第19話
それからの時間は、数日だったのか、もっと長かったのか、正確には覚えていない。
僕はほとんど研究室から出なかった。
頭の中で転がり続けていたアイデアを、ひとつずつ式に落とし込んでいった。仮説を疑い、崩し、組み直す。その繰り返しの末に、魔素の波動性を前提とした、逆位相干渉による共鳴均質化法が、ようやく形を持った。
工務区にあるトージの工房に足を運ぶと、彼は僕が渡した設計図を一言も疑わず、黙々と具現化していった。位相をずらす回路――理論が正しければ、これでクオリアの固有振動を打ち消すことができるはずだ。
作業が終わったのは、ほとんど同時だった。
実験室には、僕とトージ、それからアジュが集まっている。
アジュは、トージの回路から流れ出るデータを追いながら、魔素の挙動を読み取っていた。
不規則に見えていた振動の奥に、ひとつの周期が浮かび上がる。
――クオリアの、固有振動数。
それは、偶然とは呼べない精度で、そこに存在していた。
「……これで、本当に上手くいくのか?」
トージが僕に問いかけた。
薄暗い研究室の中央に鎮座するそれは、お世辞にも美しいとは言えなかった。
無骨な鉄のフレーム。幾重にも巻かれた巨大なコイル。
そして、特徴的なのが、蛇のようにうねる二本の銅パイプだ。
基部で分かれたパイプは、それぞれ異なる長さを経由して、再び一点で合流している。
空気中から取り込んだ魔素を二つに分け、片方の位相をずらして再衝突させる。
単純だが、精緻な計算が求められる装置だ。
「……うまくいくさ。いかなきゃ困る」
僕はダイヤルに手をかけた。
パイプの長さを調整するスライド機構が、重々しい音を立てる。
アジュは、資料を抱えたまま僕たちを見つめていた。
彼女の記憶したデータや計算能力が、この装置の設計に大きく貢献している。クオリアの波長、その正確な数値がなければ、この管の長さは決められなかった。
「僕の理論と、アジュの解析。そしてトージの技術力。全部が揃って、ようやくここまで来た」
トージは何も言わなかった。
ただ、娘の名前をつぶやいて、目を伏せた。
「3、2、1……励起開始」
ダイヤルを回す。
ブーン、という唸りが、徐々に高くなっていく。
共鳴管の中で、魔素が特定の周波数で共鳴を起こし始める。
ガラス管の中が、ぼんやりと光り始めた。
だが、その光は頼りなく、明滅しては消えていく。
まだだ。
ただ励起させただけでは、クオリアが暴れてエネルギーの形を保てない。これでは霧散して終わりだ。
「ここだ」
エネルギーが臨界点に達した瞬間。
「位相遅延回路、接続」
僕はレバーを倒した。
唸り声が、一瞬だけ絶叫のような高周波に変わる。
暴れるエネルギーが、遅延回路へと流し込まれ、自分自身の影と衝突する。
そして――
音が、ふっと消えた。
完全な静寂。
位相のずれた波が互いを食らい合い、クオリアが沈黙した瞬間だった。
その静寂の中、何もない空間から、青白い光の粒子が降り注ぎ始めた。
まるで雪のように。ゆっくりと、静かに。
「……きれい」
アジュの口から、声が漏れた。
僕は魔力視を発動した。
模様がない。
ただ、整然と並んだ光のグリッド。完璧で無個性な格子構造。
あまりに美しく、人工的な静寂。
「……成功だ」
声が震えた。
「統一魔力の生成に、成功した」
エルサの成し遂げた『変換』ではない。
既存の魔力を壊して作るのではない。
大気中の魔素から、直接、統一魔力を『生成』したのだ。
「……お、おい」
感慨にふける間もなく、トージが僕を呼んだ。
彼は、計器を凝視している。
見れば、魔力計の針が振り切れていた。
「なんだ、この数値」
僕は息を呑んだ。
生成されたエネルギー量が、理論値を遥かに超えている。
ひとつひとつの魔素が持つエネルギーを足し合わせた総和よりも、遥かに大きい。
「一体何が……」
しかし、考える間はなかった。
実験の成功を確認するために送魔線を繋いでいた魔力灯が、一瞬だけすさまじいほどの光を放ち、そしてパリン、と割れた。
ガラスの破片が飛び散る。
僕は咄嗟にアジュを庇い、トージは机の下に身を隠した。
しばらくして、静寂が戻った。
研究室は薄暗く、破損した魔力灯の残骸があちこちに転がっている。
「……は」
僕は、乾いた笑いを漏らした。
「はは……」
笑いが止まらなかった。
「おい、大丈夫か」
トージが顔を上げ、心配そうに僕を見る。
「大丈夫もなにも……」
僕は、自分の手を見つめた。
「僕たちは――いや、人類はとんでもないものを、手に入れてしまったかもしれない」
夢のエネルギー。それとも悪魔の兵器か。
エルサが開発した統一魔力変換技術も、そうだった。
彼女の技術は、奴隷化魔法と結びついて、帝国の狂気を支えている。
僕の技術が、同じ道を辿るかどうかは……わからないけど。
「……ロイ」
アジュが、僕の服を引っ張った。
「大丈夫?」
その声で、僕は我に返った。
「……ああ。大丈夫だ」
僕はアジュの頭を軽く撫でた。
「とりあえず、片付けよう。明日、もう一度実験する」
トージが頷いた。
彼もまた、何かを考え込んでいるようだった。
僕たちは黙々と研究室を片付けた。
割れたガラスや焦げた配線、そして散乱した資料を片付けながら、僕の頭の中には、あの光景が焼き付いていた。
青白い光の粒子。完璧な格子構造。
あまりに美しく、あまりに強大な、人類が手にした新しい力。
――これを、どう使う?
カエを救うため。
さまよい病を治すため。
ハルの右腕を治すため。
この都市を救うため。
そう、それらが目的だったはずだ。
だが、この力は、それだけで済むものじゃない。
核樹の負担を減らし、都市に十分以上のエネルギーを供給できる。
そして、いずれは地下都市ネハナだけに留まらず、世界すら変える可能性を秘めている。
僕は窓の外を見た。
発光苔の光が、静かに揺らめいている。
まずはこの技術を完成させなければならない。
話はそれからだ。




