それぞれの救済物語 〜『出エジプト記』を読んで
モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。
(『出エジプト記』十四章二十一ー二十二)
旧約聖書の『出エジプト記』には、エジプトの圧政に苦しんだユダヤ人の祖先がモーセに率いられてエジプトを脱出し故郷のパレスチナへ戻ったという物語が書いてある。あの有名な、モーセが海を割って同胞を逃れさせ、エジプト軍の追撃を振り切るという話を描いた物語だ。ただし、この話が史実かどうかは疑問視されているようだ。考古学の調査ではそれらしい遺跡は発見されていない。大脱出劇があれば『出エジプト記』以外にもそのことを記述した古代の文献がなければおかしいがそんな文献は見あたらない。『出エジプト記』を裏付ける証拠がないのだ。もしかするとそのうちなんらかの証拠が発見されるかもしれないが。
この物語には圧政からの脱出というテーマが描かれている。
ユダヤ人は捕虜となって強制移住させられたことがあった。バビロン捕囚と呼ばれる事件だ。紀元前六世紀、新バビロニア帝国に祖国を支配されたユダヤ人は、バビロンをはじめとするバビロニア地方へ移され、そこで働かさせられた。囚われの身となり、異国の地で強制的な労働に従事させられたユダヤ人たちは、『出エジプト記』の物語に希望を見ていたのかもしれない。いずれモーゼのような誰かが自分たちを救いに来てくれると信じたかったのかもしれない。奴隷制時代のアメリカ黒人もこの話を好んだそうだ。
暗い時代になればなるほど人々は救済の物語を必要とするのかもしれない。暗い時代に生きれていれば、誰かが救いにきて、約束の地へ連れて行ってくれると信じたくもなるだろう。希望がなければ人は生きていかれない。『出エジプト記』に限らず、古今東西、人々はそれぞれの救済物語を紡ぎ、それを信じてきたのだろう。
モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れて返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中へ投げ込まれた。
(『出エジプト記』十四章二十七)
※『出エジプト記』の訳文は新共同訳による。