には、罪悪感など微塵も感じていなさそうな笑みが、じっと貼り付いていた。
この顔だと、アレックスは思った。
この顔に、自分も寄りかかりたかったと、アレックスは諦念と寂しさとともに思った。
「だから、別れはちゃんと、この目で見届けようと思ったんです」
妖精を悪魔と言った、母の言葉はある意味で正しかった。
「自分が、何をしたのかということも、ちゃんと」
悪魔に関わった人間の末路など、ろくなものではないのだ。
生まれながらの悪魔つきなら、なおさら。
多くはない松明が、アレックスの足元に朧気な影を作っていた。
その影が、波打つ水面のように揺らめいた。
それを見たアランの顔に、困惑が広がる。
「……それは、どういう意味だい?」
アレックスは、古い妖精にとって現代の妖精避けが、多少の不快感を与えるものにしかならないことをエデの宿屋で知っていた。そして、それは相手にわざわざ教えるようなことでもないとも思っていた。
今さらだからだ。
「アランさん、俺は、“兄”を殺さなくちゃいけないんです」
牢の中の男の目が、訝しげにアレックスを射抜く。
「感謝しています。墓地に行ったとき、あなたは事情もよく知らなかったくせに竜を足止めしてくれた」
アルバート・ロッドフォードが、アレックスの母の顔を知らなくて当然だ。
彼は、一度もその女に会ったことがなかったのだから。
アレックスは、正しくオリエット伯爵の直系の息子でありながら、セシル・ロッドフォードの弟ではなかったのだ。
「あのとき、アルバートの次男を、キールを竜にやっていたら、取引不履行で俺は死んでいました」
アランの戸惑いを含んでいた瞳が、みるみるうちに見開かれて、徐々に開いていった唇がわななく。
「……おい、まさか」
アレックスはふと気にかかっていたことを思い出し、それも問題ないかと自分で答えを出した。
ここはマンドレイクの叫びを外に漏らさないように作った地下牢と建物だったという。
であれば、大抵の物音は外に漏れない。
「予想はしていたけれど、ちゃんとあなたから、俺に対する本音をきけてよかったです」
アレックスは視線を足元に向けた。暗い影が意思を持っているかのようにうごめく。
石の床から影だけが盛り上がった。
――出てこい。
小さく呟いて、視線を男に戻す。
――ダンリールの、竜。
「あのとき助けてくれた、俺の命への対価だ」
アレックスは目をそらさなかった。
『兄』の脚が竜の顎に砕かれ、そのまま暗闇のなかに引きずり込まれる様は、凄惨な光景だった。
アレックスの回想が、もう一話続きます。




