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生老病


「ーーーーさん! コウさんっ」

 ふっと意識が浮上して声が聞こえる。リアの声だ。

「コウさん!」

 酷く間近に、リアの気配がする 顔を覗き込まれている?ぼんやりと霞む目の前で焦点が合いづらいほどの近距離

「よかった……」

 僕が目を開けたことに対してだろう、ほっと表情を緩めて、吐息をついた。

「リア、……っ」

 声がうまく出ない。無意識に動かそうとした身体が痛んだ。

 固いコンクリートに冷やされた手脚は痺れて、どうやら血液が循環しづらくなっていたらしい。筋肉も骨も重く感じる。頭も痛かった。

「主任、は?」

「甘楽さんはコウさんが戦ってくれている隙に逃げ出せましたよ……途中、会いました。すれ違いで僕が着いたんです」

 リアにそっと頭を下ろされ、逆に今まで頭を抱き抱えられていたことに気づく。後頭部が何か敷かれていたらしい布の感触を拾った。

「室長は……」

「クロさんは、……俺が、それを聞きたかったんですけど。コウさんがそう聞くってことは、……取り戻せなかったんですね」

「……どこにも いませんか」

「この辺りには、もう誰も」

「……そう ですか」

 リアは僕と主任が室長を奪還するか、相手を留めていることを期待してここに合流しに来ただろうに

 ……合わせる顔がないな。

「せめて コウさんと甘楽さんがご無事でよかったです」

 ばつが悪く目を閉じて黙った僕に、リアはそう言った。

 薄く目を開けば、予想通りその顔は優しく微笑んでいる。でも、目を閉じて聞いた声は誤魔化しようもなく沈んでいたのを、僕ははっきり認識していた。

 ーーーーごめんなさい、リア。

「この後は、「コウさんが動けるようになったら、帰りましょうか。相手の目的もわからないまま深追いして、もしまた戦闘にでもなったら命がいくつあっても足りません」

「……はい」

 頷いた。そうするしかない。挑んだ結果がこれなんだ、むしろよく生きていたと思う。

 いや、もしかしたらとっくに助からないほどの大怪我でもしていたのかも。リアがキスでもして回復させてくれたかもしれない。

 役に立ってない。

 そっとリアの手が僕の頬を撫でてくる。その手からじんわりと痛みが吸い取られていく。

 感謝するべき、それ以外にない状態だというのに、どうしてか残酷な力に思えた。

 こんなに早く痛みが消えてしまっては ダメージがどこかに置き去りになるみたいだ。





 来たのとは違う地下通路を選んで帰路についた。

 どこか感覚がぼんやりと遠い。体がどこも欠けていないのになんの戦果もなく帰ることが違和感だった。動けないほどだったはずの体力はリアのおかげで歩き続けられるほど回復している。

 隣り合ったリアの、長い髪に隠れた横顔は表情が測りきれなかった。

 そのまましばし沈黙が続き、地下通路の分岐にまで到達する。間違えたら迷宮を彷徨い続けることにもなりかねないその道の手前で、リアは足を止めた。

「コウさんは クロさんが無事に帰ってくると思いますか」

「……」

 その声は不安に揺れていた。

「そうですね……」

 リアが欲しいのは、多分気休めの言葉ではない。

 知りうる事実から一番高く見積もれる可能性、襲撃者を相手取った僕の主観からも乖離しない、最も現実的な予測。

 これは 本音を言うべきだろう。

 本当に考えていることを、忌憚なく伝えるべき。

 何より室長の奪還をしくじった僕が楽観的な意見など言えるはずもない。

「相手の目的にもよると思います。一つはっきりしているのは もうこちらから室長の生死を確認することは難しい、ということです」

「……」

「なので 室長が帰ってきた時が、生きていると確定する時……それ以外の場合は生存を期待しないほうが、合理的でしょうね」

 僕は室長を 感情的に心配したりはしてない。

 だから、リアが今一番できないであろうことを、何の苦もなくできる。つまり、感情を排して室長の死を予測するという、リアが聞きたくもないだろうシミュレーションだ。

「帰ってくるのを待たず、死んだと思って対処するのが合理的でしょう。……武装した敵に無理やり攫われて、無事である可能性なんて、極めて低いでしょうから」

「……そう ですよね」

 呟いて。リアは少し俯いたまま立ち止まった後、ゆっくりと歩みを再開した。

 もとより背中側から差し込んで表情に影を落としていた地上からの光は、分かれ道に進み出した直後、ほんの一筋も届かなくなる。

 暗闇に包まれ声だけが響く。声だけしかない空間を進んでいく。

 この移動時間はまるで、時空に取り残されたようだ。地を踏み締める感覚だけが、存在を確かめさせてくれる。

「……今 まで、……帰ってきてくれたことが 不思議ですもの」

「……それは どういう?」

「クロさんが攫われるのは、今回ばかりじゃないんです……」

「な ーーーーそうなんですか?」

 なんだと。……それは

「毎回同じ敵に?それとも別々の?」

「……わかりません、相手は顔を隠していますから」

 顔。今回の相手は、リョウに似ていた気がする。リアが戦っていた時は、マスクでもして顔を隠していたのかもしれない。無防備に素顔を晒して敵と対峙するのは室長くらいのものだ。

 きっと、相手取ったことがあれば 顔を覚えられている。

 室長は組織にまで到達した侵入者も、この途中の道で鉢合わせた敵も、基本的には殺さないで逃しているようだった。拷問まがいのことはしているようだが、命を奪うことをしない。盗聴器や洗脳、催眠、被験体を更に実験するための実験台として活用はしているらしいにせよ、僕としては彼らを生かしたままにするのは愚策だと思っていた。

 恨まれれば狙われるに決まっている。

 今回ばかりではない、ということは、室長が個人的に狙われていると解釈できる。ならば今までに、室長と面識がある、あるいは室長を知っていた者が行なっている攫い行為のはずだ。よりにもよってあの人の普段の行いでは、候補は無数にある。

 やっぱり 探し出すのは無理か。

 捨てきれなかった一縷の望み……もしかしたら捜索に乗り出すかも……という可能性も、おそらく実現はせずに終わるだろう。

「……攫われるたび ……帰って、来てくれるたび 思うんです、……本当にクロさんはクロさんのまま帰ってきてくれたんだろうかって」

「え?」

「俺たちは襲撃者の目的も侵入者の目的も 正確には知りません。だからクロさんを攫って何をしようとしているのか、わからない……何をされているのか、わからない」

「まあ……それは、そうですが」

 僕は室長が恨みを買って狙われたのだと、考えたけれど。

 他にも何か、ありうるのか?

「実は、俺は 今回も半分以上本気で、きっとまたクロさんは自力で帰ってきてくれるって思っています。思って、しまいます。だけどそれと同時に、攫われないよう守りたかったとーーーーもう行かせたくないと思ってます。信じたいけれど いつも 毎回 あの人が……いなくなるたびに 世界の終わりみたいな気持ちになる」

「……」

 ドキリとする言葉だ。

 世界の終わりみたいな、なんて 僕はまだそんな想いを他者に抱いたことはない。記憶がないから断定はできないが、少なくとも今の僕の中には 存在しない感情だろう。

 リアにとって室長は一体……

「どうして 甘楽さんは平気なんでしょう」

「え?主任?」

「平気なふりなんでしょうか クロさんのことを見捨てるような決断も、いつも迷わなくて……」

 それは だってあの人、人の心とかなさそうだしな。さすがに僕も目前にして主任が室長を見捨てる決断をしたのは動揺したが、それは主任がそう言ったことそのものよりも、室長の想いを知っていたせいでの動揺だったのだ。


 ーーーーどんなに命を弄ぶことになったとしても、俺は甘楽を優先する


 そう言っていた、室長の想いが、一方的なものだなんて 信じがたかったからだ。

 リアのこの想いは……世界が終わるほどの思いは、室長に伝わっているんだろうか。

「テリトリー内に侵入されたらすぐに相手を殺せる甘楽さんが、俺は 恐ろしいです、なのに、……逆にクロさんが甘楽さんのように人を殺していたら、こんなにも、恐れる必要もなかったのかもしれないと、思うことがあるんです」

 恐れる?

「何、を?」

「……喪失を」

 喪失。

クロさん(あの人)が もし 死んでしまったら 俺 どうしたら」

「……」

 もし 死んでいたら、なんて。

 こんな別れ方をしたんだ、死んだことを気づける状況にはならない。それは悪魔の証明だ、可能性を棄却するためには室長に生きて帰ってもらうしかない。シュレーディンガーの猫ですらない、僕らは知らないだけで、こうしている間にも未来は確定し、過去になっているかもしれないのだから。

「クロさん に また、無事に帰ってきてほしい」

 いつまでも続いてほしいんです、とリアは言った。

「リョウのように死ねない存在に、クロさん(あの人)も甘楽さんも俺も コウさんも なって みんなでいつまでも楽しく生き続けていられたら」

 暗闇で全く見えない表情は、実際にどうなのかは知らないが、僕はこの時リアが泣いていると感じた。

 本心からの吐露だと。

 随分と、冒涜的な願いだ。それはもはや人間とか生物とか、生命の枠を超えている……それに、もし永遠の命があれば、室長が帰ってくるのを、永遠に待ち続けることさえできてしまう。生死の確認はできないまま、永遠に、待つだけの生。

 そんな人生を送るくらいなら、室長の死を目の前で確定させた方がよほどやさしいと、そう考えてしまうのは僕がリアの()()を知らないからなんだろうか。


 死を欠いた不完全な生命を生み出される前にーーーー組織を、殺してしまうべきか?


 組織の力を持ってすれば、実現しそうな願いだ。リョウがそうらしいのだから。もし実現されてしまえば、数多の悲劇を巻き起こす火種になりかねないのでは


 ……ふと、自分の考えたことに気づいて血の気が引く。

 僕は今 当然のように、組織を壊すことを考えていた。

「……」

 動揺を 悟られないよう足を運ぶ。押し殺すように少しずつ息を吸って、静かに 長く 深呼吸をする。

 そんなこと、考えたくはない。今の僕の居場所だ、全世界を救えるかもしれない研究をしている場所だ、毎日楽しく過ごしている、

 リアを生み出してくれた組織だ、

 それに、


 ーーーー クロさん(あの人)も甘楽さんも俺も コウさんも みんなでいつまでも楽しく生き続けていられたら ーーーー


 ()()()の中に、僕は居た。

 宙ぶらりんだった足が急に柔らかな土の上に降りたような、実在感を得る。所属の欲求だったか、そういった生存本能みたいなものが、満たされていく。

 僕はこの人たちにとってーーーーリアにとって、「個」として認められた存在なのだ。

 そのことだけを噛み締めて、僕は浮かんでくる他の全てから、目を逸らした。


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