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リアル・ログイン -やり込んだゲームに本当に入ったら、気づけば家族が増えていたアラフォー社畜-  作者: ひろボ


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第1話:ログイン ―クリスタルフォレスト・デュオ―

 天井の木目が、妙に生々しかった。

 古いアパート特有の湿気と古びた合板の匂いが鼻腔を突く。

 目覚まし時計の電子音が鳴り響くよりコンマ数秒早く、俺――高村浩之(たかむらひろゆき)、三十九歳の意識は覚醒のフチに引きずり出されていた。


「……なんだ、夢か」


 布団の中でごそりと身じろぎをする。

 頭の芯が重い。

 昨晩、日付が変わる直前までネットオークションの画面にかじりついて、昭和のレトロなゲーム機を買い漁っていたせいだろう。

 アラフォーの体に夜更かしのダメージは重く響く。

 だが、それ以上に脳裏にこびりついて離れない記憶があった。


 夢の記憶だ。

 いや、夢にしてはやけに解像度が高かった。

 白髪交じりの無精髭を生やした、よれよれのタンクトップを着た老人がいた。

 どこかの昭和の茶の間を思わせる薄暗い部屋で、なぜか二人はちゃぶ台を挟んで向かい合っていたのだ。

 手元には、ずっしりと重そうな黒と紺色のプラスチックのコントローラー。

 丸い方向パッドと、斜めに配置された黄色のX・Yボタン。

 いわゆる『トライブ・ギア(TG)』の初期型そっくりの代物だった。


『おい若いの、そこはジャンプじゃなくて溜めを作ってからだろ。隙だらけだろ』


『いや、このアクションゲームの当たり判定シビアすぎんだよ! クソゲーかよ!』


『ハハハ! これだから最近の若造は! ドットの美しさが分かってねえ!』


 アラフォーの俺を捕まえて「若いの」呼ばわりする厚かましいオッサンと、深夜のレトロゲームの貸し借りのような会話を延々と繰り広げた覚えがある。

 しかも、その老人はこう名乗っていた。


 ――わしゃ、この世界を作った神様じゃ。


「……バカバカしい」


 浩之は乾いた笑いを漏らしながら上半身を起こした。

 二日酔いならぬ、ゲーム酔いに近い気だるさだ。

 神を自称する老人とレトロゲーム談義で盛り上がり、最後には「お前との対戦は面白かった、いい暇つぶしになった礼だ」と、頭をポンと叩かれたような気がする。

 その瞬間、頭の中に妙な感覚が走ったのだ。

 まるで、脳の奥の引き出しに、見知らぬパッチファイルが強制インストールされたような、異物感。


「さすがに寝ぼけすぎだな。今日は月曜か……会社の朝礼、めんどくせえ」


 現実逃避するように呟きながら、浩之は右手を伸ばして枕元のスマホをつかもうとした。

 その時だった。

 視野の端が、突如として不自然に明滅した。


「……は?」


 思わず手が止まる。

 網膜の異常か、あるいは血圧の変動か。

 視野の右上に、ブラウン管のノイズのような横線が一瞬走り、それから――嘘のようにくっきりとした文字の塊が、空中に浮遊するように張り付いた。

 いや、浮遊しているというよりは、浩之の眼球のレンズに直接焼き付けられているような感覚だった。


[システムメッセージ:初期化シーケンスを完了しました]

[ユーザー:高村 浩之(39歳・会社員)]

[クラス:一般市民(初期)]


「……おいおい」


 冷汗が一気に背中を伝う。

 心臓の鼓動が耳元でうるさいほどに跳ね上がった。

 幻覚を見るような年齢でもなければ、昨日の酒だって缶チューハイ一本だ。

 目をこすり、強くまばたきをしてみる。

 しかし、文字は消えない。

 それどころか、視線の動きに合わせてピタリと追従してくる。


『スキルを授ける』


 夢の中の老人の声が、脳内で不気味に再生された。

 まさか、あれは夢じゃなかったのか?

 あるいは、俺はいよいよ本格的に仕事のストレスで精神のバランスを崩したのか。

 思考が混乱の濁流に呑まれかけるのを、浩之は無理やり理性の力でねじ伏せた。

 中間管理職として修羅場をくぐってきた三十九歳の処世術がここで働く。

 パニックを起こした方が負けだ。

 ゲームでも現実でも、まずはステータス画面の確認が基本だろう。


(……これ、どうやって操作するんだ?)


 心の中でそう呟いた瞬間だった。

 視界の文字がスライドするように変化し、新たなウィンドウが展開された。


[固有スキル:『ログイン(LOGIN)』]

[説明:対象のカートリッジ、空間、または概念に対し、自身の権限を『接続(アクセス)』させる。]

[現在の接続先:――地球(ローカル環境)]


「ログイン……?」


 声に出して読んでみる。

 自分の部屋の、いつもの見慣れた風景。

 安物のローテーブル、積み上げられたビジネス書、そして昨日届いたばかりの、端子が少し錆びたTG用のカートリッジ。

 ラベルの剥がれたその黒いケースに視線を向けた瞬間、妙な変化が起きた。

 そのカートリッジにだけ、微弱な光の粒子のようなものが纏わりついているのが見えた。

 いや、正確には「見えている」のではなく「知覚できる」ようになっていた。

 カートリッジのプラスチックの表面には [データ:クリスタルフォレスト・デュオ]、[状態:正常] といった、ゲームのUIのようなタグが、現実の景色に重なって表示されているのだ。


「……待てよ」


 浩之はごくりと喉を鳴らした。

 目の前にあるのは、ただの日常ではない。

 神様と名乗る胡散臭い老人が、レトロゲームの話で機嫌を良くして押し付けていった、規格外のチートツール。

 そして、そのスキルの対象は――。

 彼は恐る恐る、ローテーブルの上に転がっていたそのTG用カートリッジを右手で掴み、そのプラスチックのガタつく手触りを確かめながら、心の中で強く念じた。


(――ログイン)


 瞬間、頭の中の回路がカチリと音を立てて噛み合った。

 世界が、一瞬だけ静止する。

 視界の隅に、巨大なコンソール画面がポップアップした。

 そこには、見慣れたドットフォントでこう書かれていた。


[接続成功:対象ゲーム『クリスタルフォレスト・デュオ』]

[ゲームの世界へダイブしますか?]

[はい / いいえ]


 浩之は引き攣った笑いを浮かべたまま、その選択肢を見つめ返した。

 ここで「いいえ」を選べば、いつもの憂鬱で退屈な現実に戻るだけだ。

 理不尽な上司に頭を下げ、数字に追われるだけの平穏な地獄。

 だが――。


「……やってやろうじゃねえか」


 心の中で、『はい』の選択肢に意識を傾けた瞬間、世界が音を立てて崩壊した。

 視野のすべてが眩い白光に塗りつぶされ、耳鳴りのような電子音が脳髄を揺らす。

 足場がフワリと消え去り、重力が上下を失ったかのような浮遊感。

 胃の腑がせり上がるような強烈なめまいに耐えていると、不意に、全身に冷たい空気がまとわりついた。

 ガツン、と硬質な地面に足裏が着地する衝撃。


「――っ!」


 浩之は反射的に身を低くし、アスファルトではなく土と苔を踏みしめる感覚を確認した。

 むせ返るような緑の匂いと、絵の具をぶちまけたような抜ける青空。

 そして、視界いっぱいに広がる景色に、彼は思わず息を呑んで絶句した。


「……なんだ、これ……」


 そこは、紛れもなくあのゲームの世界だった。

 だが、トライブ・ギアのゲーム画面に映っていたような、単純な2次元のドット絵の世界ではない。

 どこまでも続く巨大な水晶色の森、遠くに見える不気味な尖った岩山、そして実在感を持った、異様に太い幹を持つ巨木の群れ。

 ドットの荒さの裏に隠されていたディテールが、あまりにも生々しいリアリティを持って目の前に広がっていた。

 空を飛ぶ雲は立体的な影を落とし、頬を撫でる風には湿り気がある。

 あまりにも現実離れしていながら、同時に作り物ではない「生きた世界」の重みがそこにはあった。


(待て、確かこのゲームの設定は……)


 記憶の底をまさぐる。

 双子の旅人が、森の恵みの力を借りながら奥地の城に囚われた王女を救いに行く、あのストーリーだ。

 そして、この世界を支配しているのは――。


 ゴオオォォ……!


 突然、遠方の空気が震え、地鳴りのような低い轟音が響いた。

 浩之は反射的に視線を向け、心臓が凍り付くような光景を目撃する。

 遠くの地平線、あのトゲトゲしい岩山の頂上にそびえ立つ、黒煙を吐き出す巨大な城塞。

 その上空を、水晶の角を戴いた巨大な獣のような影が、悠然と旋回していた。

 炎の息を吐き散らし、大地を踏みにじる圧倒的な暴力の象徴。

 ――この世界を恐怖で支配する、魔獣の王だった。


「冗談だろ……あんなの、まともに戦えるわけがない」


 冷や汗が背筋を伝い落ちる。

 ゲーム画面の向こう側では、コントローラーのボタンをガチャガチャ押していれば済んだかもしれない。

 だが、生身の肉体でこのリアルな戦場に放り出された人間にとって、あんな怪物の視界に入ることは即座の死を意味する。


(隠れないと……!)


 本能的な危機感が、浩之の足を突き動かした。

 幸い、目の前には背の高い草むらと、苔むした石造りの遺構の残骸が転がっている。

 彼は足音を殺し、泥にまみれることも厭わずに、その巨大な石組みの影へと身を滑り込ませた。

 息を潜め、草の隙間から外を窺う。

 ゴトゴトと地響きを立てながら、遠くを何かの一団が通り過ぎていく。

 木の実のような殻をかぶったモンスターが、不気味な足音を立てて行進していた。

 心臓がバクバクとうるさいほどに脈打つ。

 冷や汗でシャツが背中に張り付いていた。

 三十九歳の冴えない会社員が、いきなり異世界のハードモードな戦場に放り出された現実が、じわじわと実感に変わっていく。


(どうする……。このままここにじっとしていても、いつかは見つかる)


 ポケットの中のTG用カートリッジが、微かな熱を帯びて彼の太ももを刺激した。

 その熱が皮膚を伝わった瞬間、視界の隅で微かに文字が明滅し、新たなウィンドウが静かに浮かび上がった。


[システムメッセージ:固有スキルが『ログアウト(LOGOUT)』へと変化しました]


「……は?」


 浩之は思わず息を呑み、石組みの陰で小さく身じろぎした。

 ログインではなく、ログアウト。

 つまり、この圧倒的な暴力が支配する現実に接続してしまった今、手元にあるのは元の退屈な日常へ「逃げ帰る」ための切符だけだということか。

 遠くでモンスターたちの足音が遠ざかっていく。

 冷たい土の匂いと、生々しいまでの世界の質感が、それが夢でも幻でもないことを容赦なく突きつけてくる。


(逃げるのか……?)


 頭の片隅で、あの理不尽な満員電車と、佐伯課長の冷ややかな顔がフラッシュバックした。

 どちらの世界を選んでも、結局はクソゲーに変わりはない。

 だが、この手の平の上にあるカートリッジと、変化したスキルの意味を思えば、ここで引き下がるのが正解なのかどうか、三十九歳の理性が激しく警鳴を鳴らし始めていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


『リアル・ログイン』は、主人公が様々なレトロゲームの世界を渡り歩いていく物語です。

アクションから始まって、この先はRPGや近未来SF、ロボットもの、果ては宇宙まで広げていく予定なので、気長にお付き合いいただけると嬉しいです。


基本的に毎日更新していく予定です。

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次話もお楽しみに。

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