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6話.ホームラン


小学生の一週間は長い。


大人の頃はそう思わなかった。


月曜日から金曜日なんて気付けば終わる。


朝起きて。


仕事をして。


帰って。


寝る。


それを繰り返しているだけだった。


でも今は違う。


一日が長い。


驚くほど長い。


学校へ行く。


授業を受ける。


休み時間に騒ぐ。


給食を食べる。


放課後は野球。


毎日何かがある。


それだけで一週間が濃かった。



日曜日になった。


朝から快晴だった。


窓を開けると少し冷たい風が入ってくる。


時計を見る。


まだ七時。


野球をやらなくなって草野球をやるまでは休みの日に早起きなんてしなかった気がする。


だが今は違った。


野球がある。


それだけで身体が勝手に起きる。


朝食を食べる。


父親は寝起きらしかった。


パンツとTシャツのまま玄関へ近づいてくる。


「試合か?」


「うん」


「頑張れよ」


それだけ言ってトイレへ入っていく。


何気ない会話だった。


昔なら何とも思わなかった。


でも今は違う。


こういう時間も含めて懐かしかった。


食器を片付けてグラウンドへ向かう。


自転車を漕ぐ。


風が気持ちいい。


景色も覚えている。


この道を何回通っただろう。


何百回か。何千回か。何万…は言い過ぎか。


もう分からない。


グラウンドへ着くと、すでに何人か来ていた。


「おはよー!」


「おはよう」


「今日勝つぞ!」


朝から元気だった。


小学生ってすごいなと思う。


今の俺なら休日の朝からこんなテンションは出ない。


試合前のアップが始まる。


キャッチボール。


シートノック。


身体が軽かった。


軽すぎて少し怖いくらいだった。


試合開始。


相手は市内でもそこそこ強いチームだった。


保護者の人数も多い。


ベンチの雰囲気も良い。


たぶん強い。


そう思った。


一回表。


守備につく。


打球が飛んできた。


レフト前へ落ちそうな当たりだった。


昔なら追い付けない。


でも今は違う。


最初の一歩が分かる。どこへ落ちるか分かる。


走る。


捕る。


アウト。


味方ベンチが盛り上がった。


「ナイス!」


手を上げる。


でも俺は別のことを考えていた。


やっぱり見える。


打球が見える。


中学野球の経験があるだけでこんなに違うのか。


だが少し反則な気もした。


その後も守備機会は何度かあった。


浅いフライにライナー性の打球。


どれも落ち着いて処理できる。


身体能力そのものが劇的に上がったわけじゃない。


ただ経験がある。


打球の軌道を知っている。


打者のスイング、金属音の具合、ある程度どこへ飛ぶか予測できる。


それだけで世界が違って見えた。


ベンチへ戻ると監督が頷いた。


「今日は動きがいいな」


「ありがとうございます」


「なんかあったのか?」


「たまたまですよ」


素直に返事をする。


本当は動きがいいというより、知っているだけなのだが。


もちろんそれをバカ正直に説明するわけにもいかないため誤魔化すことになった。


二回。


最初の打席。


相手投手はそこそこ良い球を投げていた。


小学生としては速い。


でも見える。


フォームも。


配球も。


それでも以前よりずっと分かる。


初球。


ストライク。


見送る。


二球目。


外角。


流す技術は身についてるつもりだ。


振った。


打球は鋭くライト前へ飛んでいく。


だが、ライトゴロ。


打球が早すぎたのか、それとも俺の足が遅いのか。

なんとなく後者な気はする。当時は本当に足が遅かった。よくこの足で守備がやれてると思う。


「あっ」


思わず声が出た。


ベンチへ戻る。


「惜しい!」


味方が声を掛ける。


俺は苦笑した。


完全にセーフだと思った。


でもアウトだった。


内心、自分の足の遅さを恨みつつ野球はそういうスポーツだ。と納得する。


どれだけ上手くなっても失敗する。


ただなんとなく少しそれが嬉しかった。


何でも打てたりしたら面白くない。…いや打ったんだけどね。


ベンチに座りながらグラウンドを見る。


相手投手は決して悪くない。


むしろかなり良い部類だ。


コントロールもある。


小学生の試合でここまでまとまった投手は珍しい。


だからこそ次の打席が楽しみだった。


軟式少年野球ならではのストレート縛り。


これがどう影響するか。


知識だけでは勝てない。


身体が動かなければ意味がない。


頭で分かっていても打てない球はあるし捕れない球もある。


色々考える感覚が妙に心地良かった。


四回。


二打席目。


ランナー一塁。


打席へ入る。


相手投手を見る。


少し疲れている。


たぶんストライクを欲しがる。


初球。


…狙いますか。


予想通り真ん中。


振り抜く。


快音。


打った瞬間だった。


外野が下がる。


それでも届かない。


打球はフェンスを越えていった。


ホームラン。


少年野球としてはあまりよろしくはないだろうが、俺は思わずバットを投げる。


歓声が上がる。


チームメイトが飛び出してくる。


ホームベースを踏む。


みんなが待っていた。


「やばっ!」


「飛びすぎ!」


「すげぇ!」


頭を叩かれる。


肩を叩かれる。


俺は苦笑するしかなかった。


嬉しい。


素直に嬉しい。


草野球でホームランを打った時とは全然違った。


心の底から嬉しかった。


ベンチへ戻ると監督まで笑っていた。


「ナイスバッティング!」


「ありがとうございます」


「今のは完璧だったな」


完璧。


その言葉に少しだけ照れる。


実際には読みが当たっただけだ。読みとはいっても所詮はストレートのみ。中学3年までの経験があるならコースにヤマさえ張ればいくらでも打てるような気はしてしまう。


だが野球は結果のスポーツでもある。


打った。


入った。


それが全てだった。


試合はその後もこちらのペースで進んだ。


味方投手が踏ん張り。


守備も崩れない。


俺も追加点となるタイムリーヒットを一本打った。


相手も最後まで諦めなかったが、点差は縮まらない。


最終回。


最後の打者が打ち上げたフライをセンターが捕る。


ゲームセット。


整列。


「ありがとうございました!」


両チームの声がグラウンドに響いた。


試合は勝った。




帰り道。


チームメイトたちはアイスを食べながら騒いでいる。


誰がホームランを打ったとか。


誰がエラーしたとか。


そんな話ばかりだった。


俺も混ざる。


笑う。


馬鹿な話をする。




気付けば夕方になっていた。


空は少し赤く染まっている。


自転車を漕ぎながらその景色を見る。


昔もこうだった。


試合が終わって。


友達と遊んで。


家へ帰る。


ただそれだけの一日。


なのに今思えば、とても贅沢な時間だった。


家へ帰る。


夕飯を食べる。


母親が試合の結果を聞いてきた。


「勝ったの?」


「勝った」


「ホームラン打ったんだって?」


「なんで知ってるの」


「お母さんネットワーク」


意味が分からない。


たぶん保護者同士で話が回っているのだろう。


母親は嬉しそうだった。


その顔を見ていると少しだけ胸が温かくなる。


夕飯を食べ終える。


風呂へ入る。


湯船に浸かる。


身体がじんわりと疲れていた。


心地良い疲労だった。


仕事で疲れた時とは違う。


何かをやり切った後の疲れだった。


そして自分の部屋へ戻る。


窓の外は暗かった。


机に肘をつく。


静かだった。


そこでふと思い出す。


そういえば今日は一度も考えていなかった。


タイムリープのことを。


条件のことを。


現代のことを。


朝からずっと野球のことだけ考えていた。


それに気付いて少し笑ってしまう。


「単純だな」


小さく呟く。


でも悪くなかった。


答えはまだ分からない。


また戻るのかも分からない。


なぜこんなことになったのかも分からない。


本来ならもっと焦るべきなのかもしれない。


原因を探して。


条件を調べて。


元の世界へ帰る方法を考えるべきなのかもしれない。


だが今日はそんな気になれなかった。


野球が楽しかった。


友達と笑った。


家族と話した。


それだけで一日が終わった。


そしてその一日が、とても充実していた。


大人になってからの俺はどうだっただろう。


仕事に追われて。


休日も疲れて寝て。


気付けば時間だけが過ぎていた。


もちろん悪い人生ではなかった。


だが今日ほど夢中になれた日は、そう多くなかった気がする。


窓の外を見る。


夜空には星が見えていた。


静かな夜だった。


もしこの時間がいつか終わるとしても。


もし突然元の世界へ戻るとしても。


今だけは楽しもう。


そう思えた。


布団へ潜り込む。


目を閉じる。


ゆっくりと意識が沈んでいく。


遠足の前日のような高揚感が胸の奥に残っていた。


明日はどんな一日になるだろう。


そんなことを考えながら。


俺は静かに眠りについた。

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