関ケ原見学の中学生団体
小学生の頃、岐阜県の大垣から網干行きの快速電車に一人で乗ったことがあった。大垣の二つ先の関ケ原から制服を着た中学生の団体が乗りこんできた。制服の中学生は三十人くらいはいただろうか。人影もまばらで静かだった車内が急ににぎやかになった。僕の坐っていたボックスシートに中学生が入ってきて腰かける。
「ボク、どこへ行くの? 」
中学生のお兄さんが僕に話しかける。
「大阪へ帰るところやねん」
と僕は答えた。僕は、子供心にもお兄さんたちの言葉のイントネーションが遠いところのものだと思ったので、
「お兄さんたちはどこからきたん? 」
と訊いた。
「鹿児島からきたんだよ。みんな鹿児島の中学校の生徒会長なんだ。関ケ原の古戦場へ見学に行った帰りだよ」
お兄さんはそう教えてくれた。
関ケ原の戦いでの島津家の敵中突破は有名な話だ。
島津は西軍として参加していた。小早川秀秋の裏切りによって西軍が総崩れになった時、退却したのでは逃れられないと判断した島津は目の前の敵へ向かってまっしぐらに斬り込んだ。敵がひるんだ隙を突いてそのまま家康の本陣の脇を通り抜け、敵の追撃に対しては足止め隊を何度も置いては時間稼ぎをして、それでもようやく大名の島津義弘が戦場から脱出することに成功した。犠牲は大きく、島津の一門や家老といった重鎮が相次いで戦死し、約一五〇〇名の将兵のうち薩摩へ帰還したのは、わずか八〇名前後だった。ただ、撤退戦とはいえ、敵中突破を敢行した島津の勇猛ぶりは徳川家康を心胆寒からしめたという。ドラマや小説でよく描かれるけど、胸がドキドキするシーンだ。
鹿児島ならではなのだろうか。実際に昔の戦場へ学生を連れて行って地元の歴史の教える県もあるのだなと思った。お兄さんたちは京都駅で降り、ブルートレインに乗って鹿児島へ帰っていった。