第一章 復讐の季節 Ⅲ カレル平原の会戦
5. カレル平原の会戦
断歴995年、晩春。
カレル平原に展開する兵は、実に十万を超えていた。
正面にアソセス約五万。
西にガレス三万。
北丘にラインベルト三万。そのうち五千は、白銀の騎士団。
カレル平原を埋め尽くしたアソセス軍の陣容は、まさに鉄の城塞であった。
総大将ソードリック将軍が敷いたのは、6メートルを超える長槍が突き出す「亀甲長槍陣」。
さらに、クスト・レア率いる四千の遊撃隊は、その外縁を駆け、敵の足を止める「鎌」としての役割を担っていた。
クストは大陸最強と名高い『黒騎兵』を率い、本人も無双の武を誇るアソセスの英雄である。
緒戦、ラインベルトの白銀騎士団の突撃を、強力な長槍の陣形が正面から跳ね返す。
「堅い……」ラノアは呟いた。
歴戦の名将の誇る、必勝の戦術……。
だが、その絶対的な盤面は、最も信頼すべき一点から崩れ始めた。
アソセス軍副将ラヌムスは、槍林の向こうで迫る白銀を見つめた。
――これが最後だ。
半年前、彼は印章に血で署名した。
国ではなく、“秤”に。
「今だ。予定通り、盾を引け。英雄の背中がどれほど脆いか、見せてやれ」
ラヌムスは右手を挙げた。
それは本来、横陣を締める合図だった。
だが次の瞬間、旗手が軍旗を反転させる。
アソセス軍の右翼を担い、長槍陣の側面を支えるはずの彼の部隊が一斉に反転し、陣形を解いたのだ。
「……副将殿? 横陣を締めるのですか?」
彼の副官が問いかける。
「違う、これは――?ラヌムス殿、何を――?」
と言いかけた腹心をラヌムスは斬る。
副官の胸甲が裂け、血が噴いた。
最初に倒れたのは、十年付き従った副官だった。
彼の目は最後まで、理解できないままだった。
この瞬間、長槍陣に、密集陣形の連続性が途切れた「無防備な横腹」が露出した。
「ラヌムス! 何をしている、持ち場へ戻れ!」
ソードリックの叫びが響くが、ラヌムスは嘲笑を浮かべる。
あろうことか自軍の背後を守る後備部隊へ向けて、無防備な背中を晒した兵たちを斬り捨て始めた。
この瞬間は、最初から用意されていた。
「……計算通りだ。美しいな、組織が自壊する音は」
「隙ができた!逃さず突っ込め!」
ラノアが叫ぶ!
地平線を銀色に染めて、ラインベルトの「楔状重装突撃」が放たれた。
ラノアを先頭とする五千の白銀騎士団。
彼らは怒濤の勢いで、「絶望の入り口」へと吸い込まれるように突き刺さった。
地鳴りが走る。
三千の蹄が地面を裂き、草が裏返る。
最前列の長槍が、馬の胸に突き刺さる。
だが止まらない。
その背後からさらに二千が押し込む。
「馬鹿な……背後からガレス軍だと!?」
側面を食い破られ、たじろぐソードリックの視界に、内海側から回り込んでいたガレス軍三万が映り込む。
ガレスの重装騎兵が回り込み、重装歩兵の盾が一斉に地面を打つ。
槍衾が横から食い込む。後方から弩弓が放たれる。
そして、三万の足並みが揃い、鉄と鉄が擦れる音が、平原を震わせる。
包囲とは円ではない。それはゆっくりと閉じる巨大な顎だ。
バスタレイン率いる重装騎兵・重装歩兵による
「鉄槌包囲陣」が完成する。
「ガッハッハ! 脆い、脆すぎるぞ! 戦場を支配するのは知略じゃねえ、逃れようのない『圧倒的な力』だ! 奴らの希望ごと、この平原に真っ平らに磨り潰せィ!!」
バスタレインの地を揺らす咆哮と共に、巨大な鉄槌が振り下ろされる。
逃げ場を失った四万五千のアソセス兵は、もはやただの「肉の壁」として磨り潰されていく。
砂塵の向こうで、鉄の壁が崩れた。想定よりも、あまりにも早く。
アリスは最後尾の自陣からそれを見つめ、ただそう思った。
(……すごい)
(私には、あそこまでの“力”はない)
それは知略ではなく、純粋な軍才の領域だ。自分にできないことから、目を背けることができなかった。
彼女の一万は動いていない。
だが、もしこの均衡が崩れれば、その一万が最も危険な位置に立つ。
「閣下、もはやここまでです! ラヌムスの裏切りで指揮系統は完全に断絶しました!」
血まみれの伝令の叫びに、クスト・レアは黒い軍馬の手綱を握り締めた。
遊撃隊として外縁にいた彼は、味方を盾に悠々と戦場を離脱し、ガレス軍の陣営へと「合流」していくラヌムスの軍旗を、血の涙を流さんばかりに睨みつけた。
「……あいつだけは、いつかこの手で」
だが、今はその猶予さえない。
ソードリックの本陣が、ラノアの白銀騎士団に飲み込まれるのが見えた。
もともとこんな戦争活劇(三国志みたいな)をたくさん書きたかったのですが、今後は陰謀政治劇になっていきます。(何故だろう……)




