平凡な事務員、天使さまの由来を知る
「まず、転移魔法しか使えないのは本当だよ。グレルに嘘なんてつかない」
ウィリアムはしばらくの沈黙の後、俺の疑問に一つ一つ答えはじめた。
感情の波が引いたのか、淡々とした声音だった。
「ただ、グレルの疑問も今になれば分かる。グレル、君が夢だと思っていたことは、君の深層心理の中での出来事だ。僕はあの時、異動のことで悩む君をどうしても君自身と向き合わせたかった。だから、君の精神と、僕の精神を君の深層心理に転移させた」
「そんなことができるのか?」
「うん、あまり気分のいいものじゃないから、めったにやらないけどね」
さらっと言っているが、俺はぞっとしていた。
「それは、かなり危険じゃないか?お前がその気になれば」
「そうだね、君のようにすぐに誰でも意識不明にできるよ?」
とんでもないことを言い出した。軽いめまいを覚えながら、続きを促す。
「このことを知っている人は少ないから、内緒にしてね」
「当たり前だ。怖すぎる」
「ええと、それでね。あのやりとりのどこまでが君で、どこまでが僕かっていう質問だけど、青い光が君で、ピンクの光が僕だったんだ」
なるほど。
「現実をつきつけてきたのはお前だったんだな」
「いや、だって、君があまりにも被害者意識が強かったから。思わず出ちゃった」
俺は深いため息をつく。返す言葉もないからだ。
「で、あの時どんな気持ちで君を見ていたか、って話だけど、僕にもおんなじこと思ってる時期があったなぁって」
「へぇ、王城の天使さまにもねぇ?」
嫌味が思わず口をつく。だが、ウィリアムは臆することなく続けた。
「そもそもだけど、僕をこんな風にしちゃったのは、グレル、君なんだよ」
「はぁ?なんでそうなる?」
分かってないなぁ、とウィリアムが呆れた顔で俺を見た。
「大体聞いたっていうから自覚しているかと思ったけど。2年前のフリューゲル帝国の内乱の件は聞いたんだろ?」
「ああ、聞いた」
「僕が君のことをどう思ってるかも知ってるんだろ?」
「謎に俺に感謝していると」
「謎じゃないだろ!当たり前だろ!同僚の命を助けられたのに感謝しない奴がいるの!?」
それは結果論であって、俺に対しての感謝は筋違いだろうと思う。
「あの時、僕も薄々気づいていたんだよ!帝国への支援部隊派遣の危うさに!」
俺はびっくりしてウィリアムを凝視した。
「そうだったのか」
「どう考えたって危なすぎるでしょ?なんで支援される側の青絵図に乗っかってこっちがその通り動かないといけないわけ?行くのは僕たち現場なんだよ?」
こんなに息巻いてまくしたてる天使さまもなかなか拝めないだろう。
「だけど、僕は何もできなかった。いや、何もしなかったんだ。危険性を感じながらも、日々言われたことだけをこなしていた。グレルとは違ってね!実際、3か月も何も起きなかったんだ。僕の思い過ごしだと思っていたよ。おとり作戦の部隊に任命されるまでは!」
彼は急に立ち上がり、ベッドの枕をひっつかむと、壁にそれを叩きつけた。
「おいおい」
「今思い出しただけでも自分に腹が立つ。当時の僕はね、それはそれは自分の魔法に自信があったんだよ!学生時代は転移魔法しか使えない劣等生扱いだったのが、転移魔法の汎用性を磨くことで実績が認められ始めたころだったから。天狗になってたんだ。ところだ実際はどうだ?危険性を感じていたにも関わらずなんの行動もしなかった。君とガードナーさんがいなかったら、魔法師が何人犠牲になったか分からないんだ」
床でへしゃげている枕を睨みつけ、ウィリアムは続ける。
「その時に気づいたのさ。ああ、僕は無意識に誰かがやると思ってたんだと。上司がやる、誰かがやる。だから僕がわざわざ言わなくていい。目の前にあることだけをこなせば、自分の立場は守られる。そんな風にね」
「ああ、それで・・・」
「僕はね、グレル。君のことを心底尊敬しているんだ。それは今も変わらない。ガードナーさんから君のことを聞いた時、君と直接話がしたい、お礼が言いたい、交流を深めたいって思ったんだ。それがどうだい?君ときたら。僕が念願の寮の同室を手に入れたというのに、来てみれば、辞めたいだのなんだの。本当に僕が憧れた、あのグレル・アースレムなのかと目を疑ったよ」
あの頃の俺と、ウィリアムの背景を知ると、納得の見解だと思う。
「僕はね、君のおかげで変わることができたんだ。おとり作戦以降の僕は積極的に行動したさ。それこそ王城の天使さまだなんて言われるぐらいにね!馬鹿馬鹿しいあだ名だと思うけど、周りの評価なんてどうでもよかった。二度とあんな情けない思いをするのはごめんだったんだよ」
俺のせいで彼は「王城の天使さま」などと称されるようになったらしい。
「あの異動の話は、ガードナーさんの計らいだってすぐに分かった。でも、君は放っておいたら辞めてしまいそうだったんだ。なんでだよって思った。だけど、君が自分で気づかなければ、意味がないとも思ったんだ。だから、僕は僕が後悔しないために、君の意識を転移させた」