スパイスボウルのような街で
引っ越しをして、ダアチとミコを迎え入れ、しばらく経った。
三人で暮らすようになって、いろいろと変わったこともある。だが、それにも徐々に慣れてきた。
まず、外出は基本的にダアチを連れて行くようになった。
これは仕事も例外なく、組合や北方の研究室に向かうときもそうだ。護衛としての任務である。北方の街中で襲われたことへの対策なので、こうでもしないと答えにはならない。
せっかくなので、職場では秘書のような役割も果たしてもらっている。元々付いていてくれている秘書の娘と比べて、専門知識には劣るが管理領域に勝る、といったところか。魔術や組合内の知識は譲るが、自宅の蔵書やメモの情報と組み合わせるのは彼にしかできない。
そしてその分、日中の自宅はミコにおまかせしている。
ミコも少しは街に慣れて、今では一人で買い物もできるようになった。もちろん、危険に直面したら即、帰宅するように言ってある。
まあ、ミコの腕ならば、その場で"対処"することも可能だろう。ただ、それは後々、こちらの首を締める可能性がある。
それに、逃げると決めてさえいれば、ミコに危険が迫ることはまずない。人混みだろうが裏路地だろうが、半獣族の俊足で駆け抜けるのだ。追いつけると思うほうがおかしい。相手も半獣族ならわからないが、人口比を考えるならば、警戒するには値しないだろう。
そんなある日の午後、俺とダアチは、はやばやと自宅の門をくぐっていた。
珍しく仕事が途切れ、連絡待ちのあれこれも、すぐには結果が出ないという絶好の機会。しかも週末だ。ただちに机上を片付け、帰宅したのである。
「ふぃー、帰った帰った。ダアチも一週間お疲れ様」
「いえ、これも私の役目ですので」
「あはは……。ちょっと早く着いちゃったけど、ダアチはやることある?」
「はい。よろしければ、来週の準備を済ませましょうか? 用意する資料がある、と認識しておりますが」
そう言えば、職場でそんなことを話していた。
手持ちに適したものがあれば、自宅の資料を持ち出すこともある。確か急ぎではないということだったが、週末を挟むとなれば、忘れないうちに用意しておくのも良さそうだ。
「あ、いいの? あとでも問題ないんだけど……」
「はい、時間がありますので」
無表情で、ともすれば仏頂面とも取られかねない顔だが、その声には嫌味もおごりもない。ただ自分が為せることを行う。半ば機械めいた行動原理だが、間違いなく、その根底には意志がある。
俺はカバンを肩から下ろし、差し出した。
「じゃあ、お願いします」
「承知いたしました」
俺からカバンを受け取ったダアチは、そう言って一礼し、二階へと上がっていく。
面接のときに話したとおりではあるのだが、資料の整理はダアチに一任している。彼の記憶力はかなりのもので、ちょくちょく俺の曖昧な記憶から、正確な資料の位置を割り出してくれている。
異能のせいか、無限の知識を持つと勘違いされがちだが、俺の記憶力はあくまで人並みだ。おとといの晩御飯とか、結構忘れる。
翻訳の異能は、ヒントを元に知り得ないことを知ることができる。だがそれは、今までの履歴や記憶を自在に取り出せるわけではない。キーとなるものが曖昧だと、ど忘れしたように引っ張り出せなくなることもある。
そういう「あのときあったアレ」みたいなあやふやな記憶を、はっきりとした情報に整えてくれるのがダアチである。
そして副次的な効果として、本が積み上げられっぱなし、メモ束が出しっぱなしになることが減った。平積みの本が部屋から消え、床面積が増えた。
まあそれは、引っ越して収納スペースが増えたことも影響している。元の部屋では収まりきれない量ではあったのだろう。……多分。
さて、それはともかく。
こうなるとこの時間、どう使うか悩みどころだ。
広間や自室で本のひとつでも読む、というのもアリなのだろうが、仕事で文字とにらめっこし続けていたばかりである。多少のインターバルは挟みたいのが人の情。
というわけで、ミコが居るであろう台所へ向かった。良い匂いがする……、には少々時間が早いが、物音がするので調理中なのだろう。
「ただいま、ミコ」
「あっ、やっぱりご主人さまです。おかえりなさいませ」
台所の扉を開け、声をかけると、ミコは笑顔で迎え入れてくれた。ノックもせずに入ってきた俺に驚くこともない。まあ、驚かそうとしたわけではないし、台所にノックして入る奴も居るまい。
そもそも、どうやらはじめから、ミコは俺の帰宅を気づいていたらしい。……やっぱり猫的な感覚なのだろうか。それとも、格闘家的な勘や技術なのだろうか。
「今日のお仕事はおしまいですか?」
「ああ、うん。今日はちょっと早く終わったんだ」
ミコの問いに、簡潔に答える。それを聞くと、ミコはちょっと困ったような顔をして、
「じゃあ、広間で待っていてほしいです。ここはご主人さまが居るような場所じゃないですよ?」
「えー……。ミコのお仕事してるところを見ていたいな、って思ってたんだけど。ご主人さまのお仕事として」
「むぅー……」
話しながら、かたわらの丸椅子を引き寄せ、座る。そんな俺を見て、ミコはさらに困った顔をしつつも、ちょっと嬉しそうだ。
なにも、俺はミコの邪魔をしに来たわけではない。
なんだかんだで、俺は日中帯に外出していることが多い。仕事中、ずっと一緒にいるダアチより、ミコのほうの接点が少なくなりつつあった。
それに何より、料理をしているときのミコは、明るく話しやすい。
それ以上の追求が来なかったので、台の上に並ぶ食材を眺める。今日の材料は肉と複数の野菜、それと香辛料だ。
ミコの料理は東方の家庭料理がベースとなっているらしく、スパイスをよく使う。もっとも、いくつかは交差点で買うととても高いので、大体は簡略化したり、手に入りやすいもので代用するらしい。今回並べられているものも、うちに常備されるようになったものばかりだ。
そういう意味では、今回はどちらかというと、野菜のほうがイレギュラーに見える。
「何か珍しいものがあるけど……。これは、芋かな?」
「はい! お野菜売りのおばあちゃんが、おまけだよってくれたお芋です」
「ああ、あのときの」
はじめて一緒に食料品を買いに行ったとき、最後まで話し込んでいた人だ。あの後も何度か顔を合わせたが、何かとミコを気にかけてくれていたようだ。
「お肉と、他の野菜と、一緒に千切りにして炒めるです」
「へぇー……。芋を炒めるってあんまりやったことないなぁ」
芋と言われると、個人的には揚げたり茹でたり、あとはふかしたりするイメージがある。
「じゃあ、これは皮を剥いて千切りにすれば良いんだ?」
「……ご主人さま?」
俺の一言に、ミコがジト目でこちらを見た。
「それはご主人さまのお仕事じゃないです」
「でも、ミコは香辛料の準備をするんでしょ? 挽いたり、刻んだり、混ぜたり」
ミコの手元には、浅めの小鉢と木の棒が置いてある。何度か、それで香辛料を挽いているところを見たことがある。
「はい、その後にするです。大丈夫です」
「一緒にやったほうが早く終わるじゃない。俺もお腹空いたし、おしゃべりするから邪魔しちゃうし、手を動かしてたいんだ。せっかくだし」
「むぅー……」
ミコは少し唸ったあと、大きく息をついた。渋々といった具合に口を開く。
「じゃあ、5つお願いするです。千切りにして、水を張った鉢に落とすです。しばらく水に晒した後、ざるに取って水を切るです」
「了解」
しばらく、何ということもない日常について話をする。ただ今日あったことを伝え、笑ったり、驚いたり。
俺もミコも、あまりこういう会話は得意ではない。だが俺は異能のおかげか、会話のキャッチボールの球種が見え、コントロールが良くなっている。
それに、ミコもだいぶ変わったと思う。初対面の力みっぷりが嘘のように、よく笑顔を浮かべ、落ち着いて喋るようになった。言葉のたどたどしさは相変わらずだが、危なっかしさはめっきりと減っている。
ひととおりの話が終わり、芋の皮を剥く音と、香辛料を挽く音、あとは汁物でも作るのだろうか、何かが入った鍋を熱する火の音だけが流れている。
ミコとこんなふうに過ごせるようになったのも、成長と言えるのだろうか。最初は少し会話が途切れると、途端にそわそわとしてしまっていた。……まあ、気持ちはわからないでもない。俺もそういう面では、人のことをとやかく言えない。
「……ご主人さま」
「ん?」
不意に、ミコが声をかけてくる。
手は止めず、目も向けないが、その声は、ミコの緊張がありありと伝わってくるものだった。
「あの。聞いても、いいですか?」
「うん」
即答する。ミコに合わせて、俺も手は止めない。
ミコは俺の返答を聞いた後、たっぷりと間をおいて、ぽつりと呟いた。
「……ミコは今、とっても幸せです」
その言葉とは裏腹に、声は上ずって。戸惑いながら喋るからだろうか、かすれるような声は、ミコの手元で生じる音にすらかき消されそうだ。
「でも、わからないのです。ずっと、こんなことなかったから……」
「……それは、北に来る前の話?」
「はい。……あの、ごめんなさい。詳しくは、言えないです。でも、」
ミコの手元から音が止む。顔を上げると、こちらを見つめる瞳と目が合った。
「なぜ……、ミコは嫌われていたのか。なぜ、ここだとあまり嫌われないのか。わからないのです」
「それは……、」
言葉を続けようとしたとき、ふと、答えが湧き上がる。
「多分、どっちも同じだ。……わからないからだと思う」
「わからない……、からですか?」
「ええと……、難しいな。ちょっと待ってね、考えるから」
そう断って、考えを巡らす。ぽっと出てきた答えを口にしてしまったが、なぜそうなるのかが整理できていない。それに、別に間違ったことを言ったと思っていないのも不思議だった。
ミコが北方で保護され、奴隷となる前の話は、何も知らないということになっている。
……だがまあ、半獣族で、東方の家庭料理を作るような人間だ。十中八九、東方の出身だろう。こちらではレアな香辛料まで使うとなれば、なおさらである。
俺は東方に詳しいわけではない。行ったことはあるが、観光という雰囲気でもなかったし、街と城を歩いた程度だ。見ることができたのは、あの国のほんの一部だろう。
ただ、それでも。
ミコを見て、東方を見て。俺はなんとなく、噛み合う理由を感じていた。
……なんか、似たような話をどこかでした気がするな。
「あ、それだ。それがちょうど良い」
ふとひらめいたのは、ミコの持っている小鉢に目を留めたときだった。
「これ、ですか?」
「うん。あとこっちも、かな」
俺はまだ混ぜられていない香辛料を指差す。
「香辛料って、優しい香りのやつもあれば、特徴的な香りのやつもあるでしょ? たとえば特徴的なものを、単独で使うと癖が強い。でも……、」
そこまで言って、差していた指をスライドさせる。ミコの手の中にある小鉢を指して、止めた。
「それを複数組み合わせると、癖を柔らかく感じるようになる。けっしてなくなるわけじゃないのに」
小鉢を指していた手を引っ込める。指先を追うように見ていたミコと目があった。
「多分、人も同じなんだ」
「人も、同じ?」
「うん。ミコの居たところがどうだったのか、俺にはわからない。けど、きっと限られた仕事を、子が親を継いで、同じように続けていく……。そんな感じだったんじゃないかな」
「は、はい」
「だから、ミコの特徴が飛び出てるように見えたんだ。周りの人は、それがよくわからないものだから、どうにかして普通にしようとしたんだと思う」
ミコの表情が僅かに歪む。感情を言葉にするなら、信じたくない、といった感じだろうか。
……まあ、それはそうだろう。だって、それではまるで、
「……別に、何か悪意があったわけじゃないと思う。俺が思うに、きっとそれは善意なんだ」
そう、それはまるで、病人を治療するような善意の行動だ。
「もちろん、善意だからすべて良いこととは限らない……。っと、話がそれてるな。交差点の話をしようか」
俺は話を打ち切った。ミコの反応がよろしくなかったし、そもそも質問に対する答えとしては、あまり関係のないところだ。ここを深く掘り下げる必要はない。
改めて口を開く。
「交差点にはいろんな人がいる。いろんな人が、いろんな生き方をしてる。だから、ミコの特徴もよくわからなくなったんだ」
「それは、ミコがこの街に混ざったから、ですか?」
「そうだね。それに、ここにいる人たちは比較的、そういうことに寛容なんだと思う。皆、少しは自分もそうだ。って知ってるから」
「……」
俺はミコの故郷を知らない。だから想像での比較でしかないし、逆に交差点のすべてを知っているわけでもない。
ただ、この街にそういう気質があるのは確かだ。……でなければ、訪問者管理組合なんてものが、ここに成り立つはずがない。
「これはどちらが良くてどちらが悪い、って話じゃない。そこに住む人たちが、その人たちのために決めてきたことだから。きっと、交差点を住みづらいと思う人たちも、東方を気に入って長く住む人たちも、どっちも居る。……ただ、」
そこで、俺は笑った。ここでやっと、結論が言える。
「ただ、俺は交差点のこと、良い街だなって思ってる」
「……はい。ミコも、そう思うです」
そう答えて、ミコも笑った。
それは多分、すべてが解決した笑みではなかったけれど。
でもきっと、少しは良くなったのだと、そう思わせるような笑顔だった。
「そっか、良かった。……ただ、そうやってここで生きるには、ひとつ条件がある。……と思う」
ミコが首をかしげる。その疑問を解くために、俺は改めて口を開いた。
「腐らないこと。何しろ、香辛料だからね。自分を立てて、相手も引き立てないと」
商業都市であるこの街において、阿漕な商人はすぐに嫌われ、割を食う。
騙される方が悪い、という不文律はあれど、明日は我が身だ。ここでは買い手が売り手に、売り手が買い手にと、立場が目まぐるしく変わる。
そんな街で、安心してモノを買えない、という事実がどれだけの損失なのか。
だからこそ、この街の人々は良い商人で在ろうとする。
もちろん、絶対の善人では在りはしない。各々の頭に各々の未来を描き、各々の腹に各々の思惑を抱えながら、理と利益を天秤にかける。どちらにも寄りきらず、どちらも捨てることはない。
きっとこの街は、冷たくもあれど、懐は深い。
「……ご主人さま、すごいです」
「そうかな……? どちらかと言うと、すごいのはこの街の方だと思うけど」
こうストレートに称賛されると、なんというか、くすぐったい。
しかし、そんな俺の返答に、ミコは首を振って、
「いいえ。……きっと、ご主人さまが伝えてくれたから、ミコもわかったんだと思うですよ?」
なるほど。それは確かに、そうかもしれない。
たとえ話は、時に想定とは違う伝わり方をするという難点がある。だが、翻訳の異能は俺の意図を上手く伝えてくれたらしい。
ミコは鼻歌を歌いながら調理に戻る。
それを確認して、俺も水にさらしていた芋を引き上げた。
「ああ、旦那様。ここにいらっしゃったのですか」
そのとき、台所の戸が開き、ダアチが声をかけてくる。
「え、あ、ごめん。探してた?」
様子を見るに、どうやら俺を探していたようだが、なかなか見つからなかったらしい。
まあ、それも仕方のないことだ。まさか屋敷の主人が、帰宅してすぐに、台所で芋の皮を剥いているとは誰も思うまい。
「はい。本屋通りからお荷物です。旦那様にご確認頂きたいとのことで」
「え? ああ、取り寄せてたやつか。明日で良いって言ったのに……。今行くよ」
多分、気を利かせてくれたのだろう。遠いんだから、戻ったら日も落ちちゃうだろうに。辻馬車の分くらい余計に渡しておくべきか。
「はっ、こちらです」
そう言って、ダアチが先導する。
別に自宅なんだから、行く先なんてわかるんだけどな……。と思っていると、
「……旦那様」
「はい?」
その途中で、ダアチが立ち止まる。台所からも、玄関からも、見えず、聞こえない位置だ。俺の方へ振り返り、頭を下げる。
「申し訳ございません、立ち聞きをしておりました。処罰は如何様にも」
「えっ?」
俺は驚きつつも、何と反応して良いものかわからなかった。
驚いたか、と言われれば確かにそうだ。わざわざダアチが立ち聞きをする必要もない話だし、あえてそれを俺に告白する必要もない。
そもそも黙っていれば、俺はまったく気づいていなかったのだ。もしかしたらミコは気づいていたかもしれないが、それならそれでこちらではなくあちらに言えば良い話だ。
それをわざわざ切り出したということは、どういうことなのか。
「いや、内緒話じゃないし、別に良いけど。何?」
俺の言葉に、ダアチは顔を上げた。いつもの冷静な表情のままだが、僅かに戸惑いが見える。
「……何、とは?」
「いや、ほら。わざわざ言うんだし、何か話したいことがあるんじゃないかな。と思って」
「……」
俺の言葉が誘い水になったのか、ダアチの沈黙はほんの一瞬だった。
「……ありがとうございました」
その言葉に、俺は少し驚いた。礼を言われるとは思っていなかったからだ。
「あ、ああ。なんかよくわからないけど……。良かったんなら、良かった」
「はい。とても」
「そっか……。じゃあ、玄関の方は俺ひとりで大丈夫だから、ダアチはミコを手伝ってあげて。俺、お腹空いた、って言っちゃったから。ミコ、急いでるかもしれないし」
「承知いたしました」
そう言って、ダアチは台所へ戻っていった。
……正直な話、ダアチにとって何が良かったのか、俺にはわからなかったが。
今はまあ、それでも良いんじゃないかな、と思う。
# 使用人
主に家内労働によって賃金を得る者たちの総称。
小さな屋敷では数が少なく、多くの職務を兼ねることが多いが、大きな屋敷では数十、数百と雇われ、細かな職務が割り振られる。
炊事や洗濯といった家事のほか、御者や庭師、乳母もこれに含まれる。




