表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
心声を聴く獣医 宗方つむぎのカルテ  作者: 真野真名


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/35

エピローグ こたつ猫とおばあちゃん




 冬の午後は、音が少ない。


 遠くで救急車のサイレンが一度鳴って、それが消えたあとは、また静けさが戻ってきた。


 古い平屋の居間。

 こたつの上には、みかんと湯のみと、少し読みかけの文庫本。


 そのこたつの中で、猫が丸くなっている。


 白と茶のまだら模様。

 年をとって、毛並みは少しぼさぼさだ。


『……ばあちゃん』


 こたつの中から、くぐもった声がした。


「はいはい」


 おばあちゃんは、湯のみを持ったまま答える。


「どうしたの」


『暑い』


「じゃあ出なさい」


『寒い』


「……贅沢ねぇ」


 猫は尻尾だけ、ぱたんと動かした。


『昔はさ』


「昔?」


『もっとシャキッとしてたよね』


 おばあちゃんは、みかんの皮をゆっくり剥きながら笑った。


「そうかしら」


『うん。白衣着て。夜中でも電話鳴ったら、すぐ起きて』


「……そんなこともあったわね」


『眠そうな顔で、そんでも手は早くて。みんな助かるか助からへんか、瀬戸際ばっかりで』


「よく覚えてるわね」


『忘れへんよ。あそこで泣いた猫も、吠えてた犬も、黙ってたオオカミも』


 おばあちゃんの手が、一瞬止まる。


 でも、すぐにまた動き出す。


「……みんな、よく喋る子たちだったから」


『ばあちゃんが、聞いてたんでしょ』


「さあ。どうかしら」


 みかんをひとつ、こたつの上に置く。


 猫は出てこない。


『今はもう、聞こえへんの?』


「……どうしてそう思うの」


『せやかて、最近は誰も連れてけえへんし』


「引退したからね」


『ふーん』


 猫は納得したようで、しなかった。


『でもさ』


「なに?」


『ばあちゃん、今もうちの声、ちゃんと聞いてる』


 おばあちゃんは、少し困ったように笑った。


「それは……たまたまよ」


『たまたまが、何十年も続く?』


「……しつこい猫ね」


 猫は、こたつの中で体勢を変える。


『うちな、若い頃、いろんな噂聞いた』


「噂?」


『“命と心をつなぐ人”がおったって』


 おばあちゃんは、湯のみを口に運ぶ。


 湯気の向こうで、目を細めた。


「物騒な噂ね」


『その人、動物と喋れたんやって』


「……ほら、また寒くなってきたんじゃない」


『話そらすん下手やで』


 猫の声は、笑っていた。


『でも、もうええねん』


「なにが?」


『ばあちゃん、もう十分やった』


 こたつの中から、もぞもぞと音がする。


 猫が、顔だけ外に出した。


『助けた命、見送った命、つないだ気持ち』


 おばあちゃんは、猫の頭をそっと撫でる。


「……全部、勝手にやったことよ」


『それが一番ええねん』


 猫は目を細めた。


『誰にも褒められへん仕事って、ほんまに大事なことや』


 外で、風が障子を鳴らす。


 こたつの中は、あたたかい。


「ねぇ」


『んー?』


「もし、もう一度やり直せるとしても、同じことをすると思う?」


 猫は、少し考えてから答えた。


『するやろ』


「どうして?」


『だって、ばあちゃん──』


 猫は、尻尾でこたつの脚を軽く叩いた。


『そういう人やん』


 おばあちゃんは、それ以上何も言わなかった。


 ただ、もう一度だけ、猫の背中を撫でた。


 その手つきは、昔、無数の命に触れてきた人のものだった。


 夕方。

 こたつの上の文庫本が、風で少し開く。


 そこには、古いしおりが挟まっていた。


 色あせた紙に、こう書いてある。



“命と心をつなぐ場所”



 猫は、それを見て、にやっと笑った。


『……やっぱりな』


「なにが」


『なんでもない』


 日が沈む。


 こたつの中で、猫は再び丸くなる。


 おばあちゃんは、みかんをひとつ口に運びながら、小さくつぶやいた。


「……ありがとう」


 誰に向けた言葉かは、わからない。


 でも、猫はちゃんと聞いていた。


『こっちこそ』


 こたつの中で、

 世界でいちばん静かな会話が、

 ゆっくりと夜に溶けていく。









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ