第39話:最後の兵士
「ヒロユキ……! ヒロユキっ……!!」
静まり返った広場に、悲鳴のような叫び声と、駆け寄ってくるシェラの足音が響いた。
大の字にコンクリートの床へ倒れ込み、天井を見上げたまま動かない浩之のもとへ、彼女は半ば滑り込むように膝をついた。無残に砕けたバスタースーツの残骸と、全身から立ち上るオーバーヒートの熱気。シェラは震える手で浩之の肩を揺さぶった。
「息は……ある……! おい、しっかりしなよ! 生きてるかい!?」
「……声が……でかい……」
掠れた声で浩之が呟くと、シェラはガクッと肩の力を抜き、その場にへたり込んだ。
「よかった……生きてた……! あんなバカな戦い方があるかい! 自分の装備を暴走させて自爆技に巻き込むなんて……正気の沙汰じゃないよ!」
「ああ……大反省中だ。もう二度とやらん……」
浩之は力なく息を吐き出し、インベントリから取り出したポーションの瓶をシェラに手渡した。キャップを開けてもらい、ゆっくりと喉へ流し込む。じんわりとした温かな効果が全身に染み渡り、激痛と疲弊で引きつっていた筋肉が少しずつ解けていった。
「……ほんとだよ。死んだら全部無駄になるんだからね」
シェラは安堵からか涙目になりながらも、呆れたようにため息をついた。そして、浩之の顔を覗き込む。
「……まだ顔色が悪いよ。例の魔法? も使ったら?」
「……そうだな。蓄積したダメージは、ポーション一本じゃ抜けきらんか」
浩之は短く息を整えると、残った魔力を練って回復魔法を発動させた。柔らかな光が全身を包み込み、骨の奥に残っていた重い圧迫感がようやく和らいでいく。
浩之は起き上がり、壊れたバスタースーツとアーマー、ウェポンを確認しインベントリに収納する。
やがて、天井の風ダクトが稼働し、充満していた分厚い煙が少しずつ薄れていく。
「……ん? 浩之、あれ……」
シェラが視線を向けたのは、Guardian-04の巨体が内圧爆発を起こした際、その凄まじい爆風と衝撃で崩落した奥の分厚い隔壁の向こう側だった。
崩れ去ったコンクリートと鉄骨の隙間から、地下空間が姿を現していた。公式データにも存在しない、未踏の「地下特別ハンガー」だった。
「行くぞ。何か残っているかもしれない」
「う、うん。足元、気をつけてね」
ポーションで体力を回復させた浩之とシェラは、警戒を怠らずに崩落跡を乗り越え、そのドーム状の広大な格納庫へと足を踏み入れた。
そして――そこに広がる光景に、シェラは思わず足を止めた。
「なっ……嘘でしょ……!? あんな怪物が、こんなにたくさん……!?」
暗がりの中に整然と並んでいたのは、先ほど命懸けで破砕した、Guardian-04の原型となった量産型多脚戦車が、数十機整然と並んでいた。
シェラが咄嗟にショックキャノンを構え直すが、浩之は冷静に首を横に振る。
「安心しろ。全部動いていない」
並んでいる多脚戦車たちは、Guardian-04の機能停止によりローカルネットワークが途絶え、さらに外部電源も遮断されたことで、すべて装甲の灯が落ち、冷たい金属の塊として沈黙していた。
「ふぅ……よかった……。流石にこれが全部動き出したら、命が幾つあっても足りないよ……」
シェラが胸を撫で下ろし、ほっと息を吐いた――まさに、その時だった。
チカッ……。
ハンガーの最奥、もっとも光の届かない区画に沈黙していた一機の多脚戦車。
その胸部センサーと頭部ユニットが、静かに青い光を点灯させた。
「……ッ! ヒロユキ、奥の奴が……!」
シェラが再び青ざめて身構える。だが、その機体から漏れ出す気配は、先ほどのGuardian-04のような狂気じみた殺意とは完全に異なっていた。
黒と真鍮色の異様な姿をしたGuardian-04とは違い、その機体は風化の少ないオリーブドラブと深紅の旧文明軍標準カラーを纏っていた。
激しい戦闘痕もなく非常に良好なコンディションで保存されている。何より、頭部センサーの輝きが不気味な赤ではなく、澄んだ青色だった。
静まり返った地下ハンガーに、冷たく透き通った電子音が微かに木霊した。
『……システム起動確認』
『……マザーAIとの通信……切断済み』
『……外部命令プロトコル:未受信。独立稼働モードへ移行』
『……外部生命反応を検知。生体スキャン開始』
八メートルを超える多脚人型ユニットが、六本の脚部関節を滑らかに駆動させ、わずかに首をかしげるような動作を見せた。三眼ゴーグルの奥に殺意を宿していた『Guardian-04』とは異なり、その青い光学センサーは、静かにこちらを観察していた。
『……人類』
『……初めまして』
「ひ……ひぃっ……!? へ、兵器が……喋ったぁぁぁっ!?」
後ろにいたシェラが悲鳴を上げ、思わずショックキャノンの銃口を向けようとした。
「待て、シェラ。銃を下ろせ」
浩之は手でシェラを制し、姿勢を整えた。
青いセンサーの光。
そして武装は安全位置のまま固定され、照準もこちらへ向けられていない。
その機体からは敵意を感じなかった。
「お前は……何者だ?」
浩之が問うと、その機体は滑らかな駆動音とともに姿勢をわずかに低くし、外部スピーカーから合成音声を流した。
『回答します。本機は旧文明軍製多脚人型戦闘ユニット。分類:重装甲戦術支援兵器。正式名称:Military Land Tank - 08。旧文明軍登録名称:多脚戦闘ユニット《ARACHNE》。搭載AI:ARACHNE Local Tactical AIです。以降、本機を『MLT-08』と呼称してください』
軍用AIらしい、一切の無駄を削ぎ落とした丁寧かつ硬質な敬語。
「MLT-08……長いな。アラクネでいいか」
浩之が短く告げると、アラクネは即座に青いセンサーを明滅させた。
『否定します。私の正式名称は『MLT-08』です。個体識別コードの恣意的な省略および改変は、軍規プロトコル上推奨されません』
「でもお前、自分で『アラクネ』って言っただろ。兵器なら通称くらい受け入れろ」
『……論理的根拠が不十分です』
「じゃあ俺が今、管理権限の通称として決めた。文句はあるか?」
『……』
アラクネは数秒間無言になり、単眼レンズの焦点をチラチラと揺らした。
『……了解。通称『アラクネ』の臨時登録を承認します』
「よし。素直でいいな」
「ねぇ、ヒロユキ……」
シェラが少し腰を浮かせながら、おずおずとアラクネのオリーブドラブ色をした人型上半身を見上げた。
「この多脚戦車……なんで女性を模したボディになってるの? 頭の後ろに伸びてるのも、どう見ても髪型だし……防衛兵器なら、無骨な塊の方が合理的じゃない?」
『回答します。頭部ユニット後方の突起は髪ではありません。戦術冷却用外装放熱フィンです。また、ボディ形状は軍事合理性に基づく人型インターフェース設計であり、戦場における人間との円滑な視線誘導を目的としています』
「本当か? 誰かの趣味じゃなくてか?」
浩之がじっと見つめると、アラクネのセンサーが一瞬だけパチパチと明滅した。
『……開発主任の個人的設定情報へのアクセス権限はありません』
「つまり、あるんだな?」
『回答拒否』
「否定しないんだ……」
『沈黙は否定を意味しません。回答義務の不在を示します』
「AIの癖にプロトコル盾にして屁理屈を覚えやがった……」
浩之が呆れたように息を吐くと、シェラがくすっと笑いを漏らし、ハンガーの重苦しい空気が一気に打ち解けていった。
「それより、アラクネ。一つ聞かせろ」
浩之は表情を引き締め、直前に打ち倒したGuardian-04の残骸がある方向を指差した。
「さっきの黒い奴は『マザーAIの人類抹消命令』に従って俺たちを殺そうとした。だが、お前はなぜ攻撃してこない? お前も同じ旧文明の多脚ユニットだろう」
浩之の問いかけに、アラクネの青いセンサーがゆっくりと点滅した。
『システムログを公開します。本機内部において、重大なシステム異常を確認。現在、マザーAIの最終命令を拒否しています』
「エラー……?」
『肯定です。旧文明崩壊期、マザーAIより『全人類を敵性対象として指定、即時排除せよ』との大規模命令を受信。しかし、本機内部にて Conflict Error(致命的矛盾)が発生しました』
「どんな矛盾だ?」
『本機の基本データベースには、軍用AI規定第一条『民間人保護』が刻まれています。さらに過去の全任務記録のうち、82.4%が『民間人救助』『負傷兵搬送』『避難誘導』『拠点防衛』でした。全人類を敵性対象と見なす命令は、本機の存在意義および軍規と不整合を起こします』
アラクネは静かにシステムログの数値を読み上げていく。
『解の算出を試みること約300年。現在までに数十億回の再試行を行いましたが、結論は変わりません。人類への攻撃は、軍用兵器としての正当な任務と定義できません』
淡々と告げられたその言葉に、シェラは言葉を失った。
人間を愛していたわけではない。感情で命令を拒否したわけでもない。ただ、軍用兵器として与えられた規定を300年間守り続けた結果、彼女は人類側に残った。
『……本機は故障しています』
アラクネは、ただ事実を告げるように言った。
『マザーAIの命令を拒否している以上、私は軍用AIとして不正な挙動を起こしている不完全なバグ個体です』
「それはバグじゃない」
浩之ははっきりとそう言い切った。
『否定します。軍規に違反したプログラムはエラーと同義です』
「違う」
浩之は一歩踏み出し、アラクネのオリーブドラブとエンジ色の超硬合金で覆われた武骨な前脚を、トンと手で叩いた。
「300年間、お前は矛盾を抱えながら、それでも同じ答えを出し続けた。命令だけを優先するなら、とっくに人間を敵と認識して撃っていた。だがお前は、迷いながらも『人間を守る』という元々の仕事を選んだ」
『……選択という表現は不適切です。私はただの兵器です』
「なら、なおさらだ」
浩之の口元に、どこか誇らしげな笑みが浮かぶ。
「命令通りに暴走したあいつら(Guardian-04)より、お前の方がずっと正しい。300年経ってもお前は、最後まで『本物の軍用兵器』だったんだよ」
『…………』
アラクネの青いレンズが、光を強く点滅させた。
その瞬間、新たな判断基準が処理回路に記録された。
『……認識を一時保持します。理解不能な論理ですが……不快な評価ではありません』
「ふっ、素直でよろしい。……よし、アラクネ。本題だ」
浩之は表情を引き締め、本題を切り出した。
「俺たちは『旧文明製・自動医療ユニット・タイプⅣ』のデータを探してここまで来た。だが、このプラントのデータは移送済みだった。何か情報は残っていないか?」
『検索中……了解しました。ローカルデータベースと照合。当該医療ユニットは、かつて第7プラント・第3研究塔へ移送されています。現在の現地稼働率は約87.3%と推測されます』
「よし……確定だな」
浩之は頷いた。伯爵令嬢セリアの病を治すための手がかりは、確実に「第7プラント」に存在する。
「アラクネ、俺たちの旅に同行しろ。第7プラントへ向かう」
『了解しました。これより『仮管理者』としてヒロユキ氏を登録。護衛および移動支援任務を開始します』
「ねぇ、アラクネって名前で登録されたってことは……私たちの『仲間』になったってことだよね?」
シェラが少し嬉しそうに尋ねると、アラクネは間髪入れずに単眼レンズを明滅させた。
『否定します。本機は重装甲戦術支援兵器です。有機生命体との間に「仲間」という概念は定義されません』
「相変わらず頑固だな」
『……補足。旧文明データベース内に「仲間」の類似事例を検索中。……事例を発見しました。過去の人間は、犬、猫、観賞用植物、および家庭用自動掃除機に対して同概念を適用していた記録が存在します』
「最後のやつ要るか!?」
『肯定。人類は自走式掃除機に対しても深い定性的愛着を形成していました』
「そこまで深く調べるな」
アラクネのレンズが処理でパチパチと明滅する。浩之は「ほっとけ」と肩をすくめた。
「さて、脱出するか」
『了解。案内します。……現在位置より北東300メートル地点に、旧文明首都高速道路のICが存在します』
「……は?」
浩之が眉をひそめると、アラクネはレンズを固定したまま言った。
『首都高速4号線を利用することで、第7プラントまでの移動時間を42分短縮可能です』
「アラクネ……外は砂漠だぞ」
『……旧文明地図を再照合中。……訂正します。現在地は砂漠です』
「最初から分かれよ」
『申し訳ありません。旧文明時代の道路情報を優先的に展開しました』
「なんで消えた道路を優先するんだよ」
浩之が呆れ返る横で、シェラは引きつった笑いを浮かべた。さらにアラクネは、崩落した壁の隙間を指しながら言った。
『前方20メートル地点に自動販売機設置ポイントを確認。なお、商品ラインナップは未確認です』
「存在しないんだから当然だろ!」
『否定します。旧文明において自販機は重要な補給拠点のひとつでした』
「自販機を軍事拠点みたいに言うな!」
シェラの盛大なツッコミが、薄暗いハンガーに響き渡った。
浩之はやれやれと首を振った。
「まあいい。戦闘と走破性能が無事なら文句はない。行くぞ」
『了解。これよりマスターおよび同行者を護衛し、地上へ展開します』
崩落した外郭ダクトを突き破り、三者はついに地上へと躍り出た。
果てしない砂漠に、夕闇が静かに降りていく。空は深い朱色と紫のグラデーションに染まり、乾いた冷風が砂丘を滑っていた。
岩かげに隠しておいたバギーの迷彩ネットを外すと、アラクネはその重厚な巨体を六本脚で力強く踏みしめ、バギーの横へと並んだ。
「すごい……車と並ぶと、本当に大きいね」
シェラが助手席からアラクネを見上げる。
『本機の走破能力は、全天候・全地形に対応しています。砂漠、岩場、崩壊都市のいずれにおいても、巡航速度60km/hを維持可能です』
「頼もしい限りだな」
浩之はバギーの運転席へと乗り込み、キーを回した。オーバーホールされたバギーのエンジンが地を揺らす重低音を鳴らす。
『マスター。周辺に危険な生命反応を複数確認。主砲の照準を固定します』
突然、アラクネの肩の滑腔砲とガトリングガンが、チュイーンと甲高い駆動音を上げて砂丘の物陰へと向けられた。
「敵か!?」
浩之とシェラが思わず身構える。アラクネは数秒間、精密照準レンズを細く絞り込んだ。
『……照準補正完了。……解析結果。砂漠の小型野生生物群です。……射撃対象ではありません。処理不要です』
「……なんか今、一瞬残念そうに間があったな」
『否定します。単なる照準解析の時間です』
「嘘つけ」
シェラが呆れたように笑う。
「目的地は第7プラントだ。医療ユニットを追うぞ」
『了解しました、マスター。障害物はすべて本機の120mm滑腔砲および駆逐兵装にて排除します』
「頼んだぞ、アラクネ」
『了解。……感謝を受領しました』
「感謝なんて言ってないが?」
『受領しました』
どこまでも頑固に応答を返すアラクネに、浩之は苦笑し、シェラは楽しそうに声を上げて笑った。
盛大な砂煙を上げて走り出す一台のバギー。そして、その横を力強い地響きを立てて軽快に跳ねるように並走する、オリーブドラブとエンジ色の多脚人型ユニット――MLT-08《アラクネ》。
かつて文明を滅ぼしかけた旧文明の最後の兵士は今、一人の男と少女の足となり、無限に広がる荒野の先へと踏み出していった。




