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第五章 見えない絞首刑 Ⅱ

3. ベベクロの困惑


 ガレスの軍師ベベクロは、手元の報告書を何度も見返しては、苛立たしげに筆を置いていた。


「……不可解だ。計算が合わぬ。断じて合わぬ」


 カーターベイの物流封鎖は完璧であるはずだった。


 アソセスの食糧備蓄はすでに限界を超え、今頃は暴動と飢餓が王都を焼き尽くしているはずなのだ。

 だが、報告されるリスパトの様子は、困窮してはいるものの、致命的な崩壊には至っていない。


「アリス王女……。貴女は一体、何を隠している」


 その場に、彼女の姿はない。

 しかしベベクロには、誰もいない執務室の窓際に、魔女のような冷ややかな微笑を湛えたあの王女が立っているような幻影が見えていた。

(『感情で帳簿の数字は動かせない』……そう仰いましたな、王女殿下。だが貴女は、私が組み上げたその数式の中に、何かを仕込んだというのですか)


 ベベクロの焦燥は、自身が「見えない何か」に敗北しつつあるという屈辱から生じていた。

 アリスが第十二条を飲み込んだあの瞬間から、彼女の「銀髪の毒」は条約文を伝わり、ガレスの管理を狂わせ始めていたのだ。


「物流の最適化管理……。ふん、言葉遊びの裏にこれほどの『綻び』を隠していたとはな」


 アリスの蜘蛛の糸は、ベベクロの完璧な理論に対する挑戦であった。

 だが、このアリスの「知略による救済」こそが、取り返しのつかない悲劇へと変質させられようとしていることを、この時のアリスはまだ知る由もなかった。


4. 帝国の「検収」という名の壁


 アリスが命懸けでオマールの絶壁から送り込む麦。

 それは確かにリスパトの地下倉庫へ届いていた。

 しかし、リスパトの連合軍の管理官たちは、軍師ベベクロの教えを忠実に守っていた。


  「未登録の物資は、すべて『徴収』の対象である」


 市場に「出所不明の安い麦」が出回れば、彼らは即座にそれを「密輸品」として押収する。

  アリスの救済が届けば届くほど、カーターベイの検問は厳しくなり、皮肉にも正規の市場価格はさらに跳ね上がっていった。


 連合国の目を盗んで地下倉庫から配られた麦も、民衆を救うことはなかった。

 飢えは、人を隣人を愛する聖者にはしない。

 一握りの麦を巡って、昨日の友が殺し合い、力ある者が弱者から奪い取る。

 そして多くの麦が闇市へと流れていった。


  「この麦は、アリス様が送ってくれたものです!」


 エララがどれほど叫んでも、奪い合う者たちの耳には届かない。

 彼らにとってそれは「王女の慈悲」ではなく、「今夜生き延びるための略奪品」でしかなかった。

 配分を統治する権力(アリス)が不在の救済は、ただの「争いの種」を撒いているに等しかった。


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