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リアル・ログイン -やり込んだゲームに本当に入ったら、気づけば家族が増えていたアラフォー社畜-  作者: ひろボ


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第10話:仕様変更の僧侶

 森林エリアの境界を抜け、踏み固められた街道へ出る。

 ザク、ザクと革靴が乾いた土を蹴る音が、単調に耳の奥を叩く。隣を歩くレイアの足取りは幾分ましになったが、肩の力はまだ抜けきっていない。先のスライム戦で彼女は確かに経験値を稼ぎ、レベルを上げた。


 だが、戦闘の恐怖という精神的負荷が神経をすり減らしているのは、その浅い呼吸を見れば一目瞭然だった。


 視界の端でステータスウィンドウが静かに明滅する。膂力80、俊敏70。


 浩之一人であれば、この圧倒的なパラメータと超加速の加速だけで、周囲の脅威などいくらでも無視して物理で解決できてしまう。だが、隣には護衛対象であるレベル2の少女がいる。先のスライム戦、最後の四匹目で彼女は完全に硬直した。浩之が速さで割って入らなければ、あの子は怪我をしていただろう。


(HPがゼロになった際、最初の町に戻されるのかそれとも死か。現実に何がフィードバックされるのか……試す気もない)


 ポーションは有限だ。金も必要になる。つまり、長期運用には向かない。自分で治せるなら、それが一番安上がりで安定する。


 そもそも、この世界をどうこうしようなんて大層な気概は毛頭ない。せっかくのゲームの世界だ、無駄なストレスなく、快適に攻略を楽しみたいだけだ。あの様子を見ていると、予測不能な事故で致命傷を負うのは目に見えていた。


 彼女の生存率を安全圏まで引き上げるには、確実な回復手段が不可欠だ。


 ……いや、他人の神官に依存するより、自分でコントロールできたほうが圧倒的に安上がりで確実だ。


 選択肢は一つしかない。


 僧侶だ。


 世間一般の常識では「僧侶=後ろで祈るだけの後衛職」なのだろうが、生憎と浩之のステータスはこの世界の常識とは違う。


 冒険者ギルドの扉を押し開けると、汗と革の油、そして乾いた血の匂いが鼻を突く。薄暗いフロアの空気に淀んだ熱気がこもっているのは、初めて足を踏み入れる場所特有のものだった。


「わ……ここが、冒険者ギルド……」


 背後でレイアが気おされたように小さな声を漏らし、おずおずと館内を見回す。王様から単身で放り出された彼女にとって、このギルドに足を踏み入れること自体が生まれて初めての経験だった。


 浩之はその足でカウンターへ歩み寄り、背後にレイアを控えさせた。


「……職業登録がしたい」


 カウンターの向こうで、受付の女が退屈そうに睫毛を持ち上げる。古びたインクの染みがついた制服の布地は、妙に張っていて余計な視線を誘う構造をしていた。


「職業? あなた、新規の登録ね。希望のクラスはなんなのよ」


「僧侶だ」


「はあ?」


 受付の女が、初めてまともにペンを止めて浩之の顔を見た。


 その一言を聞いた瞬間、すぐ隣でレイアが息を呑む音が聞こえた。彼女は信じられないものを見る目で浩之の横顔を見上げ、細い指先でそっと袖を引っ張る。


「っ……ひ、ヒロユキさん? 僧侶って回復とか補助魔法をかける人でしょ……? 前でモンスターを殴る職じゃ――」


「殴るのは殴る。祈るのもやる。両方できたほうが手堅いだろ」


「そういう問題じゃない気がするんだけど……!」


「攻撃もピンチのときの回復も、ぜんぶ自分ひとりでまとめてやったほうが、いちばんムダがなくて強いだろ!」


「えっ……でもヒロユキさん、前に言ってたよ? “前衛とか後衛とか、それぞれの役割を分担して、お互いの弱点を補い合うのがパーティだ”って……」


「あれは“普通の冒険者”の話だろ。俺のステータスなら前も後ろもまとめてやったほうが早いんだよ」


「すてーたす……? あの時言ってた、強さのこと……? ていうかヒロユキさん、普通じゃないの……?」


「見りゃわかるだろ。手に負えない弱点を誰かに預ける気はない」


「……えっ」


「二人しかいないんだから、俺が全部やるほうが安全だろ。お前は死なないことだけ考えてればいい」


「……ヒロユキさん……」


 レイアは小さく息を呑み、わずかに頬を赤らめて俯いた。


 受付の女は面白くなさそうに手元のペンを回した。


「珍しいわね。最近の若者は戦士か魔術師ばかりよ。……手続きの前に一つ確認するけれど、僧侶になるには光の女神エルミナ様への信仰心が絶対条件よ。形だけの信仰では神聖力は微塵も発現しないわ。本当にいいの?」


 光の女神エルミナ。このゲーム『ドラゴンブレイバー3』の神様だ。ゲーム自体は好きだし、この世界の神様だから好感もある。だが、僧侶の奇跡を起こすほどの篤い信仰心があるかと言われれば、正直どうだろう。


 だが、俺に力を授けてくれたあのじじい――いや、あの神さまなら実際に遊んだ仲だし、神を信じるどころか会っているし、存在はしっかり認識できている。すでに『固有スキル:ログイン』とかで神の力も宿しているし、ワンチャンいけるんじゃねえか?


(……まあ、ダメなら戦士にでもすればいい。試すだけ試してみる価値はある)


「問題ない。手続きを進めてくれ」


「はいはい。じゃあ、その手元の測定水晶に手をかざして。ギルドの魔道具であなたの適性と数値を割り出すから。あ、言っておくけど、測定されたステータス数値は冒険者の生命線だからね。ギルドの厳重な秘匿事項として受付の画面にしか表示されないから、安心してちょうだい」


 横で聞いていたレイアが、目を丸くして思わずカウンターに身を乗り出した。出会ったときに聞かされて意味が分からなかった単語の正体が、今ようやく繋がったらしい。


「えっ……! ヒロユキさんが前に言っていた『ステータス』って、そんな風に道具で測るものだったんですか……!?」


「当たり前でしょ、お嬢ちゃん。普段生活してて自分の数値なんて見えるわけないじゃない。……さ、さっさと手をおいて」


 受付の女に催促され、浩之はカウンターの水晶球へ無造作に手を伸ばした。


「……じゃあ祭壇の前で儀式を――」


 その瞬間、視界の端が突如として激しく明滅した。ブラウン管の古いモニターに走るような横線が、網膜を直接切り裂く。天井の魔導配線から、ジジジと乾燥したスパーク音が響いた。


「……え? 何これ……」


 最初に異変に気づいたのは、受付の女だった。彼女が持っていた羽ペンを取り落とし、インクの黒い水滴が木の机に激しく飛び散る。続いて、カウンターの端に置かれていた水晶球がぶるぶる手持ち無沙汰に震え始めた。そして、ギルド全体を包む空気が、一瞬にして凍りつく。


 レイアが浩之の袖を怯えた手つきで強く掴んだ。


「ヒロユキさん……! なにこの光……!」


 視界の右上を埋め尽くすように、無機質なウィンドウが猛烈な勢いでポップアップしていく。ドットフォントの文字が、物理的な圧力を伴って脳髄に突き刺さる。


[システムエラー:対象データが規定値を超えています]

[警告:隠しパラメータの整合性が取れません]

[警告:信仰値が上限を突破しています]

[例外処理を開始します]


 ギルドの床が、低く不快な地響きを立てて揺らいだ。フロアのあちこちで、昼間から酒を飲んでいた冒険者たちが一斉に立ち上がる。


「おい、なんだ……地震か?」


「いや、違うぞ! 魔導端末がショートしてやがる!」


「おい、やばいぞ、逃げろ!」


 受付の背後に置かれていた水晶球が青白い光を激しく明滅させ、次の瞬間、パチンと乾いた音を立てて粉々に砕け散った。舞い散る鋭い破片から身を隠すように、受付の女が悲鳴を上げて頭を抱え込む。


 だが、彼女はすぐに手元にある秘匿用の端末へしがみつき、正気を失ったような目で画面を凝視した。プロの受付職員としてのプライドが、目の前で起きてきている致命的なバグを直視させていた。


「……ちょっと待って」


 受付の女が、信じられないものを見る目で端末画面を二度見した。本来なら他人には見せない厳重な秘匿データに、あり得ない文字列が躍っていた。


「うそ……僧侶の膂力じゃない……」


「補助職なのに戦士の数値を全部追い抜いてる……」


「なんで前衛の重戦士より高い数値がここに叩き出されてるのよ……っ! こんなの登録したらギルドの分類がおかしくなる!」


(……このノイズ、見覚えがある。あの昭和の茶の間。薄汚れたタンクトップの老人の声が脳裏に蘇る)


 ――わしゃこの世界を作った神様じゃ。


 視界のウィンドウが一斉に形状を変え、新たな文字列を紡ぎ出す。


[新職業を生成します]

[職業:異世界僧侶]

[補正:全ステータス維持/神聖魔法付与/神託権限付与]


 女は言葉を失い、ただ開いた口をぱくぱくさせている。レイアは床にへたり込みそうになりながら、青ざめた顔でブルブルと震えていた。


「ひ、ヒロユキさん……僧侶ってこんなに青く光るものなの……? 魔王よりやばいものが見えるんだけど……!」


 最後に、ひときわ大きなウィンドウが網膜に焼き付いた。


[縺倥§縺神の加護:有効]

[信仰値:最大]

[回復魔法(ヒール):習得]


 胸の奥が静まり返る。


 ……待て。


 じじい神の名前が文字化けしているのは置いとくとして……回復魔法、ヒール?


「ヒールてなんだよ。回復魔法はピュアライトだろ~~~~!!」


「えっ……ヒール? 回復魔法といえば普通はピュアライトだし、ヒールなんて聞いたことないよ……?」


「だよな!? 勝手にど定番の呼び方変えるなよ!! じじい神、余計なアップデートすんな!!」


[じじい神:『若いの、ヒールのほうが世界標準じゃぞ?』]


「黙れ!! 回復魔法はピュアライトなんだよ!! 俺の青春を勝手に上書きすんな!!」


「青春……?」


(あのじじいは、神様だからな。その加護が、浩之自身のステータスに直接ネジ込まれたということか)


 その直後、脳裏に澄んだシステム音が響き、視界の端で新たなテキストが滑り出してきた。


[システムアナウンス:ステータスが統合されました]


 網膜の上に展開されたのは、一新された浩之自身のパラメータ画面だった。


[ユーザー:高村 浩之(39歳・会社員)]

[クラス:異世界僧侶(レベル1)]

[固有スキル:『ログイン』『ログアウト』『超加速』]

[習得魔法:回復魔法(ヒール)]

[付与特殊能力:『パワーアップ』『火球生成』]

[加護・補正:『じじい神の加護』『全ステータス維持』]


 膂力:5(+80)=85

 俊敏:5(+70)=75

 耐久:6(+40)=46

 知略:13

 幸運:11

 HP:12

 MP:6


(……なるほどな)


 表示された文字を眺めながら、浩之は合点がいった。


 無職同然の「一般市民」から「異世界僧侶」という職業に就いたことで、ベースの数値もいくらか変化したらしい。HPが12、MPが6という数値は一見すると心許なく思えるが、これからレベルが上がっていけば勝手に伸びるだろうし、何の問題もないはずだ。


 それ以上に腑に落ちたのは、特殊能力の欄だった。


 前回の世界――あの『クリスタルフォレスト・デュオ』で得た、レッドたちの世界での能力は、こちらのシステムではこんな風に落とし込まれていたのかと、ここで初めて知った。


 ステータス欄の隅に刻まれた『全ステータス維持』の一文。おそらくこの補正のおかげで、今後どれだけ大ダメージを受けようと、この二つの力が強制解除されることはもうないのだろう。実効耐久値46という狂った数値も相まって、パワーアップも火球生成も、もはや一時的な借り物ではなく、実質的に永続スキルと同義だった。


「……登録、完了、しました……」


 震える声で、女がやっとの思いで呟く。端末の残骸から、小さな火花がチリチリと散った。


 ギルドの喧噪がピタリと止まる。周囲の冒険者たちは言葉を呑み込み、異様な青い光を放つ浩之から、蜘蛛の子を散らすように一斉に距離を取った。


「あなた……本当に僧侶なの? これじゃ後衛どころか、前衛の重戦士よりゴツいバケモノじゃない……!」


 受付の女の絶叫に、周囲の冒険者たちが「うわあ……」と一斉に数歩後ずさった。


 完全にヤバいやつを見るような視線を向けられる中、レイアが震える手で浩之の腕を引っ張る。


「ねえ、ヒロユキさん……僧侶って前線で敵を殴り飛ばすものなの……?」


「さあな。少なくとも、あのじじい神の作った仕様書には違うって書いてあるらしい」


「仕様書ってなんだよ……! てか自分で作ったんじゃ――」


「仕様変更が起きたんだ。文句はあっちに言ってくれ」


「神様のサポートセンターなんてあるわけないでしょ!」


 どん引きして静まり返る館内で、浩之は隣のレイアの頭にぽんと軽く手を置いた。


「まあ、悪い話じゃない。お前が多少無茶して怪我を負っても、すぐその場で治してやれるってことだ。……そう怯えた顔をするな」


 レイアは息を呑み、小さく頷いた。


 不条理な神の気まぐれではあるが、おかげで手札は厚くなった。物理の暴力と、神の特権的な回復力。その二つが揃ったのだ。


「行くぞ。僧侶の初仕事だ」


 レイアはわずかに潤んだ瞳で笑った。


「うん!」

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