第13話:帰郷
森を抜け、王都へ続く街道を歩きながら、浩之は手に持った手帳にさっと数値を書き留めた。
「ふむ……戦ってない時のMP回復は、だいたい三分で『1』ってところか。全快まで四十時間弱。回復アイテムがない今は、やっぱり魔法の乱発は禁物だな」
「相変わらず細かいですね、ヒロユキさん……」
呆れ半分、尊敬半分といった眼差しで隣を歩くレイアに、浩之は手帳をポケットへ仕舞いながら視線を向けた。
(そういえば、『ドラゴンブレイバー3』の原作ゲームにおいて、主人公である勇者の実家や家族に関するイベントなんて一切用意されていなかったはずだが……。この世界のNPCたちは、全員こうしてちゃんと親や生活基盤を持っているってわけか)
画面の向こう側の記号にすぎなかった設定が、生々しい現実として目の前で動いていることに、浩之は改めて小さく息をついた。
「命に関わる魔力管理だからな。慎重になるに越したことはない。……ところでレイア、お前の実家はどこだ?」
「えっ? 実家ですか? ここから少し離れた『ココノ村』という小さな村ですけど……」
「そうか。なら、一度顔を見せてこい」
「ふぇ……? 帰郷、ですか!?」
唐突な提案に、レイアは目を丸くした。
「ああ。レベル3になり、回復も小規模攻撃魔法も覚えた。トラウマだったスライムを一撃で倒せるようになったんだ、今の状態なら途中の街道も問題ない。王命で旅立ったとはいえ、身内には無事を知らせて安心させてやるのが筋だろ」
「ヒロユキさん……」
自分以上に家族のことを気遣ってくれる浩之の配慮に、レイアの胸がキュッと温かくなる。
「はいっ! お母さん、きっと心配してると思うので……顔を見せにいきたいです!」
王都の喧騒を離れ、のどかな田園風景が広がる街道を歩くこと小一時間。
緑豊かな小さな村――ココノ村が見えてきた。
「あ、あそこです! 私の家!」
村の入り口近くにある素朴な一軒家を指差し、レイアは小走りで駆け出した。木製の扉をバタンと叩くように開ける。
「お母さん! 私、帰ってきたよ!」
「まあ……! レイア!?」
家の中から飛び出してきたのは、レイアによく似た優しげな目元を持つ母親だった。着古したエプロンに手を押し当て、感極まったように娘を力強く抱きしめる。
「よかった……! 急に『勇者』として王都に呼ばれてから、生きた心地がしなくて……怪我はないの? ちゃんとご飯は食べてるの?」
「うん、大丈夫! 怪我もないし、すっごく強い人に鍛えてもらってるの!」
レイアが弾んだ声で振り向くと、そこには長身の見慣れない服装の男――浩之が、静かにたたずんでいた。
浩之はふっと身なりを整えると、大人の落ち着いた態度で一礼した。
「初めまして、お母さん。レイアの保護者代わりをやっています、ヒロユキと言います。お邪魔しますね」
「あ、あら嫌だ、丁寧なお方……! レイアがお世話になっております……って、えっ? ほ、保護者……? もしや、レイアの……恋人さん、ですか!?」
「〜〜〜〜〜っっっ!?!?!?」
お母さんの突拍子もない勘違いに、レイアの顔が一瞬で真っ赤に沸騰した。
「ち、ちちち違いますお母さん!! ヒロユキさんは私の師匠みたいな人で、まだそんなんじゃないから!! 私、まだ十五歳だしっ!!」
「ふふ、『まだ』なのね。お前がそんなに慌てるから冗談かと思ったわよ。でも、こんなに立派で頼もしいお方についていてもらえるなら安心ね」
クスリと笑う母親を見て、レイアは恥ずかしそうに肩をすぼめた。
浩之は柔らかく微笑みながら、言った。
「レイアは本当によく頑張っていますよ。今日なんて、自分の魔法でスライムを倒せるまでになりましたから」
「まあ……! あんなに怖がりだったレイアが……」
母親の温かな眼差しと、浩之の客観的な評価。二人に挟まれ、レイアは照れくさそうに鼻の下をこすった。
手厚い歓迎を受け、実家で温かいスープをご馳走になった後。
浩之は村の小さな宿屋の一室を借り、一人でベッドに腰掛けていた。
「よし……レイアもしばらくは実家で親孝行ができるな」
浩之は自分の手元を見つめ、静かに息を吐いた。
レイアが実家で過ごすこの数日間を利用して、自分も一度『向こう』――地球へ戻り、現実世界の用事を済ませるつもりだった。
(この世界と地球の時間経過……深く突き詰めようとすると頭が痛くなってくるな)
ゲーム世界で数日過ごしても、地球ではわずか数時間しか経っていない感覚がある。かといって、地球で一週間過ごしたらこの世界で何年も経ってしまう、なんてこともなさそうだ。
固有スキル『ログイン』の影響だろうか。ステータスやスキルが視覚化されるのと同じように、この世界の『仕様』のようなものが感覚的に伝わってくる。どうやら二つの世界の時間は完全に固定されているわけではなく、お互いの生活が破綻しないよう都合よく調律されているらしい。
(仕様の理由なんて、考えたところで分かるわけもない。都合のいい現象としてそのまま受け入れておけばいいか)
三十九歳の大人の割り切りで、分からない謎は深追いせず、便利に活用することにする。
宿屋に入る直前、実家の前でレイアと交わしたやり取りを思い返した。
『レイア、俺はちょっと用事があってしばらくここを離れる。少ししたらまた迎えに来るから、その間はしっかり親孝行しておけよ』
『えっ、用事ですか? わかりました!』
『ああ。だが羽を伸ばすだけじゃなくて、暇を見つけて剣の素振りと魔法のトレーニングも怠るな。戻ってきたら成果を見せてもらうぞ』
『うぅ……流石ヒロユキさん、抜かりないですね。はいっ、しっかり練習しておきます!』
『よし。……じゃあな、またな』
少し不満そうにしつつも、嬉しそうに頷いていたレイアの顔が浮かぶ。真面目なアイツのことだ、約束通り素振りも親孝行も両立させるだろう。
「『ログアウト』……」
浩之が心の中でそのコマンドを強く念じると、視界がゆっくりと白く光に包まれていった。
ふっと目を開けると、そこは見慣れた天井だった。
聞き慣れた冷蔵庫の小さな駆動音。窓の外から聞こえる車の走行音。
「……戻ったか」
浩之は体を起こし、ベッドの脇にあったスマートフォンを手にとった。
画面に表示された日付と時間を確認する。向こうで濃密な時間を過ごしたものの、地球ではまだ数時間しか経っていなかった。
「さて……明日は仕事だな。また休んだら佐伯課長の嫌味が鬱陶しいからな」
ゲーム世界の宿屋でしっかり睡眠をとったためか、頭は冴えわたり全く眠気を感じない。浩之はシャワーを浴びてコーヒーを淹れ、溜まっていた洗濯や掃除など、現実世界の用事を要領よく片付けていった。
翌日。いつものようにスーツに着替え、浩之は現実世界の社会人として出社した。
「おはようございます、佐伯課長。ご迷惑をおかけしましたが、すっかり体調は戻りました」
「ふん、自己管理も仕事のうちだからな。昨日休んだ分、今日はきっちり遅れを取り戻してもらうぞ」
ネチネチとした佐伯課長の小言を適当に受け流しつつ、浩之は自分のデスクPCに向かった。
(……それにしても、異常なほど体が軽いな)
キーボードを叩きながら、浩之は内心で首を傾げた。三十九歳という年齢特有の肩こりや腰の重さが一切ないどころか、指先が羽のように軽く、頭の回転も恐ろしく速い。
間違いなく、ゲーム世界で飲んだ『パワーアップドリンク』の効果や、僧侶としてレベルアップした肉体強化の恩恵が、現実の身体にも完全にフィードバックされているのだろう。
これなら終電まで残業してもビクともしなそうだが、そこまで会社に尽くす義理もない。圧倒的な作業効率でタスクを消化しながら、浩之の頭の片隅には、すでに仕事終わりのミッションが浮かんでいた。
(仕事帰りに、レイアに何か美味いスイーツでも買っていってやるか……)
ふと、仕事の合間にデスクのコーヒーを口に含みながら、遠い目をする。
(レイアの奴、今頃母親に散々甘やかされているだろうな……)
厳しい反省会ばかりの自分との旅から束の間解放され、羽を伸ばしている少女の顔が思い浮かぶ。
(……あの『ドラゴンブレイバー3』は、学生時代に擦り切れるほどやり込んだゲームだ。まさか何十年も経って、画面の向こうにいた勇者の少女とこうして言葉を交わし、飯を食うことになるとはな)
ただのプログラムのデータではない、血の通った一人の女の子としてのレイア。
自分の指導に必死についてきて、少しずつ成長していく姿を見ていると、親のような、あるいは師匠のような妙な愛着が湧いているのも事実だった。
(まあいい。しっかり羽を伸ばしてこい)
定時きっかりに仕事を終わらせた浩之は、退勤ラッシュの波に乗り、駅前のデパートへと足を向けた。
まずは地下の食品街でショーケースに並ぶ色鮮やかなフルーツタルトやケーキの箱詰めを頼む。
「……よし、土産のメインはこれだな」
一息ついたところで、浩之はふと思い出したように足を止めた。せっかく現実世界の物資を持ち込めるのだ。保存がきいて手軽につまめるものや、向こうの世界では貴重な美味いものも買い込んでおくに越したことはない。
そこから浩之の「買い出しモード」にスイッチが入った。
老舗の和菓子屋に足を運び、日持ちのする高級羊羹や上品な栗最中、どら焼きの詰め合わせを次々とカゴに入れていく。さらに、洋菓子売り場ではクッキーやサブレの詰まったずっしりと重いアンティーク調のブリキ缶をいくつか選び、バームクーヘンやフィナンシェといった個包装の焼き菓子も大量に買い込んだ。
甘いものだけではない。チョコレートやナッツ類、さらにはコンパクトかつ高カロリーな栄養補助食品の類や、フリーズドライのスープ、果物のシロップ漬けや肉類の洋風缶詰といった長期保存が利く食料品も、棚からカゴへと容赦なく放り込んでいく。大きなエコバッグがたちまちパンパンになるほどの物量買いを敢行し、レジで会計を済ませた。
「よし、これだけあればレイアの実家への差し入れや土産としても十分だし、今後の長旅の道中における非常食や、ちょっとした息抜きのレーションとしても完璧だな」
買い物を終えたところで、浩之はふと思い出したように足を止めた。
「そういえば、あいつ、いっそ普段着みたいな着替えもあった方がいいよな。村にいる間は実家の服があるだろうが、これからの旅の道中や宿屋でずっと男装の旅装じゃ落ち着かないだろ」
そう呟き、浩之はデパートの上階にある衣料品売り場へと向かった。
エスカレーターを上がり、レディースのフロアに足を踏み入れた瞬間、三十九歳の独身男性である彼は盛大に気後れした。目の前に並ぶのは、色とりどりの女性物の服、下着、そしてマネキンが着飾る洗練されたワンピースの数々である。
(くっ……アロハシャツを買うのとはわけが違うな。男一人でこのフロアをうろつくのは、周囲の視線が地味に痛い……)
冷や汗を流しながらも、浩之は気を取り直した。
(いや、レイアは確か俺の腰あたりまでの背丈だったか。細身だし、サイズで言えば……いや待て、十五歳の女子の体格なんて見当がつかんぞ。下手に小さくてキツかったら着られないし、逆に大きすぎてもダサいな)
マネキンの前で腕を組み、大真面目にフリーズする浩之。
通行人の女性から怪訝な目を向けられている気もしたが、中間管理職として修羅場をくぐってきた彼にとって、この程度の心理的プレッシャーは些細なものだ。
(よし、あまり子供っぽすぎず、かといって大人びていない、野暮ったいデザインがいい。……この、淡い水色の生地に白いリボンがあしらわれたシンプルなやつなら、あいつの素朴な雰囲気に合いそうだ)
店員に声をかけられ、赤面しそうになるのを社会人のポーカーフェイスで押し隠しながら、「これの、一番標準的なサイズを包んでくれ」と指定する。
包装された紙袋を受け取ったときには、なぜかオークの群れと戦うよりも疲労感があった。
デパートを出た後、浩之は人目のつかない路地裏へ入り、視界の端のシステムウィンドウを呼び出した。
手元のケーキ箱、大量の和洋菓子や缶詰、食料品が詰まった重いエコバッグ、そしてワンピースの入った紙袋が、次々とふっと青白い光の粒子に包まれ、そのまま空間へ吸い込まれるように消える。
(よし、インベントリ収納完了、と)
満員電車で潰す心配もなく、さらに収納空間の中なら時間が止まっているため生クリームも菓子も服も傷むことはない。現実世界で使えるゲームのシステムとしては、控えめに言って最高に便利だった。
【レイアの母より】
レイアの母、マーシャです。
先日、あの子ったら急に「勇者に選ばれました」なんて言って王都に呼ばれていってしまって、もう気が気じゃありませんでした。小さい頃はスライム一匹にも泣いて逃げ回っていた、あの怖がりのレイアが勇者だなんて……。でも、ちゃんと無事に顔を見せに帰ってきてくれて、母は本当にほっとしています。
それにしても、まさかあの子が殿方を連れて帰ってくるなんて思わなくて、つい驚いてしまいました。もしやと思って「恋人さんですか?」って聞いたら、「まだ」だなんて……ふふ、顔を真っ赤にして否定するんですから、母にはお見通しですよ。
これからも、うちの怖がりで頑張り屋な娘のこと、応援してあげてくださいね。ブックマークと評価、お待ちしています。




