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川崎市のデモの考察

一応、川崎市のデモの趣旨はヘイトスピーチではありませんでしたが、どうも情報収集をすると、結局外国人排斥に関連する内容だったようですので、以下の論調になりました。

 前回は川崎市のデモ中止騒動の適法違法を判例などを参考にできるだけ客観的に議論しましたが、今回はものすごく主観的な話です。


 結論は、私はそもそも今回のデモは非効率的だと思うし、なぜデモをするのかわかりません。


 理由はいくつかあります。第一に、嫌なら出ていけばいいと思うからです。別に、川崎市川崎区に強制的に住まわされているわけではないのだから、外国人が嫌なら、外国人が少ない町に引っ越せばいいだけの話です。


 こんなことを言うと、当然こんな反論が考えられます。


「川崎市は私達の町なのになぜ私達が出ていかなければならないのか。外国人の方が出ていくべきだ」

 

 確かに、川崎市はあなたたちの町です。けれども、あなたたち「だけ」の町ではないんです。そこを勘違いしてはいないでしょうか。前回説明しましたが、川崎市は外国人の人たちとともに発展してきた歴史を持ち、今現在も多くの外国人が暮らし、そして川崎市の住民が民主的に選んだ市長・市議会は、川崎市に暮らす外国人と日本人との共生の実現を目指しています。つまり、川崎市は日本人だけでなく、外国人も支えてきた町で、そして川崎市の意思は、在日外国人と日本人との共生なんです。そして、私は川崎市に住んでいるわけでもアンケートをとったわけでもないので確かなことは言えませんが、川崎市の住民の中には、在日外国人との共生を実現したいと思っている人も一定数いるのではないでしょうか。

 だから、デモをしている人たちはこれらの事実をはっきりと認識しなければなりません。川崎市には、デモをしている人たちのような在日外国人に出ていってほしい人もいれば、在日外国人との共生を願う人もいます。だから、少なくとも外国人が町から出ていくべきとは単純には言えないんです。

 そして、何度も述べますが、川崎市の意思は在日外国人と日本人との共生の実現なんです。なぜなら、民主的に選挙を行って、川崎市の住民がみんなで選んだ市長と議員なんですから。民主主義の基本原則です。だから、民主主義の原理原則で考えたら、どちらかといえば町から出ていくべきなのはデモをしている、外国人排斥派の人たちなんです。


 また、反論が聞こえてきそうですね。


「私たちは今の市長や議員には票を入れていない、だから彼らの方針は認めないし、従う気もない。」


「選挙に行かなかった人たちだっていた。彼らは外国人の排斥を望んでいたはずた。選挙に行かないことで彼らは意思を示していた。」


「対立候補がいなかったから仕方がなかった。」


 まず一つ目の反論は、民主主義の原理原則に反していますから問題外です。民主的に行われた選挙の結果を認めることができないのなら、民主主義国家である日本から出ていった方がいいと思います。

 次に二つ目と三つ目の反論はまとめちゃいましょう。外国人の排斥を望んでいる人が多いと思うなら、それを公約に掲げて選挙に出ればいいだけの話ですよね。出馬するための条件はそれぞれ決して難しいものではありません。日本国民ならば、年齢とお金と書類くらいなものです。それをせずに反論だけするのはただの怠慢です。デモをするくらい強い意思を持っているのなら、そのエネルギーを選挙という最も民主的な手段の方に向けたらいいと思います。


 まだこんな反論もあるかもしれません。


「公約ではそんなこと言っていなかった。」


「民主主義ならば、小数の意見も尊重すべきだ。」


 前者の反論にはこう答えましょう。公約で言っていなかったのなら、それを理由に、署名を集めて条例の改廃や解職の請求をすればいいんです。条例の改廃の請求の必要署名数は原則として有権者の50分の1、長や議員の解職の請求の必要署名数は原則として有権者の3分の1です。有権者がある程度多い場合には、この数より少なくても請求できます。特に、長や議員の解職の請求が認められたら、住民投票で過半数を超えたら解職させることができるのですから、最も民主的でしょう。せっかく地方自治の本旨に基づいて住民に請求権が与えられているのですから、存分に行使するのがいいと思います。

 後者の反論は最もです。でも、また勘違いしていませんか。確かに小数の意見は尊重されなければいけません。でも、だったら多数の意見も尊重されるべきですよね。そして、わが国は民主主義国家であり、その原理原則から、小数意見より多数意見の方をより尊重するのは当然なんです。小数意見の尊重を声高に叫ぶのもいいですが、そんな人たちはどれくらい多数の意見を尊重していますか。川崎市のデモ中止騒動では、デモ団体が数十人集まりましたが、反デモ団体は百人以上集まりました。ならば、デモ団体は反デモ団体の意見を尊重しなければいけませんよね。民主主義国家なんですから。なのに、警察に安全が確保できないと思わせるほど激しい言い争いに発展したのはどういうことなのでしょうか。


 結局、民主主義国家だからこそ十分保障されている表現の自由、そして集団行動の自由を川崎市のデモ団体は声高に叫んだけれども、民主主義国家の原理原則を軽視しているのは彼らに他ならないわけです。そして、彼らにきちんと認められている権利を十分行使もせずに、デモというただ自分たちの意思を表現するだけの行為に及ぶのはまったく理にかなっていません。デモをしたって、川崎市が外国人を排斥するようになる可能性は相当低いと思います。そんなことをするより、説得力のある論理を構築して、選挙活動した方がよっぽど建設的だし、デモをする時間で署名を集めた方がいいでしょう。そうやって外国人排斥派が勝ったら外国人を排斥すればいいし、負けたら民主主義の原理原則に従って、外国人との共生の目指しつつ、小数意見も尊重できるような地方自治をしたらいいんです。それが民主主義国家の正しい姿でしょう。


 最後にこんな反論もあるかもしれません。


「私たちがデモを続けていれば、みんなわかってくれるだろうし、外国人はこの町に住むのが嫌になっていつかはでていくはずだ。」


 大変申し上げにくいのですが、ほとんどの人の心はあなたたちから離れていくと思いますし、外国人がいなくなる前に、あなたたちが捕まるか罰則を受けることになると思います。冷静になってください。


 つまり私が言いたいことは、デモするくらいなら選挙で勝つこと考えた方がいいということです。その努力もせずにただデモを頑張ることは、言い方は悪いですが、小さい子が何とかしてほしくて泣いているのと一緒だと思います。とても幼稚です。そんな幼稚なことしかできないから、多くの人から賛同を得ることができないし、意見も通らないのです。デモをしている人の多くは成人なのだから、ちゃんと地方自治の本旨に基づいてうまく権利を行使すべきだと思います。

 だから、川崎市のデモは非効率的だし、はっきりいって理解できないのです。なぜもっと現状を変えることのできる可能性が高い方法がきちんと用意されているのにそれを使わないのか理解に苦しみます。


 まあ、選挙で勝てないことを一番わかっているのは本人なのかもしれません。署名を集めたって集まらない。だから、すがるようにデモをして、不満を吐き出して満足しているにすぎない。不満をぶつけるだけだから説得力がないし、賛同されない。そうして負のスパイラルに陥ってしまっているのかもしれません。

 川崎市のデモ団体をみていると、現在の不満とかを民族差別をして解消しようとしたナチスドイツを連想させます。ナチスドイツはユダヤ人に不満のはけ口を求めました。川崎市も似ています。まるで狭義のファシズムですね。川崎市のデモ団体にはきちんと歴史を学んでほしいものです。まあ、歴史から学べる人間ならば、ヘイトスピーチなんてしないんですけどね。21世紀、こんなにも民主主義国家が発展したにもかかわらず嘆かわしいことです。彼らは、もう一回小学校から勉強しなおすべきだと私は強く思います。


 最後に、民主主義のことを書いていて思ったことを述べて終わりにします。某エッセイの作者は、彼の作品で日本の様々な問題を取り上げ、とても批判しています。やれ民主主義がどうこうだの、福祉がどうこうだの言っていますが、冷静になったら、気にくわない感想を削除するのって、すごいブーメランですよね。某エッセイの作者は主張していることと自分がやっていることが矛盾していることに気がついているのでしょうか。大変気になります。それ指摘されたらどうするんですかね。また削除するのかな^p^

地方自治の本旨は住民自治と団体自治です。


民主主義の話と、外国人の話をしたので、近々それ関係の話でもしようかと考えています。某エッセイで指摘できるような内容もあったことですし。

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