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第三章 怪物たちの盤面

3.再会と猛毒の抱擁


 仮面の儀式という地獄を終え、アリスが王都ケルテミスの冷たい廊下に踏み出した瞬間、前方から小走りにやってくる人影があった。


「姉様! お帰りなさい!」


 アトラクト王国第一王子、シオン。

 その瞳は濁り一つなく、アリスの世界を照らす唯一の光だった。

 先程まで父王の前で氷の彫像のようだったアリスの顔が、瞬時に溶け崩れる。

「シオン! ああ、私の可愛いシオン! 姉様がいない間、ちゃんと眠れていた? ご飯は食べたの? どこか体の具合が悪いところはない? 誰かに変なことを吹き込まれていないかしら!」


 アリスは優雅なドレスを翻して膝をつき、シオンを全力で抱きしめた。

 頬をすり寄せ、クンクンと弟の匂いを嗅ぐ姿は、もはや外交特使ではなく、ただの重度なブラコンである。


「姉様、くすぐったいよ。僕は大丈夫。パラネス先生とリリアンが、ずっと一緒にいてくれたから」


「お帰りなさい、姫様! シオン様、あんまり走ると転んじゃいますよ!」

 シオンのすぐ後ろから、明るい声を上げて駆け寄ってきたのはリリアンだった。


 15歳になった彼女は、シオンの遊び相手兼、アリスの私的従者として王宮に馴染んでいる。

 彼女の存在は、ケルテミスの王宮において、アリスが唯一「嘘」をつかずに接することができるエルマから連れ帰った希望の残り香だった。


 リリアンは、アリスの背後に佇む巨大な「鉄の置物」を見て、怖がるどころか好奇心に瞳を輝かせた。


「わあ……凄い。ねえ師匠、そのお面の人、新しい近衛騎士さんですか? かっこいい! 『お面の人』、リリアンです、よろしくね!」


 クストの鉄仮面に無邪気に手を振るリリアン。

 その矛先は、影に徹しようとしていたジークシールドへと向けられる。


「それより師匠! 姫様と一緒にいたなら、もっと早く教えてくれればいいのに。全然連絡くれないんだから、冷たいですよ!」


「……リリアン。私を師と呼ぶなと言ったはずだ。それに、今は公務中だ。騒ぐな」


 ジークシールドは表情を一切変えないが、その眉間には明らかに「鬱陶しい」と言いたげな、不器用な人間味のある皺が寄っていた。


「姫様。感動の再会に水を差すようで恐縮ですが、特使としての威厳が王宮のちりとなって霧散しておりますぞ」


 シオンの背後から、呆れたような声が響く。

 アリスの軍師としての師であり、現在はシオンの教育係を務める老練な大臣、パラネスであった。


「パラネス、貴方という人がいながら! なぜシオンをこんなに痩せさせたの!?(※実際は成長期で少し背が伸びただけである)」


「……やれやれ、私の教育が至らぬせいで、姫様の観察眼まで曇ってしまわれたか。それよりも」


 パラネスの鋭い視線が、鉄仮面の騎士へと向けられた。


「そちらの、不気味な鉄仮面の番犬について、後ほど詳しく伺わねばなりますまいな」

  「……ええ。私の、新しい『道具』よ。シオン、リリアン。この男を怖がらなくていいわ。貴方たちに近づく害虫を駆除するためだけに存在しているのだから」


 アリスは、シオンの無垢な手を握り、リリアンの明るい笑顔に毒気を抜かれながらも、その瞳の奥に冷徹な光を宿して微笑んだ。


4.怪物たちの盤面

 断歴996年、春。

 ケルテミス王宮の謁見の間。


 父王ミルケ・ジオと軍師ベベクロの対談は、静かな狂気を孕んで進んでいた。


「やあ、軍師殿。お久しぶりだね」


「陛下におかれましては、ご健勝のようで何よりです」


 父王は、まるで旧友と茶を飲むような気軽さで、提出された条約案を眺めた。


「条約の内容は確認させてもらったよ。……しかし、君たちにしては随分と甘い額の賠償金請求だね。君のところのブイヨス王が納得するとは思えないけど?」


 ベベクロは糸のような目を細め、慇懃に答えた。


「はい。欲望に忠実なことだけが美点の方ですから。……ですが、アソセスも限界です。それに、ラインベルトのラノア殿も『敗者に鞭打つのは騎士の道にあらず』と、随分と寛大な処置を希望されまして」


「なるほど。あの甘い正義漢ならしようもないか」


 王は含み笑いを漏らした。その笑みの不気味さに、ベベクロの背中に嫌な汗が流れる。


「いいよ。あの条項以外は、アソセスもミーテラスも、きっと納得してくれる内容だ。……署名させよう」


「感謝いたします、陛下」


「ところで軍師殿。……あまり、私の娘をいじめないでおくれよ」


 父王はふと顔を上げ、ベベクロを見据えた。


「あれは私の、最高傑作なのだからね」


 愛する娘への言葉ではない。自慢の「工芸品」を壊すなという、所有者としての警告。

 ベベクロは反射的に、この王の底知れなさに戦慄した。


「さて、昼食の時間だ。二刻後に王の間で、全権特使を交えて条約調印をしよう。……ああ、それと」


 王はベベクロが去り際、付け加えるように告げた。


「帰ったら、君の主の『彼』によろしく伝えといてくれたまえ」


 王宮の外へ出たベベクロは、春先の冷たい空気を大きく吸い込んだ。


「……ふう。あの娘にして、あの父親、か。アトラクトの王……。まともに相手をしては、こちらまで狂気に呑まれるな」


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