第15話 金色の白虎真人
公子の私兵を物ともせず蹴散らし、白が建物の扉を砕いて突入する。
常識外れの大虎の巨きな瞳に、主の姿が真っ先に映った。
「…………!」
『!! グ、グルルルルルッ……!』
服の上から窮屈そうに縛り上げられる桃花を目視するや、白が彼女には聞いたことのない憤怒の唸り声を漏らす。
だが桃花は、助けが来たことの安堵以上に、焦燥に駆られていた。
(パイ、本当に、きてくれたっ……けど、ダメ! ここは危険なの、お願い、逃げて……!)
桃花の心の声は、神獣の力か主従の絆か、恐らく白にも伝わっている。だが一向に逃げぬ白に、桃花の危惧の理由が存在を示した。
「クッ、ククゥッ……!? で、出おった、例の大虎じゃ! ぶ、武人殿、お出ましくだされぇ!」
「……ふっ、あれほど私兵がいて、出番が回ってくるとは。しかもこの並外れた巨躯、明らかに単なる虎ではない……相手にとって不足なしよ」
転がるように後ずさる公子とは対照的に、巨漢が悠々と前に出る。
武人が手にするのは、身長以上はあろうという巨大な矛だ。室内では扱いづらそうな得物を、あえて刃に近い部分を短く持ち構える。
ぴり、と瞬時に張り詰める空気に、虎が唸り声を止め、知らぬ者にとっては驚くべき言葉をその大口から発した。
『……貴様らか、我が主を攫った不届き者は』
「! 何と、人語を解するとは、本当に妖魔」
「!? クッ、クククーッ!? しゃ、喋りおった、虎が喋り追ったァァァ!?」
「……だというのか。しかし一体何者だ。その威容、ただの」
「ばば化け物が実在するとは!? こんな報告は聞いておらぬぞぉぉぉ!!」
「……ただの妖魔とは思えぬ。一廉の存在とお見受けす」
「もうダメじゃ、おしまいじゃあぁぁぁ!! 取って食われてしまう! この高貴なる公子がこんなところで化け物なんぞにィィィ」
「やかましい!! 黙って丸まっておれ!!」
「クヒィィィンッ!?」
武人の怒声一発、公子は言葉通りに怯えて丸まってしまう。ありがたい。
さて、武人の問いかけに対しては、白が虎の聴覚で確と拾って答える。
『我は白、最愛にして唯一無二の主に仕える者――そして紛うことなく、四神が一柱、白虎神獣である』
「! 白虎……神獣! まさか妖魔や悪鬼を飛び越え、神獣と相まみえようとは。例の白髪の妖術師とやらの手先になっておるというのは、少々肩透かしだが……しかしこれぞ武人の誉れ、天帝の導きに感謝いたす!」
『フン、大方なにか吹き込まれ、良いように使われておるのは貴様のほうだろう。だが、相対せし時より分かってはいたが、我が威に怯みもせぬとはな。しかし人の身で大仰に吠えしこと、後悔させてくれよう』
白が四足の態勢で前傾姿勢を取るや、武人は腰を深く落として迎え撃とうとする。
対峙する二人を、桃花は縛られたまま見て――脳裏に、悪い予感がよぎった。
「! っ、んっ、んんっ……~~~っ!」
口をきつく塞いでいた布を、半ば強引にずらして外す。口の端に微かな血の味が滲むのを感じながら、桃花は必死に叫んだ。
「ダメッ――お願い、逃げてぇっ!」
「!(美女がおれを心配している……!)安心めされい、この武は今、あなたを守るためにあり申す――!」
「そうじゃなくて!」
『待っておれタオファ、すぐ解放してやる――ガアアアッ!!』
「やめてっ……パイ――ッ!」
桃花の制止も届かぬまま、虎の巨体が躍りかかり――武人が矛を振った体勢で、二つの大きな影が交錯した。
すれ違ったまま、暫し身動ぎ一つしなかったが、結果はすぐに出る。
『……グ、オオッ……!』
「! パイ……パイッ!」
虎の巨体、その所々から鮮血を噴き、体勢を崩したのは白のほうだった。
一方で武人は傷一つなく、大きな息を吐いて振り返り、油断なく構えながら言う。
「ふう~~~っ……その巨体で信じられぬ敏捷、受ければ矛ごと引き裂かれよう豪腕と爪牙。恐ろしい、が、惜しいな。所詮は武心なき獣の暴、武を究めたるおれには届かぬ」
『ッ……抜かせ、勝負はまだ、終わっておらぬわッ……!』
白は強がるが、明らかに浅くない傷だ。さて、よろめく白の様子に、ここで息を吹き返した公子が揚々と、滑り込んだ勢いで虎の横腹を何度も足蹴にする。
「ク、ククッ……クカカカッ! 何が白虎神獣じゃ妖魔ごときが驚かせおって! これが公子の威光じゃみたかフゥ~ッ! うぇいうぇ~~い!」
『んぐ。煩……!』
「やっ……やめてっ! パイにひどいことしないでっ!」
陰惨な光景に桃花が悲鳴じみた声を上げるが、白を足蹴にする公子へと、武人が意外な怒鳴り声を放った。
「――邪魔じゃと言うておるだろうが!! おれ達の戦いを穢すなら、雇い主だとて関係ない! 貴様からぶった斬るぞ!!」
「クックヒャァァァァッ!? たた助けてくれぇ~いっ!」
武人に一喝され、今度は頭から滑り込んで退避していく公子。何がしたかったのかは不明だが、その隙に、桃花が必死に身をよじる。
「ッ、パイ、パイっ……うッ!」
縛られたまま前のめりになった桃花が、床に顔から落ちる。が、それはわざとだ。頬がじんじんと痛むのにも構わず、首を必死に横へ曲げる。
「んっ。く、ううっ……~~~っ、はあっ」
桃花の着物、その襟元を、必死でまさぐると――ぽろ、と仕込んでいた容器が落ちた。並びの良い歯で、蓋をどうにか外す。
そうして、中身の丹薬を、口に含み――
「――パイ!」
『!!』
精一杯の肺活量で、丹薬を飛ばし――虎の大口が、それを一吞みした。
『ングッ! ……ム、ウ、ウ……ウッ!? グ、グググ……ッ!』
「ムム、なんだ!? ……はっ、まさか美女がおれを心配し、虎に毒を……ふっ、これはこれで勝負に水を差されている気がしないでもないが、美女ならば構わぬ。むしろ、何という優しき……」
『オオ……オオオオオオオオオ!!』
「!!!」
何か言っていた武人だが、直後には言葉が止まる。
それも当然、丹薬を飲み込んだ白虎神獣が、苦しそうに呻いたかと思いきや、次の瞬間。
白光――日が輝くような閃光が、周囲に迸った。
桃花も武人も目を開けていられず、怯える公子は尻餅をついて後ずさる。
ただ、その場には一言、流麗な声が響いた。
「――――金丹か」
金丹。
古代より、栄華を極めた時の権力者が、全土を支配せし大陸の覇者が、その果てに求めてやまない最後の欲望。
即ち〝不老不死〟〝神仙への到達〟――それを実現すべく、時にはありとあらゆる学問が研究され、錬丹術もその一つだった。
だがこの時世において、歴史上唯一、錬丹術の実現を桃花が完成させたもの。
それは錬丹術の粋、金丹――無上の神気を宿したものを、今、白虎神獣が呑み込んだ――!
「信仰も失われ、神々の力も喪われし、この時世に――古代、否、今や記憶にすら遠き神代にも達する神気が、蘇った。我が主、タオファよ。究竟に至りし、其方の錬丹術のおかげで」
「! パイ……そ、その姿は?」
ようやく白光が薄まるも、その輝きは全て、人化した白の五体に収まり、その内側を巡っているかのようだった。
その姿は、人化した秀麗な面貌と同じ――だが、人と呼べるだろうか。露となった逞しい上半身には、所々に虎の如き毛並みが備わっている。
しかも常の白い毛並みから、純金の輝きが立ち昇っていた。混ざり合って白金の如くに煌めく姿を、天上の存在と呼ばずして何と呼ぶのか。
人の身に神獣を宿すかのような、桃花も見たことがない姿を、白が堂々と名乗る。
「今や我は、白虎神獣に非ず。神獣の威を、人の身に宿せし者。
我こそは、白虎真人――絶世の武人よ。いざ、決着をつけん」
真人、道に到達せし者。
対し、絶世とまで称された武人は、水を打ったような静けさで佇み、短く一言。
「……遅い」
その言葉は相手にではない、己に発したものだ。武人は巨大な矛を脇に落とし、あえて徒手空拳を選び、構えた。
対し、白も構える。そこには武心なきと呼ばれた獣の暴はなく、悠然と構える千年の武があった。
外は、兵と兵が争う、戦場。
けれどこの場は、しん、と音一つなき静寂。
決着は、一瞬。
「――――慍!!」
「――――叭!!」
どん、と雷が落ちたような轟音。否、そこには確かに、雷が落ちていた。
武人の真後ろには、地を抉り取ったような穴がぽっかりと開いている。
桃花には、何も見えなかった。今はただ、拳を突き出した武人と、いつの間にか通り過ぎていた白が棒立ちでいる、そんな光景が映るだけ。
勝負の行方は、果たして――
にやり、武人が笑みを浮かべた。
「…………御見事ッ…………!」
ただそれだけ残し、武人は前のめりに倒れ込んだ。
白は背を向けたまま、敬意を籠めた口調で告げる。
「雷金、雷の速度と爆発力を我から引き出したのだ。其方こそ見事なる武人よ、ここ百年は見なかった。やがて武神に至ることもあろう。慢心せず、精進せよ」
聞こえているかは関係ない、それは二人にだけ意味のあるやり取りだろう。
さて、こうして決着し、後に残るのは――
「……待たせて、すまない。怖くはなかったか?」
戦いの最中の荒々しさは、すっかり抜け落ちていた。
ただただ柔らかな口調で、労わるようにして、美丈夫が目を細めて言う。
「……タオファ……」
「……パイっ……!」
今ようやく、互いを大切に思い合う二者が、再会したのだった。




