止める勇気 ~新幹線台車亀裂異常について
新幹線の台車に深刻な亀裂が生じたにもかかわらず三時間も走行させていたというニュースを読んだとき、思わずじっと考えこまされてしまった。台車の鋼材には十四センチの亀裂が入り、あと三センチを残すだけで、かろうじてつながっているだけの状態だった。
異常が発生したのは十二月十一日午後一時三十三分に博多駅を出発したのぞみ34号。
午後一時五十分頃、小倉駅を出た後、「焦げたような匂いがする」と異臭の報告があり、他にも「もやがかかっている」などと異常を伝える報告があったため、岡山駅から車両保守員が同乗した。
午後三時十五分ごろ、車両保守員が「うなるような音」を確認し、停車して点検したほうがいいと進言したのだが、東京にいたJR西日本の輸送指令は運行続行を指示した。新大阪駅から引き継いだJR東海の車掌が異臭を認め、午後五時頃、名古屋駅で停車した際に点検を行い、台車の亀裂が判明して運行をとりやめた。
初めに異常の報告があってから、台車の亀裂を発見するまで三時間が経過していた。二百何十キロで走行している時に台車が完全に破断して脱線してしまったら、その時もし対向列車がきたら、などと考えるとぞっとする。ともあれ、惨事にならなくてよかった。
JR西日本の車掌、車両保守員、輸送指令の間でどんなやりとりがあったのかは今後の解明を待つしかないのだけど、このニュースを読んだ時、まず思ったのは、
「止める勇気がなかったのかもしれないな」
ということだった。
物事が流れているなかで、それを止めるのは勇気がいる。ましてや新幹線ならなおさらだろう。新幹線のような高速列車の過密ダイヤを組んで定時運行させられるのは日本だけだ。ほとんど神技に近い。ダイヤを守るプレッシャーは相当なものだと思う。点検は五分十分でできるはずだが、たったそれだけの時間でも止めると後がややこしい。後続の列車にもいろいろと影響が出て、その遅れをリカバーするための後処理も手間だし、クレームが出たりもする。それが億劫だったり、怖かったりして止められなかったのかなと感じた。
以前、JR東日本の首都圏の安全責任者だった方のインタビュー記事を読んだことがあるのだけど、
「叱って安全が守れるなら、私だって部下を叱ってでもやらせます。でも、それだけでは事故はなくならないんですよ」
と彼は言っていた。叱るだけでは事故はなくならない。さらに言えば、安全確保のための仕組みや仕掛けを作ったところで、事故を減らすことはできても事故の撲滅はできない。なぜなら、作業するのは人だからだ。結局のところ、人の心理というものへ行きつく。同感だった。
安全第一とよく言うけれど、実を言えば、安全はいつもないがしろにされがちだからこそ、「安全第一」を強調しなくてはいけないのだ。人はつい安全よりも他のことを優先してしまう。効率だったり、金儲けだったり、他人との軋轢を回避することだったり、あるいは単なるなまけ心だったりといったものを優先させてしまう。それで、まあこれくらいなら大丈夫だろうという思い込みで、つい事故の予兆を見逃してしまう。
今回の異常でいえば、名古屋駅で止めて点検したJR東海の方々は偉かった。「よくぞ止めた」と会社が表彰してもいいくらいだ。
どんな手立てを尽くしたところで、必ず物は壊れる。必ず人はミスをする。だから、危ないと思った時は止めなければならない。新幹線に限らず、どんなことでもこれが基本中の基本なのだなと改めて思った。止めるのは勇気がいるんだけどね。でも、勇気を出さないと安全は守れないんだな。