ノルマン侯爵
結局、美味しいところを持っていったのはソフィアだった。
彼女はボルトから、すべてを聞き出した。ボルトはパリス大学で魔術を学んでいた。専攻はもちろん、魔道具だ。
しかし優秀だった彼に下された大学の評価は、酷いものだった。
「俺は、地元に帰って工房を立ち上げる」
そう決意したものの、注文は一向に来ない。生活は困窮し、仕事に躓いたことで心も荒れていった。
自分より劣ると見ていた者たちが、先に評価され、金を得ていく。その現実が、彼の矜持を静かに削っていった。
酒場でくだを巻いていた彼は、そこで一人の商人と知り合う。
その商人は、こんな提案を持ちかけてきた。
「今、共和国は荒れつつある。民衆は無知で利己的だ。奴らを、誘導できないか?」
「できないことはないが……各人の判断を奪うのは」
「だから、誘導だけだ。うまくいけば、大金ももらえるぞ」
すでに冷静な判断を失いつつあったボルトは、その話に飛びついた。
そのときの彼には、それが堕落への一歩ではなく、人生を立て直すための最後の手段に思えたのだ。
大金を渡し、惜しみなく賞賛する領主や権力者たち。
必要とされている、評価されている――その感覚は、酒よりも甘かった。
そして、さらに強力で広範囲に及ぶ誘導の魔道具を作った。
それがどれほど危険な代物か、考えないようにして。
「ま、そんなところだと思ったわ。知りたいのは、魔術文字のことよ。どこで習ったのかしら?」
「……理由がわかったの……」
ソフィアは、私に声をひそめて小声で囁いた。
「日本語を流行らせたら、みんな使うかなって思ったんだけ……魔術文字にしてるからまずいって、途中から気づいて……」
原因はなんと、ソフィアだった。
一瞬、言葉が出なかった。怒りより先に、脱力が来る。
「はあ、何やってるのよ!」
私も、他人に読まれたくないメモには日本語を使う。
だからこそ分かる。便利で、閉じた文字が、力を持ったときの危うさが。
まさか、それがこんな形で災厄の種になるとは思わなかった。
「文通なら私がしてあげるわ。とりあえず設定を変えて、無効にしましょう」
「出来るかな? やってみる」
その声には、珍しくわずかな不安が混じっていた。
指先が、ほんの一瞬止まる。
これで一段落だ。……そう思いたかった。
この件も、例の黒牙蛇の商人が絡んでいた。
「ドノバン、奴を捕らえて」
終わったはずの事件が、また別の形で顔を出しそうな予感がして、私は小さく息を吐いた。
※
私たちは、ノルマン侯爵の城に向かった。もちろん、リラのお披露目だ。
熱い歓待を受けて、会食となった。
「お美しいお嬢さんだ。ヴァーデン領の領民も喜んでいるだろう」
温厚そうな、気の良さそうな老人を演じている侯爵だ。
少なくとも、表向きは。
「いえ、兄たちがご迷惑をかけたようで申し訳ございません」
「こちらとしては、頼まれたから兵を出しただけ。それと、民が戦いに巻き込まれておると聞いていても立ってもおられずに……」
「それでしたら、ご安心ください。王国より、マリスフィア、ノクスフォード侯爵に援軍を頂きましたので」
予め情報は伝わっていたはずなのに、老人は私たちの顔を見ると顔面が蒼白になった。
一瞬だけ、その仮面が剥がれたように見えた。
「実は、体調がすぐれなくてな。挨拶に来てもらったが、これで退席させてもらう」
王国が共和国へ越境してくることに、文句の一つも言わなかった。いや、言えなかったのだ。
「お待ちください。一つお聞きしたいのですが?」
「なにか? 知ってる限り答えよう。だがこの国は、共和国。民衆が勝手にしでかすことが多くてな。領主とは名だけだ。議会が決めておる」
言葉とは裏腹に、彼の視線は落ち着きなく揺れていた。
私たちは、ここに来る前に、例の商人と面会という名の尋問をしていた。
担当したのは、リラとドノバンだけ。私たちは、彼の前に姿も現さなかった。
「全てを話す。だから許してくれ!」
人当たりが良く、予想不能な行動をする二人。
知略に富んだ商人も、思わず口を軽くした。そこで明らかになったのは、共和国の闇。
いや――私たちの真の敵だった。
王国への市民活動家の派遣。王国貴族への調略。そして、帝国への情報提供。
「一番口が軽いのが、仲間だから笑っちゃうよな」
ドノバンが疲れた顔で言った。彼に向いていない仕事をさせている。その自覚が、胸に残った。
「おかげで、やっと掴めたわ。ありがとう、ドノ、リラ」
「とんでもありません、恩返しできて良かったでーす!」
リラが笑う。軽い声が、逆に現実の重さを浮き彫りにした。
「じゃあ、もういいかな」
クルミは、両手を組んで跪き祈っていた姿から、すっと立ち上がった。
「何をするの?」
「もちろん、断罪だ」
商人を捕らえていた部屋に、一人入って行く。
その目には、深い悲しみと怒りと決意があった。
愛する父を殺された恨みは、彼女の中では決して消えない。
「私たちには無理ね。でも、それは悲しんでいないわけじゃない」
「いいえ。実行犯は始末したもの。今回ぐらい、譲るわ」
違う。私は捕らえただけだ。最後は全て、ミオだ。
それが限界だ。
どうしても、前世での常識が邪魔をする。
それでも――
聞こえてくる商人の断末魔に、私は耳を塞がなかった。
※
「ノルマン侯爵、あなたは王国をどうしたかったのですか?」
私は、彼の中に正義を見たかった。
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