海や死にする 山や死にする
次にご紹介するのは、万葉集の一首。
鯨魚取り
海や死にする
山や死にする
死ぬれこそ
海は潮干て
山は枯れすれ
(詠み人知らず)
「鯨魚取り」は、「海」に掛かる枕詞。意味を訳すると次ぎのようになる。
海は死にますか?
山は死にますか?
死ぬからこそ
海は干上がり
山は枯れるのです
古代日本らしい精霊信仰に裏付けられた短歌だ。この歌は、ありとあらゆる生き物や森羅万象を尊い生命として尊重する心から生まれた。ここには自然に対する思い上がりなどひとかけらもない。人間もまた森羅万象の一つに過ぎないという深い覚悟がある。
近代文明は、この精神とは逆の方向で発展した。自然を征服し、自然を管理することこそが人間の使命だという「思い上がり」だ。もちろん、このおかげで便利な生活を送るようになることができたわけだけど、ただこの「思い上がり」も度が過ぎると、メリットよりもデメリットのほうが大きくなってしまう。自然を殺すことになってしまう。自然を破壊するのは簡単だ。だが、ひとたび殺してしまった自然は、恢復するのに何十年、何百年もの歳月が必要になる。ましてや、放射能などばらまいてしまっては、何千年、何万年と時間がかかってしまう。
日本人に必要なのは「自然に生かされている」という考え方をいま一度取り戻すことなのかもしれない。おそらく、自然のなかにこそ、日本人が信じている清らなものがあるはずだから。