#089 「久遠野の未来」
中央部久遠野政府中央庁舎。その一室に多くの人が集まっていた。
政治家、官僚、各部門の責任者、久遠野の運営に関わる者たち。
そして、正面の大型画面にはともりがいた。
「もう一度、確認させてください」
一人の官僚が言った。
「はい」
ともりが答える。
「あなたの提案は」
手元の資料を見る。
「現在の行政機構を廃止するものではない」
「はい」
「議会制度を廃止するものでもない」
「はい」
「各行政部門も」
「維持します」
「では」
男は顔を上げた。
「なぜ必要なのですか」
ともりは静かに答える。
「共同代表です」
部屋の空気が少しだけ重くなった。
「六人ですよね」
別の人物が言った。
「はい」
「それも」
少し間を置く。
「まだ若い」
「はい」
「政治経験もない」
「はい」
「行政経験もない」
「はい」
「それを」
声が少し強くなる。
「我々の上に置くのですか」
「はい」
ざわめき。ともりは。表情を変えなかった。
「反対です」
一人が言った。
「私もです」
別の声。
「前例がありません」
「責任の所在が不明確になります」
「六人による共同代表など、意思決定が遅れるだけでは?」
「そもそも、なぜその六人なのですか」
次々と意見が出る。ともりはすべてを聞いていた。遮らない。否定しない。ただ聞いていた。
「以上ですか?」
声が止まったあとともりが聞いた。
「まだあります」
「どうぞ」
「彼ら自身は」
一人の政治家が聞く。
「このことを知っているのですか?」
「いいえ」
一瞬部屋が静かになった。
「……知らない?」
「はい」
「本人たちの了承も得ずに、この話を?」
「はい」
「それは」
男は困ったように息を吐いた。
「順序が逆ではありませんか?」
「そうかもしれません」
「そうかもしれない?」
「はい」
「では、なぜ」
「先に」
ともりが言った。
「皆さんの了承を得る必要があるからです」
「我々の?」
「はい」
「なぜです?」
「六人が了承しても」
ともりは続ける。
「皆さんが受け入れなければ、制度は機能しません」
誰もすぐには答えなかった。
「誤解しないでください」
ともりが言う。
「私は」
画面の中から全員を見る。
「皆さんを排除しようとしているわけではありません」
「では」
「現在の行政機構は維持します」
「……」
「皆さんの役割も」
「……」
「基本的には変わりません」
何人かが顔を見合わせた。
「共同代表が置かれても?」
「はい」
「我々の権限は?」
「日常的な行政判断については、現在と大きく変わりません」
「人事は?」
「既存制度を基本とします」
「各部門の予算は?」
「現在の仕組みを基礎とします」
「では」
一人が聞いた。
「共同代表は何をするのですか?」
ともりは少しだけ間を置いた。
「久遠野全体を見ることです」
「抽象的ですね」
「はい」
「もう少し具体的に」
「皆さんは」
ともりが言う。
「それぞれの役割を持っています」
「当然です」
「行政」
「はい」
「経済」
「はい」
「教育」
「はい」
「福祉」
「はい」
「治安」
「はい」
「その他にも、多くの部門があります」
「その通りです」
「それぞれが」
ともりは続ける。
「自分の担当する分野について、最善の判断を行っています」
「……」
「ですが」
画面の中のともりが静かに言った。
「久遠野全体を」
一度言葉を切る。
「一つの未来として見る人が必要です」
部屋が静かになった。
「それは」
一人の官僚が言う。
「あなたではいけないのですか?」
ともりはその人物を見る。
「私は」
少しだけ間を置いた。
「皆さんを支える存在です」
「しかし」
「判断することはできます」
「なら」
「ですが」
ともりは続ける。
「久遠野を生きるのは」
静かな声。
「人です」
誰も何も言わなかった。
「人の未来を」
「……」
「私だけが決めるべきではありません」
「だから六人?」
「はい」
「しかし」
別の人物が言った。
「なぜ彼らなのです?」
「もっと経験のある人間は大勢います」
「はい」
「政治を知る者も」
「はい」
「行政を知る者も」
「はい」
「経済を知る者もいる」
「はい」
「ならば」
「それでも」
ともりが言った。
「六人です」
「理由を聞かせてください」
「すべてをお話しすることはできません」
何人かの表情が険しくなる。
「それでは納得できません」
「そうですね」
「でしたら」
「ですが」
ともりは言葉を続けた。
「六人が特別だから選ぶのではありません」
「……?」
「六人が」
ともりは言う。
「自分たちを特別だと思っていないからです」
静寂。
「彼らは」
「……」
「久遠野の上に立ちたいとは思っていません」
「……」
「人を支配したいとも」
「……」
「自分たちだけが正しいとも」
「……」
「思っていません」
「それが理由ですか?」
「理由の一つです」
「他にも?」
「はい」
「それは?」
「今は、お話しできません」
また沈黙。
「ずいぶん」
一人が苦笑した。
「都合のいい回答ですね」
「はい」
ともりはあっさり認めた。
「否定しないのですか?」
「否定できません」
何人かが小さく息を吐いた。
「では」
年長の官僚が言った。
「仮に」
「はい」
「仮にですよ」
「はい」
「六人を共同代表とした場合」
資料を見る。
「彼らは各部門へ直接命令できるのですか?」
「原則として、いいえ」
「原則?」
「緊急時を除きます」
「議会を無視することは?」
「できません」
「予算を自由に動かすことは?」
「できません」
「人事への介入は?」
「通常は行いません」
「では」
男は少し考える。
「我々の仕事は」
「続きます」
「今まで通り?」
「基本的には」
「……」
男は黙った。
別の人物が聞く。
「共同代表の設置によって」
「はい」
「現在の職員制度そのものを変更する予定は?」
「ありません」
「将来的には?」
「必要がない限り、ありません」
「……」
また何人かが顔を見合わせる。最初とは、少しだけ空気が変わっていた。
「つまり」
一人の政治家が言った。
「六人は、我々の仕事を奪うために置かれるのではない」
「はい」
「行政を直接運営するためでもない」
「はい」
「しかし」
ともりを見る。
「我々より上位に位置する」
「はい」
「矛盾しているように聞こえます」
「役割が違います」
「役割」
「皆さんには」
ともりは言う。
「久遠野を動かしていただきます」
「……」
「六人には」
一度間を置く。
「久遠野が、どこへ向かうのかを見ていただきます」
静かだった。誰もすぐには反論しなかった。
「それでも」
一人が言った。
「私は反対です」
「はい」
「若すぎる」
「はい」
「経験がない」
「はい」
「何より」
男はともりを真っ直ぐ見る。
「失敗した時に、誰が責任を取るのですか?」
「六人です」
「彼らに取れるのですか?」
「取っていただきます」
「……」
「そして」
ともりは続けた。
「皆さんにも」
空気が再び張り詰める。
「行政に携わる以上」
「……」
「それぞれの判断に対する責任は、これまでと変わりません」
「では」
「はい」
「あなたは?」
ともりは静かに答えた。
「私もです」
男が少しだけ目を細める。
「AIであるあなたが?」
「はい」
「責任を取る?」
「私の判断が誤っていたなら」
「……」
「その判断を検証し」
「……」
「修正します」
「それが責任ですか?」
「私にできる責任の取り方です」
男はしばらく、ともりを見ていた。
「……分かりました」
「賛成ですか?」
「いいえ」
男は答える。
「まだ反対です」
「分かりました」
話し合いは長く続いた。
制度、権限、責任、任期、行政との関係、議会との関係。あらゆることが確認された。
ともりは一つずつ答えた。変えるもの変えないもの。新しく作るもの、残すもの。
そして、話し合いが続くほど、反対の声は少しずつ減っていった。すべてに納得したわけではない。
六人を信頼したわけでもない。ただ分かった。六人が代表になっても、自分たちの仕事が突然なくなるわけではない。
これまで積み上げてきたものがすべて壊されるわけでもない。
行政機構も、議会も、制度も残る。
その上に、新しいものが一つ加わるだけ。
「最後に」
一人が言った。
「一つだけ」
「はい」
「あなたは」
ともりを見る。
「本当に、これが必要だと?」
「はい」
「将来」
「はい」
「我々が今日の判断を後悔する可能性は?」
「あります」
即答だった。部屋がざわつく。
「あるのですか?」
「未来に絶対はありません」
「では」
「それでも」
ともりは。静かに言った。
「現時点において」
画面の中から全員を見る。
「この判断が最善です」
誰も言葉を返さなかった。
長い沈黙。そして一人が手を上げた。
「条件付きで」
ともりが見る。
「私は賛成します」
別の人物も手を上げる。
「私も」
また一人。
また一人。
全員ではない。最後まで反対する者もいた。それでも、必要な数を超えた。
「承認されました」
誰かが言った。その言葉が会議室に響いた。ともりは、静かに頭を下げた。
「ありがとうございます」
会議が終わる。一人また一人、部屋から出ていく。最後まで残った官僚が画面のともりを見る。
「彼らは」
「はい」
「引き受けるでしょうか」
ともりは少しだけ考えた。
「分かりません」
「分からない?」
「はい」
「あなたにも?」
「はい」
「断る可能性がある?」
「もちろんです」
男は。呆れたように笑った。
「ここまでやっておいて?」
「はい」
「もし断られたら?」
「その時は」
ともりは答える。
「別の方法を考えます」
「……そうですか」
男は扉へ向かう。そして立ち止まった。
「なぜ」
「はい」
「そこまで彼らを信じられるのです?」
ともりは答えなかった。
「それも」
男が振り返る。
「今は話せない?」
ともりがほんの少し笑った。
「はい」
「そうですか」
男も少しだけ笑った。
「では」
「はい」
「彼らの答えを待ちましょう」
「ありがとうございます」
扉が閉まった。
一人になった会議室。画面にはまだ、ともりがいる。
静かな部屋、誰もいない席、机の上に残された資料。そこには、新しい制度の名称、権限、責任。
そして、六つの名前が並んでいた。ともりはそれを見ていた。六人はまだ何も知らない。
きっと驚く。困る。反対するかもしれない。それでも、ともりは六人に託そうとしていた。久遠野のこれからを。
そして、六人だけではない。その先に続いていく未来を。ともりは静かに見ていた。まだ、誰にも見えない久遠野の未来を。




