第二十六話 焼け跡
<ロゼ視点>
日中はフレアが生徒たちに授業をして、夕方以降はフレアがアズサを気遣って肉体の主導権を渡す生活が始まった。最優先される人格はフレアみたいで、子供と大人の口調が交互に切り替わるような会話が面白かった。
最初の最初こそアズサは受肉を拒んでいたけれど、やっぱり外の世界を感じ、モノに触れられるというのはたまらなく嬉しかったみたい。
二十年の仲でもアズサについて初めて知ったことは多かった。
色んな種類の料理が作れるのに味付けが雑だったり、字に癖があったり。
ある日、フレアが生徒たちと絵を描くと言って、自宅に持ち帰って絵の具を使っていた。その時、洗濯した後で畳む前のアタシの私服を汚された。フレアとアズサが交互に絵を描いていたみたいで、大人二人が揃っていながら周りを気にせずに夢中になっていたもんだから、二人に向かってブチギレた。『フレア』に向けて叱りつけているわけだけど、アズサに対しても説教していると思うと面白かった。殊勝な態度で謝る様子に思わず笑っちゃったもの。
まあ、こんな感じで幸せに暮らせていた。
夫と娘と暮らしていたときみたいに、家庭の温かさというのが身に沁みて感じられる。
受肉というのは、人格が表に出なくても周囲の様子は本人同様に感じられるし、心の中ではお互いにやり取りできるみたい。超久しぶりに教壇からの景色を眺めたというアズサの気分の上がりようはとんでもなかった。
教師の血が沸き上がったのか、授業中のフレアに向かって言い方がどうだの教材の進め方がどうだの心の中で言いまくってたみたい。アタシに向かってそんな文句垂れてたら授業を中断して脳内喧嘩が始まってただろうけど、素直なフレアは参考にして授業を進めてた。
半信半疑だったけど、アズサが教師だったのは本当のようね。魔人の学校でもあるのかしら?
フレアはアズサの助言?お節介?もあってか、年齢の割には落ち着いた雰囲気を纏うようになった。生徒たちにとっても”親身になってくれるお姉さん”から”頼れる大人”に変わっていき、アズサを『先生』と呼ぶようになった。
アタシから見たらフレアに教師としての非の打ち所はない。一方で、アズサを受肉させた本来の目的である魔術に関しては―――
「アテが外れたわね」
『情けなくなるから言わないで……』「いえ! 先生のおかげで威力、精度は向上しています!」
フレアの言う通り、これまで扱えていた魔術は受肉による魔導路の拡張で強力にはなった。けど、課題であった《大壇焔》の発動はできないままだった。今までのように過処理になって、鼻血を出して気絶しなくなっただけでもマシかもしれないけど。
「一回さ、アズサに入力処理を全部任せてやってみない?」
『魂が二つあるからこその芸当ね』「う~ん……」
仮説だけど、受肉体は意識が二つあることで並列処理が簡単になっているという予想で提案した。アズサからは否定されないし、この予想は合ってそうね。
フレアは納得していない様子だけど、成功体験が及ぼす影響というものをこの二十年間で何度も見てきた。フレアも生徒たちを見て理解していないわけではないし、やってみてもらうことにしよう。
夜の校庭に修練用で用意した指輪の魔導器で結界を張る。炎の逃げ場として上部を開放しておく。
フレアは灼杖を持ち、術式の手順を口にしながら《大壇焔》を発動する。
「大炎の発生」
『灼杖に入力』
「結界の形成」
『身術へ再入力』
「ぐっ……くうぅ……! 結界上部の開放!!」
ガラスが割れた音と共に、夜空に一条の火柱が伸びる。
《大壇焔》が初めて形になった。
アズサに処理を肩代わりしてもらっても、唸る程度には負荷が掛かったようで、フレアは肩で息をしている。けれども、その顔は達成感で満たされていた。
喜びも束の間、アズサに対して処理のコツを聞いていた。
『う~ん……あんまりやったことはないけど、釣りみたいな感じかな。浮きを放り投げて水面に垂らして、浮きが動いたら引き上げるみたいな』
アタシでもなんとなく分かる。言語化が上手いな~。
その後のフレアの行動は早かった。校外学習と称して全学年を川辺に連れ出そうとしたので、さすがに注意した。実践するのはいいけど、生徒たちを巻き込むとは思ってなかった。公私混同も甚だしい。
一応それらしい課題を用意した上でアタシも引率し、校外学習は実現させた。釣りはもちろんしたし、釣果を昼食にしたのは良い思い出になった。
それを踏まえた修練はフレアだけの処理でも、結界にひびが入るまでいったりしてなかなか惜しかった。
時間に追われているわけでもないし、気長にやっていこうと思っていた。
修練も上向きになり、フレアが魔衛士になって三年が経った頃。つまり今―――
戦
姫、襲 来。
ファッッ!!??
卒倒しなかっただけマシ!
結界の点検と称して満開になった花に水をやりに行った帰り。事務職員が焦った様子で林道の手前に待ってて、フィーネちゃんが魔衛士を連れて訪問したと告げられた。
アズサと関わるようになってから注意深くヒカネで会わないようにしてたのに、連絡もなしに会いに来るなんて思わなかった! アズサを討伐しに来た? いや、フレアに受肉しているから砦を見せてフィーネちゃんに「いなかったね~」とか言っとけば、たぶん躱せる! 頭は回るけど勘がいいわけじゃない! よし、なんかいけそう!
校長室まで駆け、扉の前で一息。そう、いつも通り。フィーネちゃんを堪能すればいいのよ。
扉を開き、真っ先に目に付いたフィーネちゃんに飛びつく! 相変わらずの塩反応。でも好き!
すると、横目に男の影がちらついた。よく見ると、珍しい黒髪黒目。フレアが言ってたステアの容姿と一致。
フィーネちゃんの前にいるってことは、魔衛士……?
「誰よ!! この男!!!?」
ステアじゃないって言って!!!!
~~~
ハイ、ステアですよね。
頭おかしなりゅうぅぅぅぅ!!!
案の定フィーネちゃんはアズサを討伐するつもりで、ステアもちゃんと付き従っていた。
ステアの人となりを見てみると、魔力の件も含めてフィーネちゃんとの相性は抜群で、任せるに足る青年だった。けど、話している最中のこっちを見る目がおかしい。アタシの悪ふざけにも付き合ってくれるけど、アタシの目を見ているようで別の『何か』を見据えているようだった。
フレアの言ってたことが何となく分かった気がした。こいつはおかしい。
その後はご存じの通り。
フレアを見る度にステアの目はキマっていくように感じた。アタシじゃなきゃ見逃しちゃうね。
こいつの何がヤバいって、ちゃんと魔衛士してるし、こっちを察するぐらいには勘が良いし、頭が回るのよ!
その上、泊めさせてくれてるからってご飯作りとか洗い物とかよくしてくれた。フィーネちゃんに健気にご飯を食べさせようとしたときなんて、アタシが泣きそうになった!
そういう性格とか能力はフィーネちゃんには不可欠だから、魔術の基礎的な再教育を施したし、魔石の剣も用意してあげた。
ただ……ただ! 今、このときにヒカネに来てくれなければ!!
よくよく考えれば、ステアがフレアを焚きつけて、アズサがフレアに受肉して、そのフレアをステアが倒そうとする……
どんだけできた話よ。二等冒険者じゃなくて自作自演の放火消防士でも名乗っとけば?
~~~
そうこうしているうちに修練の日になった。
「お二人とも、残念な報告です。多分、ステアにはバレてます」
「チッ……!」『ウソでしょ……』
アタシの言葉にフレアは恨めし気に大きく舌打ちし、アズサは驚愕している。
「あっちにはフィーネちゃんもいるし、現実的に考えれば今日が最後の修練ね」
唐突な別れの時。砦の花は満開になり、アズサの当初の目的自体は達成されている。けど、ただ、この暮らしを手放したくない。
重い空気がアタシたちにのしかかった時、フレアが沈黙を破る。
「今日こそ《大壇焔》を習得し、二人と戦ってみせます」
圧倒されるほどの覇気がフレアから発せられた。
非常時だというのに、ただ、弟子の成功を祈ることしか頭になかった。
校庭の真ん中で、フレアが灼杖を構える。
大きく深呼吸。
大炎が生まれる。
炎が立方体の形を取る。
次第に炎は小さくなり、周囲が暗闇と静寂に包まれる。
フレアが唸る。灼杖を握りしめる。額から汗が伝う。
ひび割れの音が聞こえる。
アタシは祈るように両手を合わせる。
お願い! 割れて!!
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!! 《大壇焔》!!!」
フレアの咆哮と共に、夜空を照らす一条の光が放たれる。
全てを焼き尽くす地獄の業火。
けど、アタシたちにとっては、これまでの歩みを祝う聖火でもある。
周囲から熱が引いていく。
夜の校庭に、フレアの息切れだけが響く。
フレアと目が合う。その瞳の奥にはアズサもいる。
互いに拳を握りしめ、叫ぶ。
「『「シャアアアアアアアア!!!」』」
《大壇焔》は完成した。
「よし! あとはステアをぶっ殺すだ――」『アホ!!』「でッ!?」
アガりまくったフレアをアズサがどついたのかな。
「とにかく! フィーネちゃんのためにも、ステアを殺すなんてできない。一番良いのは、あっちが行動に出ないこと。今日の話し合いの感じだと、フレアを相手取るのはステア。戦いになっても半殺しに留めて、口外禁止の契約でもすればいいでしょ。フィーネちゃんにはアタシが足止めと説得をしてアズサの存在を認めさせればいい。戦うのは――」
「もう……あいつに人生めちゃくちゃにされるなんて嫌です。私は殺します」『私がやるよ……』
完全にイっちゃってるフレアの表情から、アズサの苦い表情へと移り変わっていく。アズサにとっても綱渡りだろうに、アタシたちを尊重しながらこの生活を守ろうとしてくれている。
こっちの方針は決まった。勝てばいい。それだけ。
けれど、翌日学校から帰ると、フィーネちゃんとステアの空気感が異様だった。
二人の覚悟は本物だった。止められないことを痛感した。
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フィーネちゃんを連れて砦まで歩いたけど、頭真っ白になりながらベラベラしゃべってた。
いつの間にか砦の階段を上がり、フィーネちゃんを見下ろしている。
純白の……月に照らされた美しい姿に目を焼かれ、何も考えられなくなった。
「さて、と……ここまでついてきてくれて、ありがとね。フィーネちゃん。でも――」
苦しい。
「ハズレよ」
どうすればよかったの……
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<フィーネ視点>
夫を亡くした後のロゼの苦悩。彼女を導いたアズサという魔人。ステアに魅せられたフレア。
ロゼの話を聞き、いかに分厚く、重いものを斬り裂こうとしたのか思い知らされた。この街に着く前の、軽い気持ちで魔人を倒そうとした自分の浅ましさが嫌になる。
ロゼは顔を伏せ、言葉を継ぐ。
「アタシ、どうすればよかったのかな……アタシが先生になれただなんて考えたのがバカだったのかな……学生時代はフィーネちゃんに寄り掛かって、ただ力があるだけの女なのに、誰かを導けるなんて思ったのが傲慢だったのかな。そのせいで、フレアを傷つけて、アズサともこんなお別れになっちゃった」
悔恨に塗れた声が鼓膜に張り付く。
どうすればいいのかなんて―――
「わから、ない」
私の言葉に、ロゼの体が重くなる。
なんて……言えば――
『全部拾いに行くぞ』
あっ……
「誰も……死んでない」
「え……?」
私の呟きにロゼが反応する。
思った端から口が動く。
「ロゼがバカになるなら、私はもっと救いようがないバカよ。親友だと思ってたのに、ロゼの悩みに全く気付かなかった。そ、れ……に―――」
ロゼの言葉を思い出すと、息が詰まりそうになる。
「ロゼが、私に向け、た想いは、全てじゃ、なくても、私が、しでかしたことに、違い、なくて、私、もロゼを、苦し、めた……」
それでも、ロゼは―――
「それでも、逃げずに……向き合うことを、諦めなかった。ロゼが、諦めなかったから、アズサとも……親友になれた。フレアも、強くなった。そのフレアは、今、教師として、子供たちを、導いてる。ムダなんかじゃ、なかった。ロゼがいなかったら、今日、きっと、誰か死んでた。誰も、相手のことなんて考えず、何も知らないまま殺し合ってた。だから、ロゼはすごい。どれだけ自分のことを責めても、私たちは……ロゼのことを責めたりなんかしない」
ロゼは俯いたまま。
気付けば、灰しか残っていない林道を抜け、入り口に戻ってきていた。
ここから校庭が見える。そこには――
「ロゼ、見てあげて」
「ん……?」
ロゼは目線だけ前に向けてその光景を見ると、次第に顔を上げていく。
血塗れのフレアの前に四人の子供が立ち、火傷が痛々しいステアに向けて罵詈雑言を浴びせている。
「最低!!」
「先生にどれだけのことを!!」
「人として終わってる!!」
「クソ野郎!! 死ね!!」
受け手のステアは地面にふんぞり返って笑っているだけ。
「あの、皆……これには―――」
「「「「先生は黙ってて!!」」」」
「あっ、はい……」
フレアが制止しようとするけど、四人の圧になすがまま。
血生臭いところを除けば、初等学校でよく見られた光景。
やんちゃした男子を女子たちが寄ってたかって糾弾し、やりすぎを止めようとする先生が女子たちの勢いを止められないでいる。
これが、ステアの望んだ―――
ロゼは吹き出し、笑い、泣いている。
「何よ、この……『最高の景色』は……」
一度は理想も夢も、焼き尽くされたかもしれない。それでも、焼け残った灰にはこれまでの思いが詰まってる。決して、無駄にはならない。誰かの糧として受け継がれていく。
焼け跡には新たな種子が根付き、力強く芽吹いていた。




