六節
ヴィンクラーが沸き立つ闘志をたぎらせ、老将に決意を表明した丁度そのとき、アレイオスがヴィンクラー達の本陣に到着した。
「アレイオス・ザルツァ。只今着陣致しました」
「お。おお! ガーウィン殿がいってた応援とはアレイオスさんだったんだな。こうなりゃ負ける気がしねぇぜ。よろしく頼みます!」
「ヴィンクラー様。戦は負けるものでございます。安易な言葉は慎んでくださいませ」
「お前は全く、融通が効かんヤツじゃな! そんなこと、この小僧もわかっておるだろうに。言葉の綾というものを、も少し考えぃ。石頭め」
「だからこそ、でございます。ザルツァ将軍。言葉というものは扱い方を誤れば危険なもの。こういった大事な場面であればこそ、細やかな配慮が必要なのです。特にヴィンクラー様は此度の戦が初陣となります。基礎をいまのうちに叩き込んでおかねば、後々妙な癖がつくこともありえます。そうならぬための措置であることを承知していただきたく存じます」
「ふん! 正論ばかり並び立ておって! つまらんやつよ。戦は正論でするものではないのだ! ヴィンクラー! 気にするでないぞ。思う存分暴れるがいい!」
「お、おう!」
「まったく。この御仁は……」そういって騎士は肩を落とす。その様をみてヴィンクラーはアレイオスに目配せし、戦の師を慰めた。本人は苦笑で返答する。そして、直後、場の空気が一変する。沼沢地で翼を休める鳥の群れが一気に飛び立つように、三人の西方、アルセニア陣から鬨の声が沸き起こったのである。
「な、なんなんですか、あれは!」
「アルセニア陣で軍の士気を鼓舞しているのでしょう。開戦前ですから、よくあることです」
「にしては妙じゃな。あの土煙をみよ。一気に巻き上がっておる。それに大地の揺れ。これは騎兵が突撃してくるときの動きじゃ。ふむ。動き出したということかの」
「しかし将軍、軍楽の演奏も聞こえませぬぞ。本来、開戦時の進撃というものは奇襲でもない限り、盛大に軍楽隊で鼓舞し主導権を握ろうとするもの。それらしき動きは感じぬ以上、これはただの示威行為以上のものではないと考えますが」
「そんなに行儀の良い連中なら、ガーウィン殿も苦労せぬであろうよ……ゴルドス! 赤竜軍の準備はどうだ?」
「へぃ! 決められた場所に集まっておりやす。軍装の最終点検中でございやすが、大殿のお声一つでいつでもガキ共は動ける状態でやす」
「うむ。大儀である! どうしたヴィンクラー! なにをボヤボヤしとる! 部下へ指示を出さんか! この軍はお主が大将なんじゃ! 儂はお主の護衛以上は働かんのだからな!」そう叱咤し、老将は真っ赤な牡牛の角の意匠が見事な兜を被る。
「お、お、おう! わ、わかってら! 全隊、ぼ、防衛準備を取れ!」指揮鞭を落としそうになりがら、若武者は近習から一角獣を模した兜を受け取り、その頭を覆う。
虚を突かれ、頭から思考の泉が漏れ出したヴィンクラーは既に混乱していた。脇でその姿を見つめながら、鷹を模した細工の秀麗な兜を被った、騎士アレイオスが進み出た。
「歩兵隊は盾を掲げ、弩弓からの攻撃に備えよ! 弓兵隊は歩兵隊の盾に隠れて指示があるまで構えを取れ! 騎兵隊は後方にて待機、反撃の指示を待て!」
凜とした声がヴィンクラーの陣に響き渡る。兵達は波が広がるように次第にアレイオスの指示に従っていく。所々で話し合う声が聞こえ、また指示を叫ぶ声が聞こえる。歩兵の中には盾を落とす者がおり、弓兵隊の中にも番えた弓を落とす者、指示がないのに弓を降ろし、また番え直す者がおり、騎兵隊の中には馬の首を巡らせ、右往左往する者さえいた。横目でその様子をみたアレイオスは小さく舌打ちをし、イーデンは顎髭を触りながらにやけている。ヴィンクラーは部下達の様子がどういう意味を持っているのか、把握する以前に目に入っていない様子で腰に差した剣の柄を弄び、かと思えば自らの頬を叩き、なにやら呟いている。
ザルディン先陣が混乱する中、イーデンの読み通り、漆黒の軍装に包まれたアルセニア軍騎兵隊、黒狼団の姿が間近に迫る。
「く、黒!? まさか! あ、アレイオスさん、あれが噂の……!」
「はぁ……、いきなり黒狼団ですか。まさかこのような……」
「くくくくくく、はははははははっ! 良い趣味しとるわ! 老骨の血も滾るというものよ! ゴルドス! 例の弓を持てぃ! 挨拶せねばな!」主の声に「へぃ!」と歯切れよく返事したゴルドスは、近習の赤騎士から自身の身の丈はある、黒光りする弓を受け取り主に手渡す。ふと隣をみたヴィンクラーは息を呑んだ。なぜならばその弓は常人には決して引くことの出来ない鉄弓だったからである。武技に自信を持っていた若者自身、その弓を番えることはおろか、片手で持ち上げることさえ叶わなかったものであった。それを老将は軽々と左手で受け取り、鞍に備えた矢を取り出し番える。あってはならないものをみたかのように、ヴィンクラーは目を見張った。
イーデンが番えた矢を膂力によって引き絞り、蓄えられた暴力を解き放とうとする、まさにその瞬間、イーデンの兜に衝撃が走った。兜の両側に生えた牡牛の角の、左側に穴が空き、砕けた。それにより、老将の身体は少し左に傾く。しかし番えた矢は握ったままである。一瞬目を見開いたあと、イーデンは笑みを浮かべて矢を放った。
「将軍! ここは危険です! お引きください!」アレイオスは咄嗟に身をイーデンの脇に寄せ、しかし矢を放つ邪魔をしないよう正面を避けた。そして矢を放ち終わったのを確認したあと、その正面を敵の目から覆い、白銀色に輝く盾を突き出す。ゴルドスもさすがに肝を冷やし、近習の赤騎士達に向けて腕を振り、周りを囲むよう合図する。そうして赤騎士の壁がイーデン、ヴィンクラー、アレイオスを覆う。