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労働許可をめぐる混乱 in 上海


 二〇一七年四月から、中国政府は外国人の新しい労働許可制度を定めた。正確にいうと従来の「就業証」が「工作許可証」に変わる。申請者に対する点数制度を定め、申請の際に必要な書類を増やしたりした。

 点数制度というのは、申請者の年齢、勤務地、学歴、中国語の語学力、技術などに応じて点数をつけ、点数に応じてABCのランクにわける。Aは中国が欲しいハイテク技術を持った人材、Bはそこそこの技術がある人材なのでABランクともに労働許可を発行し、Cランクは中国が求めている水準に達していないので労働許可は発行しないとされた。ちなみに雑誌で紹介してあった新制度の点数を自分でつけてみると、僕はCランクだった。僕は中国語が話せるというだけでほかに取り柄はないのでそんなものだろう。提出書類は日本の警察で発行する「無犯罪証明書」や日本の学校の「卒業証明書」に中国大使館の公証が必要とのことだった。

 僕の労働許可はちょうど新制度が始まる四月に更新だった。会社の人事担当のお姉さんが地域の労働局の新制度説明会へ行ってきてくれたのだが、制度は決まったものの運用上の細則がまったく決まっていないので、地域の労働局もお手上げの状態で、上からの通知を待つという説明ばかりだったそうだ。しばらくは旧制度のままでよいということで、僕の労働許可はあっさり更新された。追加の書類も必要なかった。

 日本の場合、運用上のまったく規則を決めずに政府が制度を始めるということはあり得ないのだけど、中国ではよくある。お国柄の違いとしかいいようがない。中国では、とりあえず始めることにして、あとは始まってから考えるというパターンが多々ある。始まらないとやる気にならないのだろう。もっとも、初めによく考えないから混乱してしまうわけなのだけど。新しい制度ともなれば、事前に考えに考えたうえでも、いざ始めるといろいろと課題や問題が出てくるわけだし。


 この秋になって日本人の同僚のJさんの労働許可の更新が始まった。Jさんも僕と同じく現地採用で働いている。労働局は細則が決まったので新制度での運用になるという。Jさんの労働許可の更新はかなり難航した。

 まずは手続きの日数が三倍以上になった。以前は五営業日で手続きがすんでいたのが、新制度では合計十五営業日もかかることになった。最初に予備審査があってそれに五営業日かかり、予備審査の後は本審査があってそれにさらに十営業日かかるという。以前は一週間で終了したが、今度からはざっと一か月はみておかないといけない。

 中国人の人事のお姉さんは予備審査のためにJさんの資料を労働局の申請システムへアップロードした。更新の場合、「無犯罪証明書」や「卒業証明書」の中国大使館での公証といった新制度から必要になった書類が不要とのことでこの点は簡単になったのだが、五日後、労働局から予備審査却下の通知が届いた。理由は彼の写真のトリミングが大きいので頭が大きく見えてしまうことと、いつくかの箇所に記入漏れがあったことだった。

 中国の場合、最初に「労働許可」を取得し、それを以て「居留証」という名称の滞在ビザを取ることになっている。労働許可が更新できなければ、居留証も更新できない。この二つの書類がなければ中国に住んで働くことができない。労働許可の申請が却下されたことで、Jさんの居留証は期限内に更新できなくなってしまった。居留証が期限切れとなれば不法滞在になってしまう。人事のお姉さんは、なにか手立てはないものかと出入境事務所(出入国管理事務所)へ相談に出かけた。この時、人事のお姉さんはひどい風邪を引いて病院で四日間点滴を受けた直後で、体はふらふらだったのだけど、手続きが遅れてJさんが不法滞在になってはまずいので、無理して出社して処理に当たった。責任感が強くて非常にまじめな人だ。

 出入境管理事務所には同様の相談が多数寄せられているようで、出入境管理事務所のおじさんは、人事のお姉さんが話の内容を切り出すとすかさず、

「ああ、もうわかったよ。それはね、臨時の一か月ビザを出して対応しているから、それを申請しなさい」

 と人事のお姉さんに言った。ただし、そのおじさんは、

「一か月の延長では間に合わないかもしれないから気を付けなさい」

 と言うのを付け加えるのも忘れなかった。労働許可の申請はそうとう混乱しているようえ、そうすんなりとは許可がおりず、一か月では居留証の申請に間に合わないケースも多いのだとか。

 翌日、人事のお姉さんは臨時ビザの申請へ行ったのだけど、その時、彼女は出入境管理事務所で災難に遭う。事務所のなかはお姉さんと同じように臨時ビザの申請をしにくる人たちであふれていた。通常は、銀行のように受付の番号カードを発行して、一人ずつ順番に窓口へ呼び出すのだが、申請者があまりに多いために番号順に一つひとつ申請受付を処理していたのでは間に合わない。そこで出入境管理事務所は、

「番号三二〇から三四〇までの人はこちらに並んで」

 とまとめて呼び出してまとめて処理するようにした。当然、二十人くらいの人が我先にと一斉に窓口へ押し寄せた。人事のお姉さんは窓口へ突進する人々とぶつかり、後ろから強く押され、もみくちゃにされた挙句、床へ転んでしまった。膝に大きな青痣ができたそうで、会社へ戻ってきた彼女は足を引きずっていた。風邪で顔色は真っ青だし、足は痛そうだし、かなり気の毒な姿だった。

 それでもなんとか臨時ビザの申請を終わらせた人事のお姉さんはすぐさま地域の労働局へ赴き、レファレンス係りに申請書類をどのように記入すればよいのかを確認した。レファレンス係りの回答は、だいたいこれでいいと思うがシステム上の申請処理を行うのは別の人なのでその人がどう判断するのかはわからないとのことだった。この時、人事のお姉さんは労働局の窓口で係員と大喧嘩しているおばさんを見かけた。同じように外国人の労働許可を申請している人らしいが、「二度も言われた通りに記入して申請を出しているのに、どうしていつも違うことを言われて却下されなきゃいけないのよ」と怒っていたそうだ。中国の役所では、係員によって言うことや対応が違うのは日常茶飯事だ。人事のお姉さんは嫌な予感がした。

 果せるかな、二度目の申請も却下された。その理由は、「パスポート或いはビザの期日の開始日を記入すること」と記された欄にJさんのパスポートの期限開始日を記入したのだが、労働局の指摘は「ビザの期限の開始日を記入せよ」とのことだった。それならそれで、パスポート或いはビザなどとどちらともとれるようなことは書かずに初めから「パスポートの期日の開始日」とはっきり指定しておけばよさそうなものだけど、お役所に抗議したところでどうにかなるものではない。人事のお姉さんはまたまた地域の労働局へ出かけて記載事項の確認をして、システム上に書類をアップロードして三度目の申請を行った。

 三度目の正直と行きたかったところだが、今度も却下された。

 その理由は、Jさんの学歴を選択する欄があったので、彼女は「大学本科」を選んだ。大学本科は日本でいえば四年制大学に相当する。Jさんは日本の四年制大学を卒業しているので、間違いとはいえない。が、労働局は「大学本科」を選択すると、「中国の大学」の証明書の提出が必要になるので、国外の学校を卒業した場合は「学歴なし」を選択すべきと言ってきた。それならそれで初めから「学歴なし」を選ぶように指導すればよさそうなものだけど。「学歴なし」は学校へ行ったことがないということだから、それを選ばなくてはいけないとは誰も考えないだろう。

「もう私はわけがわからなくなったわ」

 人事のお姉さんはそう嘆きながらも四度目の申請を行った。

 彼女の同級生や以前勤めていた会社の同僚のなかには同じような仕事をしている人が何人かいるので、どんな状況なのかを尋ねてみた。同じ上海でも区によって対応が違うようだ。上海市の周辺部にあたるところでは、重箱の隅を楊枝でほじくるような文句を言われたりせずにすんなり申請が通るのだとか。点数制度も本格的には運用されていないようで、点数が足りないなどと言われて却下されることもなかった。

 Jさんは僕のいる事務所とは離れたところにある別の事務所に勤務している。こちらに用事があってJさんはふらりと姿を見せた。Jさんは中国で二十年ほど暮らしているのでこれくらいのことでは驚かない。腹が据わっている。Jさんはがんばってくれている人事のお姉さんのために陣中見舞いとしてスタバでコーヒーとケーキを買ってきた。僕はなにもしていなのだけど、御相伴にあずかることができた。スタバのチーズケーキはおいしかった。

「やったわ。やったわよ」

 人事のお姉さんは会社のなかで突然叫んだ。Jさんの労働許可の予備審査が四度目でやっと通った。あれだけ労働局に振り回されてやっと予備審査が通ったのだからさぞうれしいだろう。

 予備審査の後は、綱渡りのスケジュールだったとはいえ、それまでの混乱が嘘のようにスムーズにいった。労働許可の本審査の申請を行い、一か月の臨時ビザが切れるので延長を申請した。本審査はなんのトラブルもなくすんなり通り、無事に居留証の申請を行うことができた。Jさんはめでたく労働許可と居留証の更新を済ませた。


 さて、鳴り物入りで導入した労働許可の点数制度はいったいどうなったのか?

 とりあえず、継続更新する場合はB――つまり合格を出すということのようだ。新規にしても、日本から新しくやってくる出向社員は問題なく労働許可をもらっているから、Bを出しているのだろう。僕の見聞きした範囲では「一応制度はあるけど、そんな堅いことはいわずにビザを出す」ということになっているようだ。かなりアバウトだけど、お国柄なのでそういうものなのだ。辻褄が合ってないようだけどどういうことなのだろうなどと考えないほうがよい。こちらは考えても向こうは考えていないわけだし、疲れるだけだ。疲れて損をするのは自分だ。ただし、今後どうなるのかはわからない。中国政府が点数制度を厳格に運用し始める可能性もないわけではない。そうなれば、そうなった時にまた考えればいいだけのことだ。


 ともあれ、人事のお姉さん、お疲れ様でした。



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