第8話:真面目すぎる勇者
草むらを抜けた小道で、二人は並んでなだらかな丘を登っていた。
先ほどの一件で自分がどれほど的外れな思い込みをしていたのかに気づいたのか、レイアは俯いたまま、きゅっと唇を引き結んでいる。トボトボと歩くその背中には、目に見えるほどの落ち込みが漂っていた。
「……そんなに落ち込むな。いいことを教えてやるよ」
見かねたように浩之が声をかけると、少女はびくりと肩を揺らし、おずおずと顔を上げた。
「いいことって……?」
「さっきの戦闘で、お前はレベルが1から2になった」
「え……?」
レイアは大きく目を丸くし、自分の両手をひっくり返したり見つめたりした。だが、当の本人は何も変わった実感が湧かないらしい。
「レベルってなに……? え、でも、私……スライムを倒すどころか、ヒロユキさんの後ろで見てただけだよ? 何もしていないのに、そんなことあるの……?」
「まあ、そういうシステムなんだ」
「しすてむ……?」
耳慣れない言葉を繰り返すレイアに、浩之は軽く肩をすくめて見せた。
「要するに、そういう世の中の理があるんだよ。魔物を倒せば経験値が入り、一定数を超えれば勝手に身体が強化される。お前の意志とは関係なく、な」
「そんなの……聞いたことない……」
レイアは困惑したように眉を寄せ、歩みを緩めた。
彼女にとってこの世界は、理不尽に厳しく、血を流して耐え忍ぶのが当然の場所だった。努力や根性、あるいは生まれ持った運命の重さに押し潰されながら生きるのが「勇者」の務めだと信じ込んでいた少女にとって、「戦闘に参加していないのに勝手にレベルが上がる」という仕組みは、あまりにも勝手が違いすぎて理解が追いつかないらしかった。
だが、そんなレイアの混乱をよそに、浩之の脳裏には先ほどから気になっていた疑問が渦巻いていた。
そもそも、この世界の人間が「レベル」や「ステータス」という概念をどこまで認識しているのかという点だ。街の人間たちは「勇者」という称号や、大まかな神託の言い伝えなどは口にするが、具体的な数値やシステム的な裏側の仕様については、まるで把握していないように見えた。
(……いや、正確には「知らされていない」のか、あるいは「見えないように制限されているのか」)
浩之自身は、視界の隅に常にウィンドウや隠しパラメータがポップアップする特殊な環境にいる。しかし、目の前の少女や、街ですれ違った他の住人たちの様子を見る限り、彼らの目にはそうした「裏側のデータ」は一切映っていないらしい。
見えないルールに縛られ、ただ理不尽な難易度だけを押し付けられる。それがこの世界の住民のデフォルトなのだとしたら、それは仕様という名の欠陥――すなわち、見事なまでの「クソ仕様」だった。
「なあ、レイア」
思考を切り替え、浩之は前方を歩く少女に声をかけた。
「ん……? なに、ヒロユキさん」
「さっきの話の続きだが。お前、どうしてあんなスライムの群れを相手に、一人で突っ込もうとしていたんだ? そもそも、街を出るときからずっと一人だったろ」
その問いかけに、レイアはぴくりと動きを止めた。
彼女は気まずそうに視線を泳がせ、足元の草むらをブーツのつま先でトントンと突く。そして、言い訳を探すように小さく唇をもごもごさせた。
「だって……仕方ないじゃない……」
「何が仕方ないんだ」
「だって、王様が……」
レイアは両手で自分の旅衣の裾をぎゅっと掴み、恥ずかしそうに顔を赤らめながらポツリと言った。
「王様が言ってたの。『魔王を討伐する勇者よ、汝はただ一人、孤独な旅路を歩むこととなるだろう。何者にも頼らず、自らの力で運命を切り拓け』って……そう、すごく厳かな顔でおっしゃったんだもん」
それを聞いた瞬間、浩之は思わず言葉を失った。
脳裏に浮かんだのは、王宮の玉座で気取ったポーズをきめていそうな老国王の姿と、それを真面目な顔で一言一句聞き入る少女の姿だ。
(……まさか、本気でそれを真に受けたのか?)
「お前……まさかその言葉を、文字通りに受け取ったのかよ」
「だって、王様の言葉だよ!? 国の最高権威であり、世界を救うための神託を授けるお方だよ!? そんなの、絶対に従わなきゃいけない決まりなんだって思ってた……」
レイアは半泣きになりながら、両手で自分のこめかみを押さえた。
彼女の目には、あの日の王宮の光景がまざまざと焼き付いていたらしかった。大勢の臣民の前で褒美を授けられ、神聖な剣を渡され、「一人で旅立て」と告げられたときの緊張感。真面目すぎるがゆえに、彼女はその言葉を呪いのように背負い込んでしまったのだ。
「……待て。その時にお前がもらったのって、あの腰の青銅の剣だよな?」
「う、うん。王様が『勇者に相応しき神聖なる武具だ』って言って……」
「どこが神聖だ、あれは! 刃こぼれしかけの安物雑貨だろ! 魔王を倒す勇者に青銅の剣を渡すってどういう冗談だ。国宝の剣とか魔法の剣とか、いくらだってあるだろ普通! せめてそこらの兵士が持ってる鋼の剣でもよこせよ!」
「ひっ……! 王様をそんな風に言っちゃダメ……!」
「ダメじゃねえよ、どう考えても予算ケチっただけだろそれ! お前、まんまと国のパシリにいいように使われてるだけじゃないか」
浩之の容赦ない正論に、レイアは頭を抱えてぺしゃんとしゃがみ込んでしまった。
「うう……だって、信じるしかなかったんだもん……。誰もそんなこと教えてくれなかったし……」
「……呆れてものが言えんが、まあ、真面目すぎるのも考えものだな」
浩之は呆れたように小さく息を吐き、やれやれと首を振った。
「そんなの、為政者が都合のいいように言ってるだけの精神論だろ。大体、組織のトップが言う『一人でやれ』なんてのは、現場の人手不足をごまかすための常套句にすぎないんだよ。真面目にそれを守る奴がいるか」
「で、でも、他の人だって……!」
「他の冒険者を見ろよ」
浩之は顎で前方をしゃくる。
ちょうど少し開けた街道の向こうから、屈強な男たちや軽装の魔導士風の男女が、楽しげに話し合いながら歩いてくるのが見えた。彼らは大きな荷物を分け合い、前衛と後衛で自然に位置取りを決め、明らかに「複数人でのパーティ」として行動している。
「あの人たちは……?」
「普通に仲間同士でパーティを組んでるだろ。前衛とか後衛とか、それぞれの役割も分担して、お互いの弱点を補い合いながら狩りをしている。お前が見てきた他の冒険者だって、みんなそうじゃないのか?」
「あっ……」
レイアはハッとしたように目を見開いた。
言われてみれば、王都のギルドや酒場にはいつも多くの冒険者たちが集まり、仲間同士で酒を飲み、作戦を練り、大勢で依頼を受けていた。彼女もそれを見たことはあったはずだ。だが、「勇者は孤独でなければならない」という王様の言葉が頭にこびりついていたせいで、周囲の光景が全く目に入っていなかったのだ。
「私……みんなみたいに、誰かと組んじゃいけないんだって……」
「思い込んでいただけだろ。誰がそんなルール決めたんだよ。神様か? それとも、あの暇そうな王様か?」
「うっ……」
ぐうの音も出ないとはまさにこのことだった。レイアは顔を真っ赤に染め、恥ずかしさのあまりその場でうずくまりたいようなポーズをとる。
見れば見るほど、この少女はただの「融通の利かない真面目な優等生」だった。実戦経験もなければ、世渡りの知恵もない。ただ王様から渡された「勇者」という重すぎる肩書と、無茶苦茶なソロ縛りの神託だけを握りしめて、放り出されるように野戦の真ん中に立たされていたのだ。
「他の奴らはちゃんとチーム戦をやっているのに、お前一人だけ、わざわざ最高難易度のハードモードを強いられていたわけだ。そりゃあ、スライムの群れに出会っただけで詰むに決まってる」
浩之の容赦ないツッコミに、レイアは涙目になりながらプルプルと震えた。
「もうやめて……! 私がどれだけバカみたいだったか、もう十分わかったから……っ!」
「わかればいいんだよ。人生、無駄な苦労は避けるに限る」
浩之はそう言い捨てるやいなや、ふと視線を前方の空に走らせた。
丘陵地帯の小道はそろそろ終わりを告げ、その先にはうっそうとした樹木が生い茂る古い森林地帯が広がっている。ゲームのマップで言えば、次のエリアへの境界線――あるいは、新たな難所が待ち受けている区間だ。
最初のスライムの群れを片付けたとはいえ、ゲームの設定はあっても、目の前で展開しているのはまぎれもない現実の地球ではない異世界だ。そんな場所で、迂闊に足を踏み入れれば、厄介なトラブルはこれから次々と起こるに違いなかった。
「勘違いに気づいただけマシだろ。いつまでも一人で気張ってるよりはな。……行くぞ」
浩之が歩き出すと、レイアは慌ててその後を追いかけた。
さっきまでの俯いた背中はもうどこにもなく、少女の足取りには確かな軽さが戻っている。
「うん! ……あの、ヒロユキさん」
「なんだ」
「その……私、一人じゃないんだよね。これから、ちゃんと……」
「ああ。少なくとも、今のところはな」
ぶっきらぼうに返しつつも、浩之は視界の端でレイアのステータスウィンドウの端をちらりと確認した。
[レベル:1 → 2]
戦闘に参加していなくとも、近くにいるだけで勝手に経験値が入る仕組みらしい。どちらにせよ、この少女が自力で戦えるように育ってくれれば、護衛する側の手間も少しは減るというものだ。
「さて、とりあえず剣を振ってみろ」
足を止め、浩之はレイアを振り返った。
「えっ、ここで?」
「レベルが上がったんだ。僅かだろうが能力が底上げされて、身体が強化されている実感が湧くはずだ。ほら、腰の青銅の剣を抜いてみろ」
「う、うん……!」
言われるがまま、レイアはおずおずと青銅の剣を鞘から引き抜いた。先ほどまでは「重くて振るうだけで精一杯だった」はずのそれが、今は不思議と軽く感じられる。足腰の重心もピタリと安定し、全身に温かい力が満ちていくような感覚があった。
「どうだ?」
「っ……なんだか、身体が軽い……! さっきまでと全然違う……!」
「なら、いい。これなら今度こそ、スライム四匹くらいなら自力で余裕で処理できるだろ」
「四匹……! うん、やれる気がする!」
見違えるほど明るい声を上げたレイアを見て、浩之はかすかに口元を緩めた。
木立の隙間を吹き抜ける風が、これからの波乱を予感させるように、冷たく二人の頬を撫でていった。




