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8歳から始める魔法学  作者: 上野夕陽
第七章

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第24話


 僕は、内側にいる協力者を探すことにした。神殿に拒絶されたあの日から、いろいろと準備をして、再び神の手地域にやってきた。

 神殿の裏手、鬱蒼と茂る森へと足を踏み入れる。


 地図には載っていない道だ。だが、以前さまよい病について調べていたときに見つけた古い文献に、核樹の根元へと続く古道の記述があった。

 それでも警備はそれなりに厳重だろう。だが、旅の途中にクインタスに稽古をつけてもらってから、(ひそ)むのが上手くなった。魔力視で番人たちの魔力反応を感知し、その隙間を縫うように進める自信があった。


 冷たい湿気を含んだ風を頬に感じながら森を抜けると、巨大な岩盤の裂け目が口を開けていた。


 神殿の最奥。一般の神官さえ立ち入りを禁じられた聖域。還元の儀に一度だけ訪れたことがある。

 あのときは、年に一度の儀式のため、人が集まっていたが、今は空っぽだった。


 都市の喧騒が嘘のように静まり返っていた。聞こえるのは、核樹の根の微かな脈動音だけ。

 僕は足音を殺さずに歩いた。

 隠れる必要はない。これからするのは、対等な取引なのだから。


 巨大な根が露出した祭壇の前で、その背中は震えていた。


「……ぐ、ぅ……」


 苦悶の呻き声。

 目的の人物――ハルが祭壇に手をつき、肩で息をしていた。

 純白の儀礼服は汗で背中に張り付き、整えられていた髪は乱れている。

 かつて還元の儀で見せた神々しさはどこにもない。そこにいるのは、重すぎる荷物を背負わされ、今にも潰れそうな一人の青年だった。


「助けてやろうか?」


 背中に向かって声を投げると、ハルが弾かれたように振り返った。足音にも気づかないほど、憔悴しているらしかった。その顔色は白粉(おしろい)を塗りたくったように白く、目の下には濃い隈が刻まれていた。

 僕の姿を認めると、彼は反射的に姿勢を正し、取り繕おうとした。


「ここは立ち入り禁止区域だぞ。部外者が――」


「『呼び水の務め』だったか?」


 僕は彼の言葉を遮り、淡々と言った。


「神官が魔力を捧げることで、核樹からより多くの恵みを引き出す。美しい自己犠牲だ。でも、実態は違う」


「……何が言いたい」


「君という高純度の魔力源を呼び水にして、核樹内部の魔力生成を無理やり加速させている。きっと君にしかできないことなんだろうな。だが、そろそろ限界だろう。核樹も――そして君も」


 ハルの眉がぴくりと動いた。図星なのだろう。


「君は優秀すぎた。一人の務めで都市の消費を賄えてしまうほどに。だから神殿は君に依存し、君もそれを受け入れた。受け入れざるを得なかった。責任感か、それとも諦めか」


「……黙りなさい」


「このままだと君は核樹を殺すことになる」


 その言葉にハルが唾を飲み込んだのがわかった。

 僕は一歩踏み出した。

 ハルは後ずさろうとしたが、足がもつれてその場に膝をついた。


「……黙れと言っている! 貴様に何がわかる!」


 ハルが叫んだ。それは拒絶ではなく、悲鳴だった。


「私がやらねば、誰がやる? この都を、誰が守る? あなたのようなよそ者に、私たちの覚悟がわかってたまるかっ」


「わからなくて結構だ」


 僕は冷たく言い放ち、懐から小さなガラス管を取り出した。

 中には、青白い光の粒子が静かに舞っている。

 よく観察すると、その中心には髪の毛ほどの細さの植物の根が浮かんでいる。都市の外縁部で採取した核樹のひげ根だ。天然のバッテリーである核樹の根は、安定して高純度の統一魔力を蓄えることができる。


「なんだ、それは……」


「君と核樹の代わりだ」


 僕はガラス管を放り投げた。

 ハルは慌ててそれを受け取る。その瞬間、彼の目が大きく見開かれた。

 神官である彼には、見ただけで理解できただろう。その光が、どれほど純粋で、どれほど強大なエネルギーを秘めているか。


「僕の技術は、この街を養うだけの魔力を安定して生み出せる。君が命を削ることも、核樹の病を進行させることもない」


「これが……私と核樹様の代わりだと言うのか?」


 震える手でガラス管を握りしめるハル。その瞳には、戸惑いの色が浮かんでいた。


「……あなたの言うことが本当だとして……こんなものを神殿が認めるはずがない。私とて……認めるわけにはいかない」


「なぜ?」


「それは……私たちはこれまで核樹様の魔力とともに生きてきたのだ。このような魂のない魔力に、この街を任せるわけには……」


 ハルは自信なげに否定の言葉を紡ぐ。

 僕はハルの前にしゃがみ込み、視線を合わせた。


「信仰がそんなに大事か? この街を救いたいんじゃないのか?」


「私は……しかし……」


 ハルは苦々しげに、眉を寄せた。

 彼の葛藤が見える。これだけ言っても頑ななのは、それだけ信仰心が強いからか。僕とは根本的に異なる価値観で生きてきたのだ。その価値観を否定はしないが、技術で救えるものがあるのに、伝統を重んじ、手段を選り好みして救う選択肢を捨てるのは愚か者だ。


 いや、ハルも結局あいつらと同じ、既得権益の犬なのかもしれない。

 統治区で対峙した、あの長官と同じ。

 安全な場所から、死んでいく者を見下ろして笑う。自分たちの伝統と地位を守るためなら、他人の命などどうでもいいと思っている連中。


 還元の儀で見た彼は、仮初の姿で、僕の目は節穴だったのか。

 いや、そんなはずがないのは、この彼の姿を見ればわかる。

 わかるからこそ、苛立ちがこみ上げる。


 もういいか。取り繕ったって仕方ない。


 僕はハルの肩に手を置き、核樹の根に彼の体を押し付けた。


「ぐっ、何を……っ」


「いいか、よく聞けよ。一人の天才のおかげで成り立つシステムが正しいわけないんだよ。お前が潰れたらどうなるか、少しは考えたらどうだ?」


 ハルは僕を睨んで、何か言い返そうとするように口を開く。しかし、言葉は出てこないようだった。

 ハルは僕から目を逸らし、ガラス管の中の光を見つめる。


「……私は幼いころよりずっとこうしてきた。核樹様にこの身を捧げることの他に、やり方を知らない……」


 ハルは弱音を零した。そこに勝機を見出す。僕の提案にわずかに気持ちが傾いている証拠だ。

 僕はハルの肩から手を離し、立ち上がった。


「ハル。君の献身は核樹を殺すが、僕の魂のない魔力は核樹を救う。選べよ。どちらが真に君の信仰に叶うか」


 ハルははっとしたように目を見開いた。

 彼の目からはいつの間にか蔑みの色が消えていた。


 彼は僕から視線を外した。

 そして、右手を核樹の根にそっと置いて目を閉じた。


 その姿は、まるで核樹と対話でもしているみたいだ。還元の儀のときの凛とした姿と重なる。数秒前まで弱り切っていたのが嘘みたいに、しなやかさで、神々しさすら感じさせる雰囲気に、僕はどきりとした。


 なんとなく、エルサに似ていると思った。

 エルサの書斎にいると、ふと視線を上げたときに、論文を読む彼女の真剣な表情が目に入ることがあった。彼女の持つ雰囲気に、僕はいつも憧れていた気がする。選ばれた者にしか纏えないその雰囲気に。


 核樹との長い対話を終え、ハルはゆっくりと顔を上げた。

 その瞳から、迷いは消えていた。


「――私は何をすればいい?」


 僕はにやりと笑い、手を差し出した。


「僕の犬になってもらう」


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