第20話 羽を休める先で
第20話 羽を休める先で
「雲行きは…まぁ、最悪だよな」
耳に入るのは、機体の振動音と風の抵抗に軋む翼の悲鳴。どちらもあまり気持ちのいいものではない。高まる緊張からか、額から汗が滲み出す。
「本当に、あのお嬢さんたちはどうかしてる。俺はこの嵐が怖い」
自分の感覚は、自分がよく知っている。今感じているのは、間違いなく"恐怖"だ。
エリファスにとって、ここは庭とも言えるセルネアの空だ。パイロットとして過ごした時間で、その隅々まで把握している。だからこそ、この庭に棲まう"蛇"の恐ろしさを誰よりも知っているつもりだ。
何より、それが自分をここまで生き延びさせたのだから。
「…そろそろだな。対電磁シールド、起動」
エリファスは声に出して操作を行うと、機体を一瞬、青白い光の膜が包む。
「頼りないが、命綱だ」
対電磁シールドは名前の通り、機体システムに悪影響を及ぼす、様々な電磁波的干渉から防護する装備だ。基本的な技術は、宇宙船のテクノロジーの進歩の過程で開発されたものであり、時代によっては軍事技術にも応用されている。
しかし、これがあるから安全というわけではない。宇宙において、シールドで防ぎきれない強力過ぎる電磁波が襲うことなどは日常茶飯事だ。その為、危険は予め回避する事が鉄則となっている。
だが、宇宙であっても危険であろう電磁波が、大気圏内で襲うこの嵐に突っ込む輩がいることに、エリファスは寒気がする。例え、自分の判断ミスがあったとしてもだ。
「そこまでする程の理由があるなら、伺いたいな。そこまでの…」
エリファスは自分がイラついている事に気付き、嘆くように息を吐く。
(よせ、エリファス。今は何も考えるな。救助に集中しろ)
雑念を振り払い、操縦桿を強く握る。
その時、手から伝う振動の感覚が変わり始める。時間だ。
「よし、突入する!」
掛け声と共に、エリファスは愛機リーシャと共に嵐への突入を開始する。最初の目標は、視界にソフィアたちを捉える事だ。
突入直後、襲いかかる振動にエリファスは目眩が起きそうになる。
「くっ! 想像通りだったが、暴れ回ってやがる!」
最初からこれだ。襲いかかる暴風は下手に対応して機体の向きを変えようとすれば、胴体をへし折られるだろう。そうならないように必死でガチャガチャと操縦桿を動かす様子は異様だった。
「静まれ、静まれ、静まれ、静まれ……」
エリファスの口から小声で漏れる、呪文のような独り言。それでも手の動きは止まらないが、表情は集中してナイフのように鋭い。
そうしている間にも、吹き荒れる暴風が機体を猛烈に押すため、速度はグングン上がっていく。四基のエンジン出力を絞りながら堪えているが、もし速度を上げ過ぎれば、コントロールを失って嵐の流れからコースが外れた瞬間に機体が空中分解を起こす危険があった。
だが、問題は暴風だけではない。
「…うお!?」
急に機首が思わぬ方向へ回ろうとして、エリファスは素早く操縦桿を操作し、コースを立て直す。どうやら、各部に設置してある姿勢制御用のスラスタが勝手に作動し、機体の向きを変えようとしたのだ。
「何が対電磁シールドだ! 早速誤作動するとはな!」
怒鳴るエリファス。既に精神的な負担が極限状態になり、汗は粒ではなく流れている。
この嵐の最も恐れられている理由がこれだ。強力な電磁波の影響で誤作動したシステムが、何を引き起こすかは見当もつかない。
それを防ぐ対電磁シールドも、やはり効果が薄かったようだ。
「スラスタ…燃料供給カット。タンクも捨てるか」
そこでエリファスは大胆な対策を講じる。姿勢制御スラスタの誤作動を防ぐため、その燃料供給を元から全て絶った。
これは姿勢制御のアシストを失うことを意味しているのだが、予想外の動きをされるよりはマシだ。それに、エリファスが燃料タンクを捨てた途端にリーシャの翼は暴風の流れを捉える。軽減された重量が微妙なバランスで風の抵抗を減らしたのだ。
「よし。これで難所は一つ抜けたな」
急に素直に反応する操縦桿の手応えに、ようやく安堵したのか、エリファスは携行している水のボトルから一口含み、口の中を潤す。水の冷たさが熱もった頭も一緒に冷ましてくれるようで、心地よかった。
少し落ち着いたところで、早速次だ。
「予測進路はこれで間違いないはずだ。あのお嬢さんが同じことを考えているのならば……いや、考えているはずだ」
ソフィアたちの行動理由に、エリファスは大方の予想はつけていた。要は嵐の力を利用してリーシャを上回る速度を出し、こちらを捉える。それが予想できる、機体性能に差がある彼女たちが競争に勝つための計画だ。
(彼女たちが、こちらの接近を事前にレーダーか何かで把握出来ていたのならば、こちらが競争をやめたことに気づいただろう。今頃、このような事態にならなかった…)
とはいえ、それは今更の話だ。エリファスは再び脳裏に浮かんだ自分の雑念に舌打ちをする。
「つい余計なことを考えてしまうな。早く彼女たちを見つけて、このゴタゴタを終わらせよう」
全てはそれからだ。エリファスは気を引き締め直し、改めて操縦に集中し直した、その瞬間だった。
「…なんだ?」
エリファスの視界に、光が見える。どうやら、何かの物体に太陽光が反射したようだ。
パイロットであるエリファスは、高い視力を誇る自分の両目を更に見開き、光の方向を凝視する。視界に捉えたそれは、どうやら落下する物体のようだ。
その物体の形状を確認出来た瞬間に、息が文字通り止まる。
「あれは、エンジン……なのか?」
セルネアの機体とは形が異なるが、エリファスは自分の知識や経験から、それがエンジン部分であると直感する。
それが意味することは…
「ふざけるな!」
エリファスはエンジンの出力を上げて急加速を行う。頭が認めてしまった結論を振り払うように。
「ここまで面倒を起こして、話も聞かない内に終わらせるか!」
エリファスには、もはや機体の空中分解などを恐れる気は微塵もなく、磁気嵐の暴風を全速力でひたすら突き進む。軋む機体の音がストレスを与えてくるが、それでも躊躇なく加速をする。
猛烈な追走が功を奏したのか、エリファスは遂に目標を捉えた。
「…そこか!!」
前方、やや上方に、ソフィアたちの機体をハッキリと捉える。エリファスは見つけた事に、喜びも怒りも感じない。ただ、安否を確かめたい一心でエリファスはひたすら接近する。
ところが、蛇はそこで牙を向けてきた。
「くっ!! 風向きが変わる!! いかん!!」
機体の姿勢が乱れ、コントロールを失いかける。操縦桿を引くが、立て直しきれない機体は揺さぶられ続ける。
ところが、とても余裕がない状況の中にも関わらず、エリファスの目はエンジンを失いながらも飛行するアリアスの機体に釘付けになっていた。
奇跡的に上手く風に乗れていたのだろうが、暴風の風向きが変わると推進力を失った状態の機体は成す術なく翼をへし折られ、墜落は免れられないだろう。
エリファスは即座に覚悟を決め、落下するであろうソフィアたちの機体を助けるため、急降下の準備に入る。当然、成功確率は低く、自分の危険が飛躍的に高まる行為だが、迷っている時間はない。
だが、予想は裏切られた。
「おいおい、嘘だろ」
信じられない。
エリファスは口が半開きになり、言葉を失った。
「ソフィア様、翼の固定は再確認しました。今度はそう簡単に外れないはずです」
アビーはピロピロと、自信たっぷりに音を立てる。それを聴いたソフィアも、了解の頷きを返す。
「よし。ルーナとニーナはどう?」
流石に暴風の中では操縦桿から手が離せないため、ソフィアは前を向いたまま尋ねる。
「うん! 衝撃・荷重緩和ジェルシートとエアバッグ、これで大丈夫だと思う! ニーナ、苦しくない?」
「はい! 背中や腰のブヨブヨした妙な感触が気になりますけど…体はずっと楽ですね!」
アリアスの汎用機"キャヴァリアー"には、船団に備わっているような重力制御装置は無い。そのため、搭乗者には操縦時の加減速や衝撃に耐える訓練が必要になる。
しかし、訓練だけで耐えられる程、その負荷は軽くない。そこで、各キャヴァリアーの座席一つ一つには、搭乗者を保護するための仕組みが備わっていた。
その一つが"ジェルシート"と呼ばれるものだ。これはシートの内側に特殊なジェル剤を充填し、搭乗者にかかる負担を相当量軽減することが出来るものだ。
しかし、通常時にジェルをシートに満たしていると、その効果は性質上劣化してしまったり、座席に身体が沈み込むことで操縦時の操作がし辛くなってしまうので、必要な時に手動で満たすのが基本になっていた。
それと合わせて搭乗者を守るのが"エアバッグ"だ。これは各座席の前に備えられている端末に搭載されており、搭乗者が不意に強い衝撃に襲われた際に風船のように急激に膨らみ、前面に身体を打ちつけないようにしてくれる。
こちらは主に何らかの衝突事故や転倒事故の際に展開する装置で、一定の衝撃力に反応して開くように設定されている。
だが、磁気嵐の中でエアバッグは作動できる保証がない。あくまでも、無いよりはマシ程度の対策ではあった。
三人の座席の準備が完了したところで、アビーもニーナの腕に抱えられる。
「みんな、準備は万端だね! そろそろ風向きが変わる………いくよ!!」
エンジンも失い、ナビゲーションシステムなども全て切ってあるので、ソフィアは操縦桿を握る掌に神経を集中させ、伝わってくる振動越しに風向きの変わり目を感じ取ると、機体を素早くロール回転させる。
「目が回るけど、少し辛抱して!! もう少しだからね!!」
「りょ、了解でーす!!」
回転する機体の遠心力で身体が重くなる。だが、ジェルシートは確実に負荷を軽減している。意外にもまだ喋れることに、ニーナは少し驚きながら返事を返した。
「…よし! 今度は高度を下げるからね! アビー、酸素に気をつけて!」
「お任せください!」
アビーは既に急降下に備えて小型の酸素ボンベからホース付きのマスクを経由して、ルーナとニーナの口元に酸素を渡していた。
ソフィアはタイミングを見計らって、操縦桿をグイッと手前に引く。すると、キャヴァリアーは逆さまの状態で機首を下げ、降下を開始した。
「カウント……ルーナ、高度計注意!!」
「いいよ!! そのまま行って!!」
ルーナはパイロットスーツの腕に予め取り付けていた高度計の目盛りに集中する。この降下は暴風の蛇から脱出するためのものではない。
「あと七秒!! お姉ちゃん、用意!!」
「了解!! 降下終了………今!!」
キャヴァリアーの翼は音を立てて風を切り裂く。機体は再びロール回転をしながら減速し、機首を今度は徐々に上向きへ引き上げる。すぐに強烈な風の抵抗が機体を激しく揺さぶるが、数秒後には振動が落ちつき、エンジンが無いので自ら加速はできないが、風に運ばれるようにキャヴァリアーは再び速度を上げていった。
「ふぅ。次はおよそ三十秒くらい後に右旋回…いや、その前に直進しながらロール回転するね」
「え? ロール…直進ですか?!」
「そうなの。ちょっと風の道にうねりがあって、そのまま進むと翼を折られちゃいそうだから、うねりに合わせてクルッとね」
ニーナは唖然とする。これから行う曲芸のような飛行も凄いのだが、それだけではない。
「ソフィアさん、その、風の"道"が見えるんですか!? レーダーとかのスイッチが切れてるのに…」
機械的な観測のデータを元に、事前に適切な飛行ルートを計算しているなら納得なのだが、この磁気嵐の影響で機器はほとんど使えない。それなのに、ソフィアには正確に"見えている"としか思えないのだ。
ニーナの質問に、ソフィアは何か考え込む。
「ソフィアさん?」
「うん…あ、ごめんね。説明したいんだけど…自分でもよくわかんないや。でも、ちゃんとわかって飛んでるから、安心して」
「は…はい! わかりました!」
「お姉ちゃん…」
ルーナは心配そうな表情で、前に座る姉を見つめる。隣に座るニーナもその様子に気づき、何か胸に引っかかるものを感じるが、何も言えない。
次の旋回運動が始まると、強引に頭からモヤモヤした気持ちは吹き飛ばされてしまった。
「なんて機動だ……あの機体の性能、ではないだろうな」
感嘆と困惑に、エリファスの胸は高鳴る。それが胸騒ぎなのか、見当もつかない。
だが、明らかに目の前を飛ぶ機体の動きは異常だった。
「電子機器をろくに使えない嵐の中で、しかもエンジンを失った状態だぞ? 有り得ない……いや、やはりそうなのか?」
頭に浮かぶ、唯一つの答え。常識では有り得ないし、それはあってはならない。
「…接近する」
無意識に重い声音で呟くと、エリファスはエンジンの推力を上げ、違うコースからソフィアたちに接近を試みる。向こうに気づいた様子はないが、目が合うほど近づけば問題ない。幸い、先ほどに比べれば暴風の流れは安定し、この辺りは風向きの変化も落ち着いていた。
「わっ!?」
ソフィアは跳ね上がるように驚く。突然、目の前の視界に影が入ってきた。
同様にルーナとニーナも驚くが、口をパクパクさせている。アビーも予想外の事に、珍しくピロピロとした音を立てない。
間も無く、ソフィアは影の正体に気づく。
「ええ!? なんでここに!?」
あれはリーシャ。競争相手のエリファスの機体だ。ソフィアの予想では、まだ進行方向の先にいるはずの機体だった。
「…ルーナ! すぐにレーダーと通信システムを再開して!」
「え? あ! うん!」
慌てて切ってあったレーダーと通信システムを回復させる。その間に、エリファスの機体はソフィアたちの前方に移動していた。
カンッ
直後に、機体に何か当たる音がする。ソフィアが目を向けると、リーシャから伸びた複数のケーブルがキャヴァリアーにくっ付いていた。
「え? なにこれ? アビー、わかる?」
「これは…曳航ケーブルでしょうか。こちらの機体を引っ張っる気かもしれません」
「曳航…って、こっちのエンジンが無い事にエリファスさんは気づいて…」
「みたいですね」
ポカーンとした顔で、ソフィアは前方の機体を見つめる。
そうしていると、通信が入った。相手はやはりエリファスだ。
「…あー、こちらエリファス。ソフィアさんたち、聞いているか?」
やや雑音が入るが、今度はしっかりと聞こえた。
「こちら、ソフィアです。聞こえています」
「そうか、良かった。では、こちらが来た理由はわかるかな?」
穏やかな口調で話すエリファスが、逆に不気味に感じ、ソフィアは少し緊張する。ルーナとニーナも、思わず息をひそめるように通信に耳を傾けていた。
「その…どうして…」
少し間があり、沈黙が続く。ソフィアは自分の心音が高鳴り、妙に冷たい汗が背中を伝う感覚に寒気がする。
「…はぁ。疲れた」
「へ?」
エリファスの気の抜けた言葉に、ソフィアも思わず気の抜けた返事をしてしまう。
「細かい話は省略しよう。とりあえず、競争は中止になった。君たちが危ないところに来たから、そちらのお姫…いや、女王陛下がカンカンだぞ?」
「…げ」
ソフィアは怒ったエメリアの怖さを誰よりも知っている。ルーナも少しは知っているが、その比ではない。話を聞いたソフィアは、エメリアの姿を思い浮かべると凍りついた。
「船団は先に目的地に向かっているから、一先ず近くにいるこちらの旗艦テルハールに行こう。それから、君達を船団に送り届ける。いいかな?」
「は、はい。すみません…」
そこでまた少し間があったが、先ほどよりは返事があるまで短かった。
「まったく……いや、それはいいさ。それから、もう一つソフィアさんに聞きたいことがあったんだ」
「な、なんでしょう?」
「さっきの操縦、なかなかやるじゃないか。どこで覚えたのかな?」
突然、褒められたような質問に、ソフィアは少し頰を赤らめ、照れる。
「あ、ありがとうございます。その、前から空を飛ぶのは憧れだったので、船団にある操縦マニュアルやシュミレーターで練習して…」
「……そうか。そういえば、初めて空を飛んだと言っていたな…」
急にエリファスの声音が重くなったように感じ、ソフィアは違和感を覚える。だが、すぐにエリファスから元の声音で"わかった"と言われて、ソフィアはなんとなくホッとした。
結局、その後は小一時間ほどで嵐から脱し、エリファスの機体に吊られるようにしてソフィアたちの機体はセルネア艦隊旗艦テルハールと合流を果たし、その格納庫へと無事に着艦する。
ソフィアたちはセルネアの船に乗ることにワクワクしながらも、この後どうエメリアに謝ろうかドキドキして、キャヴァリアーから降りるときは少し落ち着かなかったが、飛行の疲れと緊張で強張った足を床につけられることに安堵していた。
「シルヴィア、彼女たちを"連行"しろ」
その一言を聞くまでは。




