水戸の偕楽園へ梅を見に行ってきた
梅の花が見頃だというので水戸の偕楽園へ行くことにした。
今は東京の葛飾区に住んでいるので、常磐線の各停に乗ってまずは柏駅へ行く。
柏駅のホームで特急「ときわ」を待っていると反対側の上野方面の電光掲示板に特急「踊り子131号」の表示が出た。我孫子発東京経由伊豆急下田行きの特急列車だ。「踊り子」の185系がホームの反対側に滑り込んでくる。この185系電車は国鉄末期の車両で初登場は昭和56年。老朽化が進んだため、この春で他の車両へ置き換えられるという。185系の特急「踊り子」はこれが見納めだなと思いながら眺める。185系は決していい電車ではなかった。なにしろ国鉄末期のお金のない頃に製造した車両なので安普請なのだ。それでも、四十年近く走っていた電車が見られなくなるのはさびしいものだ。
E657系の特急「ときわ」が入ってきた。まだ乗ったことがなかったので、前から一度乗ってみたかった。E657系は2012年に登場した常磐線専用の特急用車両。白梅と紅梅をイメージしたすっきりとした外観だ。シートの坐り心地はよいし、静かなので快適。ひじ掛けにコンセントがついているのでパソコンの電源を取ったり、携帯電話を充電できたりして便利だ。なかは満席だった。デッキには座席を取れなかった人が立っている。
住宅街の風景が田園風景に変わる。陽射しはうららかだ。僕は昔ながらの日本建築の農家をぼんやり眺めた。そのうち、新しい建築の家が増え、特急「ときわ」は偕楽園駅に停車した。
偕楽園駅は毎年、梅まつりの時だけ開設する臨時駅だ。下りにしかホームがない。ここで乗客がどっと降りた。改札口にはJRの職員がいて、切符を渡すと「精算済証明書」をくれる。偕楽園行きの切符はなく、切符はすべて水戸行きになってしまう。窓口で切符を買った時、偕楽園駅は表示できないので水戸になりますと言われた。偕楽園駅は臨時駅なのでそんな中途半端な扱いになるようだ。だが、この「精算済証明書」を持っていれば、途中下車扱いと同じになって偕楽園から水戸までただで乗車することができる。ただし、「精算済証明書」をくれるのは、上野方面からの下り列車できた場合だけに限られるのだとか。
駅を出て陸橋を渡り、千波湖のほとりを散策する。水辺では白鳥や黒鳥や鴨がのんびり泳いでいる。奥さんは楽しそうにブラックスワンの写真を撮る。奥さんは鯉の群れに向かって手をかざし、指を揉みながら餌を落とす仕草をする。すると、鯉たちは水面から口を出してパクパクさせる。鯉たちは人間が餌をあげる仕草を覚えているようだ。残念ながら餌はない。なんどか餌をあげる仕草をして遊んでいるうちに、向こうも餌がないと悟ったようで、相手にされなくなった。
千波湖はけっこう大きい。湖を眺めていると気持ちが広がって気分がいいのだが、全部一周すると一時間くらいかかってしまいそうなので、五分の一周くらいしたところできた道を戻り、再び陸橋を渡って偕楽園に入った。
偕楽園は、水戸藩第九代藩主徳川斉昭が作った大きな庭園だ。天保13年(1842年)に開園した。日本三大名園の一つに数えられている。
なかは梅林が広がっている。人でにぎわっていた。
白い梅も、赤い梅も、ピンクの梅もみんなきれいだ。さがり梅は花火のように咲いている。一つの木に白梅と紅梅の両方が咲いているものがあった。たぶん、白梅の木に紅梅を接ぎ木したのだろう。特別きれいな梅には特別な名前がついていて、紹介の名札がついていたりする。
ぶらぶらと歩きながら、梅を眺めては写真を撮る。天気はいいし、梅はきれいに咲いているので心地よい。奥さんも梅を楽しんでくれているようなのでよかった。
二時間ばかり散策して偕楽園駅へ戻った。
ホームには和服を着た梅娘が二人立っている。かわいらしい娘さんだ。
「よろしいですか」
と一眼レフを手にしたおじさんが梅娘の写真を撮る。僕も彼女たちの写真を撮りたかったのだけど、奥さんの目の前でそんなことをしたら怒られてしまうのであきらめた。
偕楽園駅から一駅乗って次の水戸駅で「精算済証明書」を渡して改札を出る。
水戸駅から歩いて十分ほどのところにある弘道館へ向かった。
弘道館は偕楽園を作った徳川斉昭が建てた学校で、幕末の水戸学の中心になったところだ。チケット売場には行列ができていた。
まずは弘道館のなかを見学する。畳を敷いた部屋がいくつもある。水戸学の知識はまったくないけど、なかの展示物を見ていると彼らが儒教を素材にしながら独自のなにかを打ち立てようとしたことだけはわかる。建物を出て、庭を一周して庭の梅を眺めた。静かな庭に静かな梅が咲いていた。
特急「ときわ」に乗って東京へ帰った。いい一日だった。