トイレのドア越しの会話
お腹の調子がすぐれなかったので事務所のトイレの個室へ駆け込んでドアを閉めた。
そこへすかさず中国人の同僚が話しかけてくる。
「野鶴さん、今日の午後は会社にいるの? 打ち合わせをしたいんだけどさあ」
僕はおろしかけたズボンの手をとめた。はやくおろして便座に坐りたいけど、なんだか恥ずかしい。向こうからこちらの姿が見えないのはわかっているけど。
「わるいけど、これからお客さんのところへ行かなきゃいけないんだよ。部長から言われているあの件だろ」僕は返事した。
「そうなんだよ」
「明日の午前中は会社にいるの?」
「大丈夫だよ」
「それじゃ、明日打ち合わせしよう」
「オーケー」
ざっとこんな会話をトイレの個室のドア越しに交わした。彼が去ってくれてほっとした。
やっぱりここは中国なんだなと思った。日本でなら、トイレの壁越しに話しかけてくるなんてことはあり得ない。
最近は中国の都市部で開放式のトイレを見かけることはなくなったけど、以前は扉のついていない丸見えのトイレが当たり前だった。トイレに入れば丸見えのまましゃがんでいる男たちがずらりとならんでいて、彼らは丸見えなのを気にしないどころか、ぶりぶりっときばりながら元気に会話している。日本人の場合、きばっている姿を見られるのは死ぬほど恥ずかしいものだし、見るほうも気恥ずかしくなってしまうけど、中国人は違う。そんな姿を見ても見られても、平然としている。おまけに世間話までしてしまう。どちらがいいか悪いかというのではなく、たんなる習慣の違いだけど。
初めのうちは開放式のトイレに抵抗を感じたものだったけど、必要に迫られて使っているうちに慣れてしまった。中国人は気にしないのだから、こちらも気にする必要がないんだと気づいてから丸見えの状態でも楽にきばれるようになった。
ただ、そんな状態で会話するのは、まだまだ抵抗があるんだよなあ。