第20話:街での買い物
深い森を抜け、なだらかな平原を越えた先。巨大な石造りの城壁をくぐると、外の世界とは違う熱気と活気が渦巻いていた。
王都に次ぐ規模を誇る交易の要衝、商業都市バレル。
石畳の大通りには、荷を積んだ木製馬車が絶え間なく行き交う。沿道には色とりどりの天幕を張った露店がひしめき、香辛料と焼けた肉の匂い、鉄を打つ槌の音、客を呼ぶ商人たちの声が入り混じっていた。
「すごい……こんなにたくさんの人がいる街、初めて見ました……!」
レイアは目を丸くし、落ち着きなく周囲を見回している。王都から一人で放り出され、野宿を続けてきた彼女にとって、この賑わいは別世界のように映っているのだろう。
そんな彼女の横で、浩之は三十九歳の社会人らしく、周囲の店や荷の流れを冷静に観察していた。
(なるほど。物流のハブになっているだけあって、物資の回転率は高そうだ)
現実世界の休日の繁華街を思わせる活気だった。修復された城壁や使い込まれた武具が、この世界の生活の重みを物語っている。
「よそ見してると迷子になるぞ、レイア。まずは装備の更新だ。武器屋へ行く」
「あっ、はいっ! お待ちくださいヒロユキさん!」
浩之の背中を、レイアが小走りで追いかける。二人の頭上では、青いドットバードの『ピピ』が、人々の視線を集めない程度の高度を保ちながら主人を追従していた。
◇
最初に足を向けたのは、大通りの裏手にある武器屋だった。油と鉄の焦げた匂いが充満する店内には、真新しい剣や槍が所狭しと並んでいる。奥の工房から、筋骨隆々のドワーフの店主が汗を拭いながら顔を出した。
「いらっしゃい。見慣れねえ顔だが、よそから来た冒険者かい?」
「ああ。少しばかり物色させてもらう」
「おう、じっくり見ていきな。命を預ける相棒を探してるなら、うちの鋼は間違いないぜ。……で、そっちの嬢ちゃんが戦うのかい? 勇者様みたいな目をしてるが」
ドワーフの店主が、レイアの腰にあるボロボロの青銅の剣を見てニヤリと笑う。レイアが「えっ、勇者ってバレてる……?」と肩をビクッと跳ねさせたが、浩之は動じずに店主へ視線を向けた。
「俺の弟子だ。まだ基礎を仕込んでいる最中でな」
(弟子……)
レイアは小さく息を呑んだ。ただ守られるだけの足手まといではなく、正式に教え子として認められたような気がして、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「へえ、その歳で弟子持ちかよ。あんた、腰に剣も下げてねえが、自分の武器はいらねえのか?」
「俺の拳は特注品でな。武器は間に合っている」
店主は「こいつぁただ者じゃねえな」という顔をして口笛を吹いた。
「ヒ、ヒロユキさん、この鉄の剣、すごく綺麗ですね! これならスライムどころか、もっと硬い魔物も倒せそうです!」
店主とのやり取りの横で、レイアが目を輝かせながら一振りの新品の鉄の剣を見つめていた。浩之はレイアに近づき、彼女の腰の青銅の剣を無造作に引き抜いた。
「ちょっと貸してみろ」
浩之は刀身を指先でなぞり、小さく首を振った。
「だめだな。地面にでも叩きつけたのか、刃こぼれしているし刀身に歪みがある。こんなバランスの崩れたナマクラで素振りをしても、変な癖がついてフォームを崩すだけだ」
浩之は青銅の剣を鞘に戻させると、レイアが見つめていた新品の鉄の剣を手に取った。重心と刃の厚みを確かめ、一つ頷く。
「基礎を叩き込む時期だからこそ、真っ直ぐで癖のない武器が必要だ。店主、この新品の鉄の剣を貰おう」
「えっ……! 買ってもらえるんですか? で、でも……」
レイアは浩之の顔と手渡された鉄の剣を交互に見比べ、ほっぺたをぷくっと膨らませた。
「ヒロユキさんの方が素手で魔物を粉砕してるのに、なんで私が剣で、ヒロユキさんが丸腰なんですか……!?」
「さっき店主にも言っただろう。俺の拳は特注品だ。お前は俺と違って普通の体なんだから、しっかり剣の腕を磨け。将来への先行投資だ、せいぜい値段分はきっちり働けよ」
レイアは「なんか納得いかないなぁ……」とブツブツ言いながらも、真新しい剣を腰に帯びた。その重みが、少しだけ誇らしかった。
◇
武器屋を出た後、二人は活気あふれる大通りを歩いていた。屋台からは香ばしい串焼きの匂いが漂ってくる。浩之は銅貨を数枚弾いて串焼きを二本買い、一本をレイアに手渡した。
「ほら、食いながら歩け」
「わっ、ありがとうございます! ……はふっ、美味しい!」
頬張るレイアの顔を見て、浩之は歩きながら彼女の全身を観察した。今のレイアの服装は、素性を隠すために着込んでいるサイズの合わない男物の旅装だ。肩幅は余り、袖は長く、腰回りはベルトで無理やり固定されている。
「次は防具屋だ。お前のその格好、流石に見過ごせないレベルで非効率的だからな。一新するぞ」
「えっ……私の服ですか? でも、女の子だってバレたら、魔王軍とか悪い人に狙われるかもしれないって、王様が……」
「ここは王都から遠く離れた交易都市だ。お前の顔を知っている人間などいやしない。それに、サイズの合わない服は動きを殺す。それだけで十分デバフだ」
二人が足を踏み入れたのは、冒険者御用達の防具店だった。浩之は店内から、良質な硬革と柔軟な布地を組み合わせた、女性用のジャストサイズの軽防具を素早く見繕った。
「これに着替えてみろ」
「は、はい……!」
数分後、レイアがモジモジとしながら姿を現した。これまでの野暮ったい男装とは打って変わり、細身の体躯にぴったりとフィットした軽防具は、彼女本来の凜とした立ち姿を引き立てていた。
「どうだ、動きやすさは」
「あっ、はい……! すごく軽くて、肩の周りも全然引っかからないです!」
浩之は無言で近づくと、肩口の革の継ぎ目や腰のベルトの締め具合を指で軽く引っ張って確認した。
「問題ない。これなら十分だ」
真剣な顔で防具のフィット感を確認する浩之の横顔が至近距離に迫り、レイアは思わず顔を熱くした。
(ヒロユキさん……私にピッタリの装備を、ちゃんと選んでくれてる……)
その不器用な気遣いに、胸の奥が少しだけキュンと鳴るのを感じていた。
店を出て、新しい防具に身を包んだレイアは足取りも軽く、浩之の隣を歩いていた。ふと、彼女は何かを思いついたように浩之の顔を見上げた。
「あの、ヒロユキさん! 剣も防具も買ってもらっちゃいましたし、お昼の串焼きも……。じゃあ、私もヒロユキさんに何か買いたいです! ここなら、色んなものが売ってますし!」
浩之は足を止め、呆れたように小さく息を吐いた。
「気持ちだけ受け取っておく。俺の装備は間に合っている」
「でも、それじゃ……」
「お前の少ない金は、いざという時の回復薬や、自分自身の生存率を上げるために使え。俺への恩返しは、お前が死なないことだ。余計な気を遣う暇があるなら、新しい防具の重量感覚に早く慣れろ」
レイアは「もう、素直じゃないんだから……」と苦笑しつつも、そんな彼が嫌いではなかった。
◇
夕刻前。バレル市内の宿屋に部屋を取り、買い出しの荷物を整理している最中のことだった。
浩之はインベントリの画面を操作し、無造作に一つの紙袋を取り出した。
「レイア。これ、買っといたから試しに着てみろ」
「えっ? まだ何かあるんですか?」
渡された紙袋の中身を見て、レイアは息を呑んだ。中に入っていたのは、防具や武器ではない。淡い水色の生地に白いリボンがあしらわれた、シンプルで可愛らしい『ワンピース』だった。
「ひ、ヒロユキさん、これ……! すごく綺麗で、手触りもスベスベで……こんな素敵な服、見たことないです……!」
「宿で鎧や防具を着たままでは体が休まらんからな。それに、これからは野宿じゃなく宿屋に泊まる日も増える。洗濯用の着替えも必要だろう」
「で、でも……これ、すごく女の子らしい服だけど……私、街でも一応、男の子のフリをしてるんですよ? こんな目立つ服を着たら……」
「だから、ここは王都から離れた交易都市だと言っただろ。街の中で休息をとる時まで、ガチガチの防具で過ごす必要はない。とりあえず着てみろ」
有無を言わさない浩之の態度に押し切られ、レイアは渋々、部屋の隅にある衝立の裏へと向かった。
衣擦れの音が響き、しばらくして。衝立の横から、おずおずとレイアが姿を現した。淡い水色のワンピースは彼女の白い肌と見事に調和し、年相応の可愛らしい少女がそこに立っていた。
「あ、あの……どう、ですか……? やっぱり、変じゃ……」
もじもじと身をよじり、上目遣いで浩之の反応を窺うレイア。浩之は顎に手を当て、じっくりとその姿を観察した。
「……うん、やはりその服の方が自然だな。サイズも合ってる」
「えっ……」
「動きやすい防具もいいが、宿で過ごす分にはこっちの方がよっぽど自然だ。無理に男物を着る必要はないな」
浩之にとっては客観的な評価に過ぎない。しかしレイアには、それは「似合っている」と言われたも同然だった。
「~~~~~っ!!」
レイアの顔が、耳の先まで一瞬にして沸騰したように真っ赤に染まる。
「デリカシー! デリカシーなさすぎだよヒロユキさん!! いきなり着替えさせて、そういうこと真顔でジロジロ見ながら言わないでよっ!!」
「は? 事実を言ったまでだが。似合っていると言われて怒る理由が分からん」
「そういうところがデリカシーゼロのおじさんなんだよぉぉっ!」
顔を真っ赤にしてフリーズし、両手で顔を覆って激怒するレイア。一方の浩之は、「思春期の女子の生態は理解しがたいな」と本気で首を傾げ、噛み合わないまま無自覚な爆撃を終えるのだった。
◇
すっかり日が落ちた頃。二人は一階の食堂へと降りていった。
活気ある酒場を兼ねた食堂は、傭兵や商人たちで賑わい、焼かれた肉や煮込み料理の匂い、エールをあおる男たちの笑い声が充満している。
二人が席につくと、周囲の客からチラチラと視線が集まった。落ち着いた男と、淡い水色のワンピースを着た少女の組み合わせは、この街では少しばかり目を引く。だが、浩之の堂々とした立ち居振る舞いに気圧されたのか、不用意に近寄ってくる者はいなかった。
テーブルに運ばれてきたシチューとローストミートをつつきながら、レイアは果実水の入った木製のコップを両手で握りしめ、意を決したように口を開いた。
「あの……ヒロユキさん」
「ん?」
「さっき、怒った勢いで変なこと言っちゃいましたけど……ヒロユキさんって、おいくつなんですか?」
エールのジョッキを傾けていた浩之の手が止まり、彼は何でもないことのように答えた。
「ああ、言ってなかったか。三十九だ」
「…………さんじゅうきゅう……!?」
レイアの手から、木製のフォークがカランと音を立てて皿に落ちた。十五歳の彼女にとって、三十九歳といえば自分の倍以上の年齢である。間違いなく完全に「大人」の領域だ。
「若い頃と違って、そろそろ健康診断が気になり始める年齢だ。今日みたいに脂っこい肉を食うと、油断すればすぐ胃もたれもするしな」
「け、けんこう……? 胃もたれ……?」
魔物を素手で倒す師匠。その正体が、健康診断や胃もたれを気にする三十九歳のおじさんだという事実は、レイアの頭を完全にフリーズさせた。
「だから、お前みたいな娘か妹くらいの歳の奴を預かるのは、勝手が分からなくて慣れてないんだがな。ほら、冷める前に食え。育ち盛りなんだから、肉は残すなよ」
浩之はそう言うと、自分の皿に乗っていたローストミートの塊を、ヒョイッとレイアの皿へと移した。完全に親戚のおじさんか、保護者の目線である。
(三十九歳……! じゃあ、さっき部屋で褒めてくれたのも、一人の女の子として見てくれたんじゃなくて、単なる『保護者から見た子ども扱い』だったの……!?)
浩之が「ほれ、野菜も食え」と小言を言うたびに、レイアは複雑な表情で頬をプクッと膨らませた。
(うぅ……その『すべてを悟ったような大人の余裕の顔』がすごくもやもやする……! 私だって、もう子どもじゃないのに……!)
お肉を不満げに頬張りながら、レイアは浩之の顔をじっと睨みつける。一方の浩之は少女の視線に気づくこともなく、「まあ、男装を解いて女の子の服を着るのが照れくさい年頃なんだろう」と見当違いな納得をしつつ、手元のメモ帳に次のダンジョン攻略の計画を書き込んでいた。
◇
夜。喧騒の響く食堂から離れ、宿屋の自室に戻ったレイアは、一人静かに息を吐いた。窓から差し込む青白い月明かりが、部屋の隅にある古びた姿見を照らしている。
レイアはゆっくりと鏡の前に立ち、浩之から貰った淡い水色のワンピースを着た自分の姿を、もう一度じっと見つめた。いつも泥だらけの男装で隠していた自分が、見違えるほど綺麗に見える。
「……子ども扱い、なのかな……」
ポツリと呟いた声には、夕食時のモヤモヤとした不満が少しだけ混じっていた。でも、三十九歳の彼から見れば子どもかもしれないけれど、それでも彼が自分を客観的に見て「似合っている」と言ってくれた事実は変わらない。
「……これ、ヒロユキさん、似合うって言ってくれるかな……」
嬉しさが隠しきれなくなり、レイアは鏡の前でスカートの裾を軽くつまみ、少しだけクルッと回ってみた。ふわりと広がる水色の布地が、月明かりに照らされて美しく舞う。
『ピピッ』
その時だった。部屋の隅のコート掛けにとまっていた青いドットバードのピピが、首をコテンと傾げながら、からかうような短い電子音を鳴らした。
「……っ!!」
一人だけの秘密の舞踏会を見られてしまったレイアは、顔から火が出るほど真っ赤になった。
「わ、笑わないでよ……っ!」
涙目で抗議しながら、レイアは手近にあった枕をピピに向かってポスッと投げつける。ピピは軽やかにかわし、レイアは真っ赤なまま布団を頭からかぶった。
商業都市バレルの夜は、少女の小さな恋心だけを静かに見守るように、更けていった。




