第24話
僕は、内側にいる協力者を探すことにした。神殿に拒絶されたあの日から、いろいろと準備をして、再び神の手地域にやってきた。
神殿の裏手、鬱蒼と茂る森へと足を踏み入れる。
地図には載っていない道だ。だが、以前さまよい病について調べていたときに見つけた古い文献に、核樹の根元へと続く古道の記述があった。
それでも警備はそれなりに厳重だろう。だが、旅の途中にクインタスに稽古をつけてもらってから、潜むのが上手くなった。魔力視で番人たちの魔力反応を感知し、その隙間を縫うように進める自信があった。
冷たい湿気を含んだ風を頬に感じながら森を抜けると、巨大な岩盤の裂け目が口を開けていた。
神殿の最奥。一般の神官さえ立ち入りを禁じられた聖域。還元の儀に一度だけ訪れたことがある。
あのときは、年に一度の儀式のため、人が集まっていたが、今は空っぽだった。
都市の喧騒が嘘のように静まり返っていた。聞こえるのは、核樹の根の微かな脈動音だけ。
僕は足音を殺さずに歩いた。
隠れる必要はない。これからするのは、対等な取引なのだから。
巨大な根が露出した祭壇の前で、その背中は震えていた。
「……ぐ、ぅ……」
苦悶の呻き声。
目的の人物――ハルが祭壇に手をつき、肩で息をしていた。
純白の儀礼服は汗で背中に張り付き、整えられていた髪は乱れている。
かつて還元の儀で見せた神々しさはどこにもない。そこにいるのは、重すぎる荷物を背負わされ、今にも潰れそうな一人の青年だった。
「助けてやろうか?」
背中に向かって声を投げると、ハルが弾かれたように振り返った。足音にも気づかないほど、憔悴しているらしかった。その顔色は白粉を塗りたくったように白く、目の下には濃い隈が刻まれていた。
僕の姿を認めると、彼は反射的に姿勢を正し、取り繕おうとした。
「ここは立ち入り禁止区域だぞ。部外者が――」
「『呼び水の務め』だったか?」
僕は彼の言葉を遮り、淡々と言った。
「神官が魔力を捧げることで、核樹からより多くの恵みを引き出す。美しい自己犠牲だ。でも、実態は違う」
「……何が言いたい」
「君という高純度の魔力源を呼び水にして、核樹内部の魔力生成を無理やり加速させている。きっと君にしかできないことなんだろうな。だが、そろそろ限界だろう。核樹も――そして君も」
ハルの眉がぴくりと動いた。図星なのだろう。
「君は優秀すぎた。一人の務めで都市の消費を賄えてしまうほどに。だから神殿は君に依存し、君もそれを受け入れた。受け入れざるを得なかった。責任感か、それとも諦めか」
「……黙りなさい」
「このままだと君は核樹を殺すことになる」
その言葉にハルが唾を飲み込んだのがわかった。
僕は一歩踏み出した。
ハルは後ずさろうとしたが、足がもつれてその場に膝をついた。
「……黙れと言っている! 貴様に何がわかる!」
ハルが叫んだ。それは拒絶ではなく、悲鳴だった。
「私がやらねば、誰がやる? この都を、誰が守る? あなたのようなよそ者に、私たちの覚悟がわかってたまるかっ」
「わからなくて結構だ」
僕は冷たく言い放ち、懐から小さなガラス管を取り出した。
中には、青白い光の粒子が静かに舞っている。
よく観察すると、その中心には髪の毛ほどの細さの植物の根が浮かんでいる。都市の外縁部で採取した核樹のひげ根だ。天然のバッテリーである核樹の根は、安定して高純度の統一魔力を蓄えることができる。
「なんだ、それは……」
「君と核樹の代わりだ」
僕はガラス管を放り投げた。
ハルは慌ててそれを受け取る。その瞬間、彼の目が大きく見開かれた。
神官である彼には、見ただけで理解できただろう。その光が、どれほど純粋で、どれほど強大なエネルギーを秘めているか。
「僕の技術は、この街を養うだけの魔力を安定して生み出せる。君が命を削ることも、核樹の病を進行させることもない」
「これが……私と核樹様の代わりだと言うのか?」
震える手でガラス管を握りしめるハル。その瞳には、戸惑いの色が浮かんでいた。
「……あなたの言うことが本当だとして……こんなものを神殿が認めるはずがない。私とて……認めるわけにはいかない」
「なぜ?」
「それは……私たちはこれまで核樹様の魔力とともに生きてきたのだ。このような魂のない魔力に、この街を任せるわけには……」
ハルは自信なげに否定の言葉を紡ぐ。
僕はハルの前にしゃがみ込み、視線を合わせた。
「信仰がそんなに大事か? この街を救いたいんじゃないのか?」
「私は……しかし……」
ハルは苦々しげに、眉を寄せた。
彼の葛藤が見える。これだけ言っても頑ななのは、それだけ信仰心が強いからか。僕とは根本的に異なる価値観で生きてきたのだ。その価値観を否定はしないが、技術で救えるものがあるのに、伝統を重んじ、手段を選り好みして救う選択肢を捨てるのは愚か者だ。
いや、ハルも結局あいつらと同じ、既得権益の犬なのかもしれない。
統治区で対峙した、あの長官と同じ。
安全な場所から、死んでいく者を見下ろして笑う。自分たちの伝統と地位を守るためなら、他人の命などどうでもいいと思っている連中。
還元の儀で見た彼は、仮初の姿で、僕の目は節穴だったのか。
いや、そんなはずがないのは、この彼の姿を見ればわかる。
わかるからこそ、苛立ちがこみ上げる。
もういいか。取り繕ったって仕方ない。
僕はハルの肩に手を置き、核樹の根に彼の体を押し付けた。
「ぐっ、何を……っ」
「いいか、よく聞けよ。一人の天才のおかげで成り立つシステムが正しいわけないんだよ。お前が潰れたらどうなるか、少しは考えたらどうだ?」
ハルは僕を睨んで、何か言い返そうとするように口を開く。しかし、言葉は出てこないようだった。
ハルは僕から目を逸らし、ガラス管の中の光を見つめる。
「……私は幼いころよりずっとこうしてきた。核樹様にこの身を捧げることの他に、やり方を知らない……」
ハルは弱音を零した。そこに勝機を見出す。僕の提案にわずかに気持ちが傾いている証拠だ。
僕はハルの肩から手を離し、立ち上がった。
「ハル。君の献身は核樹を殺すが、僕の魂のない魔力は核樹を救う。選べよ。どちらが真に君の信仰に叶うか」
ハルははっとしたように目を見開いた。
彼の目からはいつの間にか蔑みの色が消えていた。
彼は僕から視線を外した。
そして、右手を核樹の根にそっと置いて目を閉じた。
その姿は、まるで核樹と対話でもしているみたいだ。還元の儀のときの凛とした姿と重なる。数秒前まで弱り切っていたのが嘘みたいに、しなやかさで、神々しさすら感じさせる雰囲気に、僕はどきりとした。
なんとなく、エルサに似ていると思った。
エルサの書斎にいると、ふと視線を上げたときに、論文を読む彼女の真剣な表情が目に入ることがあった。彼女の持つ雰囲気に、僕はいつも憧れていた気がする。選ばれた者にしか纏えないその雰囲気に。
核樹との長い対話を終え、ハルはゆっくりと顔を上げた。
その瞳から、迷いは消えていた。
「――私は何をすればいい?」
僕はにやりと笑い、手を差し出した。
「僕の犬になってもらう」




