# 第一話 目覚め
学生の時から携帯でユーザーが作った小説を読んでいて、こういう作品があったらいいな、と思い続け、ついに手掛けた作品です。
特にファンタジー物が大好きだったので、1作目はファンタジー、その中でも好きだったスライムに関する作品になります。
雨だった。
それだけは覚えている。
冷たい雨。
濡れたアスファルト。
信号待ちの人影。
白いヘッドライト。
そして。
強い衝撃。
そこから先の記憶はない。
◇
気が付くと、暗闇の中にいた。
(……あれ)
何かがおかしい。
意識はある。
考えることもできる。
記憶もある。
自分が佐藤悠真という人間だったことも覚えている。
だが。
(目が開かない)
いや、違う。
閉じている感覚もない。
まばたきもできない。
そもそも目があるのか分からない。
違和感はそれだけじゃなかった。
(身体が動かない……?)
腕を上げようとする。
動かない。
足を動かそうとする。
動かない。
首を回そうとする。
回らない。
事故。
病院。
麻痺。
そんな言葉が頭をよぎる。
急に怖くなった。
身体を必死に動かそうとする。
その瞬間。
ぐにゃり。
奇妙な感覚が伝わった。
(……?)
何かが動いた。
腕じゃない。
足でもない。
自分自身。
身体そのものが変形した。
そんな感覚だった。
(なんだ今の)
もう一度試す。
ぐにゃ。
少しだけ前に進んだ気がした。
意味が分からない。
俺は混乱した。
数分。
いや、もっとかもしれない。
ひたすら試行錯誤を続けた。
やがて分かった。
身体の一部を押し出す。
地面に付ける。
引っ張る。
すると前に進める。
(這ってる……のか?)
いや、違う。
腕も足も使っていない。
柔らかい何かを変形させて移動している。
そんな感覚だった。
不気味だった。
だが。
さらに不気味なことに気付く。
(腹……減った)
空腹だった。
胃があるのかも分からない。
それでも空腹だけは分かる。
生きている。
少なくとも俺はまだ死んでいない。
その事実だけが妙に現実味を持っていた。
しばらく進む。
周囲の様子はよく分からない。
見えているのかも怪しい。
ただ。
完全な暗闇ではなかった。
近くにある物の存在を、ぼんやりと感じられる。
壁。
地面。
岩。
輪郭だけが分かる。
不思議な感覚だった。
その時。
近くに何かあることに気付いた。
細長い。
柔らかい。
植物のようなもの。
恐る恐る触れる。
すると。
それは身体の中へ沈んだ。
(うわっ!?)
慌てる。
だが異変は起きない。
数分後。
空腹感が少し薄れた。
(……食った?)
どうやらそうらしい。
何を食べたのかも分からない。
毒かもしれない。
普通なら絶対に口にしない。
だが今の俺には選択肢がなかった。
生き残る。
まずはそれだけだった。
そして。
その時。
頭の奥に。
何かが浮かんだ。
発光茸
言葉だった。
突然。
理由もなく。
その植物の名前だけを理解した。
(なんだ今の……)
誰かの声ではない。
自分で考えたわけでもない。
ただ。
知っていた。
発光茸。
その名前だけを。
その言葉はすぐに頭の中から消えた。
残ったのは名前だけ。
どうして分かったのかは分からない。
考えても答えは出なかった。
(……まあいい)
よくはない。
だが今は他に優先することがある。
生き残ること。
それだけだ。
俺は再び移動を始めた。
進む。
休む。
進む。
休む。
時間の感覚は曖昧だった。
時計もない。
太陽もない。
ここがどこなのかも分からない。
ただ。
周囲には時々、発光茸が生えていた。
どうやら食べられるらしい。
それだけでも大きな収穫だった。
しばらく進んだ頃。
何かを感じた。
水。
理由は分からない。
だが近くにある気がした。
俺はその方向へ進む。
やがて。
小さな水たまりへ辿り着いた。
岩の隙間から水滴が落ちている。
俺は恐る恐る近付いた。
身体の一部を水面へ触れさせる。
冷たい。
その感覚だけは分かった。
そして水が身体へ取り込まれていく。
(飲んでる……?)
不思議だった。
口もない。
喉もない。
それでも水は吸収される。
しばらくすると。
身体が少し軽くなった気がした。
(水も必要なのか)
どうやら生物らしい。
その事実に妙な安心感を覚えた。
ふと。
水面に何かが映った。
最初は分からなかった。
だが水面が落ち着くにつれ。
輪郭が見えてくる。
青い。
丸い。
いや。
丸いというより。
柔らかく歪んでいる。
半透明。
ゼリーのような何か。
(……なんだあれ)
しばらく見つめる。
その塊が動いた。
俺が動いたからだ。
塊も動く。
止まる。
塊も止まる。
身体の一部を伸ばす。
塊も伸びる。
(……え)
理解したくなかった。
もう一度試す。
結果は同じだった。
(俺……?)
水面の塊。
あれが。
俺。
しばらく動けなかった。
考える。
考える。
考える。
そして。
頭に浮かんだ。
スライム。
ゲームで見たことがある。
小さい。
弱い。
最初に倒される魔物。
その姿に。
よく似ていた。
(いやいやいや)
あり得ない。
昨日まで。
会社員だった。
佐藤悠真だった。
なのに。
今は。
水面に映る青い塊。
(冗談だろ……)
否定したかった。
だが。
何度見ても変わらない。
現実だった。
俺は人間ではなくなっていた。
その時だった。
地面に微かな振動が伝わった。
何かが近付いている。
小さい。
だが確実に動いている。
俺は反射的に身体を縮めた。
暗闇の向こう。
何かがいる。
やがてその正体が見えた。
虫だった。
黒い。
硬そうな外殻。
細長い触角。
手のひらほどの大きさ。
(でかいな……)
だが今の俺からすれば脅威だった。
虫はゆっくり移動している。
触角を揺らしながら。
何かを探しているようだった。
(見つかるなよ……)
虫は近付く。
さらに近付く。
触角が動く。
ぴくり。
また動く。
(まずい)
虫が向きを変える。
こちらへ。
(嘘だろ)
俺はゆっくり後退した。
虫が前進する。
後退。
前進。
完全に一致していた。
(狙われてる……?)
虫の動きが変わる。
速い。
一直線に迫ってくる。
(やばっ――)
逃げる。
だが遅い。
圧倒的に遅い。
虫との距離が縮まる。
そして。
触角が身体に触れた。
その瞬間。
虫が飛びかかった。
身体の一部が押し潰される。
痛みはない。
だが分かる。
削られた。
確実に。
身体の一部が失われた。
(うわっ!?)
恐怖が走る。
痛くない。
なのに怖い。
自分が減っている。
それが分かる。
虫は俺を食べていた。
洞窟甲虫。
その名前が自然と頭に浮かぶ。
同時に。
頭の奥に僅かな情報が流れる。
洞窟甲虫。
雑食。
小型生物を捕食する。
(だから何なんだよ!)
知識だけ増えても意味がない。
虫は再び噛みつこうとする。
逃げなければ。
そう思った。
だが。
ふと気付く。
俺の身体に噛みついた虫の頭部。
半分ほど埋まっていた。
柔らかい身体の中に。
(……ん?)
虫が暴れる。
抜こうとしている。
だが抜けない。
脚が空を掻く。
触角が暴れる。
それでも。
抜けない。
(もしかして)
俺は恐る恐る身体を収縮させた。
ほんの少し。
わずかに。
すると。
ずぶり。
虫の身体がさらに沈んだ。
暴れる。
沈む。
暴れる。
沈む。
その繰り返し。
やがて。
動かなくなった。
そして初めて。
悠真は理解した。
自分は弱い。
だが。
ただ弱いだけではないらしい。
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動かなくなった。
洞窟甲虫はもう暴れない。
脚も。
触角も。
何も動かない。
(……終わった?)
しばらく待つ。
だが変化はなかった。
どうやら本当に倒したらしい。
安心した。
だが同時に違和感もあった。
身体の中に異物がある。
そんな感覚だった。
洞窟甲虫の身体は半分ほど俺の中へ埋まったままになっている。
(どうすればいいんだ)
考えていると異変が起きた。
洞窟甲虫の身体が少しずつ崩れ始めたのだ。
最初は気のせいかと思った。
だが違う。
外殻が。
脚が。
触角が。
ゆっくりと溶けていく。
そして俺の中へ吸収されていく。
(消化……?)
不思議な感覚だった。
俺には胃も腸もない。
それでも確実に分解されている。
時間が経つにつれ、空腹感も薄れていった。
やがて。
頭の奥に違和感が生まれる。
触角。
硬い殻。
細い脚。
断片的な情報が浮かんでは消えていく。
知識ではない。
記憶でもない。
構造。
そんな言葉が近かった。
(これが……再現解析?)
自然とそんな考えが浮かぶ。
根拠はない。
だが妙にしっくりきた。
しばらくすると感覚は消えた。
残ったのは曖昧な印象だけ。
俺は試しに身体の一部を細く伸ばしてみた。
何も起きない。
もう一度試す。
変化なし。
さらに試す。
変化なし。
(そりゃそうか)
虫を食べたからといって、いきなり触角が生えるわけがない。
何度か繰り返したその時だった。
身体の端がわずかに細く伸びた。
(ん?)
すぐ元に戻る。
気のせいかと思った。
だがもう一度試す。
細く。
長く。
触角をイメージする。
すると再び身体の一部が細長く変形した。
だが維持できない。
数秒で崩れる。
(難しいな……)
それでも手応えはあった。
今まで出来なかったことだ。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
変化した。
その時。
ふと違和感に気付く。
身体が軽い。
いや。
小さい。
洞窟甲虫に削られた部分が戻っていない。
(そうか……)
食われた分はそのまま減る。
当たり前の話だった。
生き残った。
だが無傷じゃない。
俺はまだ弱い。
圧倒的に弱い。
たまたま勝てただけだ。
次も勝てる保証なんてない。
生きるためには。
もっと知る必要がある。
もっと強くなる必要がある。
そのためには。
まず食べることだ。
俺は洞窟甲虫がやって来た暗闇へ視線を向けた。
そしてゆっくりと身体を動かし始めた。




