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伴奏を聴いて歌いなさいっ!


 勤め先の新年会の出し物で、日本のポップスを練習している。

 僕がギターを弾いて、中国人の女の子のアシスタントが歌うことになっているのだけど、それでえらく苦労している。歌を唄うアシスタントはいつぞやこの連載で書いたアニメちゃんとはまた別の子だ。仕事が増えるばかりなのでアニメちゃんに紹介してもらい、急いで採用した。この子も新卒だけど日本語レベルは高い。いつも可愛いポーズをとって写真に写りたがるので、仮にぶりっ子ということにしておこう。どうも、中国にいると濃いキャラクターに囲まれる。この国は、普通の人を探すほうがむずかしいのかもしれない。

 仕事が終わってからふたりで練習してみた。

 なんともトホホな感じだ。

 ぶりっ子はギターの音をまるで聞いていない。おまけに「自分独特のリズム」で歌う。一拍おいて歌いだすべきところを二拍おいて歌いだすし、三拍待たなければならないところを一拍半ですませたりする。要するにリズムがまったく取れていない。僕はギターを弾くのをやめた。

「学校で音譜を習わなかった? 四分音符とか、八分音符とか?」

 僕は訊いた。

「習ってないです。音符は見たことがありますけど、どういう意味だかわかりません」

 ぶりっ子は、しなを作ってきゃははと笑って誤魔化そうとしながら答える。

「やっぱり」

 ギターを持って中国放浪の旅していた頃、あちらこちらでギターを弾きながら中国人たちといっしょに歌ったのだけど、彼女のようにリズムをとれない人がほとんどだった。やはり、学校で音譜を習っていないという。

「あの、わたしに合わせて伴奏していただけないでしょうか」

 ぶりっ子はあっけらかんと言う。伴奏というものは自分に合わせてくれるものだと考えているようだ。

「違うの。歌を歌う人は伴奏に合わせて歌うものなの。ちゃんとギターの音を聴いて、リズムを取って、どこでどう歌い出せばいいのかを考えなくっちゃ」

「でも、ギターの音を聴いてもわかりません。わたしがゆっくり歌ってしまうところは、野鶴さんが一回多く弾いたりして調整できないでしょうか」

 ギターの伴奏をよく聴きなさいといっても、その意味をまるで理解していない。こういうことは、中国にいれば日常茶飯事なのだけど。

「だめ。そんなことしたらリズムが狂うから、でたらめに歌っているようにしか聴こえないよ。聴いている人は気持ち悪く感じるだろうね」

 僕が強く言うと、ぶりっ子はしゅんとする。ようやく、伴奏の音を聴くことの大切さを感じとってくれたようだ。

 しかたないのでギターを置き、まずリズムを取る練習から始めた。

 課題曲を流しながら、手を叩いてリズムを取らせる。

 それから、課題曲に合わせて拍子を取りながら歌わせた。

 それを三四回繰り返し、ほんのすこしだけ、リズムを取れるようになった。

 僕はまたギターを手にした。

「ギターの音をよく聴いて、自分で拍子をとりながら歌ってごらん」

 僕はギターを弾き始めた。

 やっぱりだめだ。

 課題曲を聴きながらだとまだリズムが取れていたのだけど、ギター伴奏だけになると元へ戻ってしまった。ギターの音をまるで聴かず、自分だけで拍子を取って歌おうとする。そのリズムも早くなったり、遅くなったりする。こちらは手元が狂う。

「だめだめ。ちゃんとギターの音を聴いて」

 いままでリズムを取ったことのない人にいきなりリズムを取れといってもむりなのはわかっているから、根気よく教えるしかない。リズムを取らなければいけないという意識を持っただけでも進歩だ。

「だめ。やり直し。ちゃんと注意して」

 反復練習するしかないので、間違えたところでギターをとめ、繰り返し歌わせた。

「もうこの歌はやめにして、野鶴さんが弾き語りすることにしませんか? わたしは自信がありません」

 何度もダメだしされて、ぶりっ子は半分涙目になっている。

「君がこの歌を歌いたいって言ったんだろう。あきらめずにちゃんとやろうよ。僕は忙しいのに家でギターの練習をして準備してきたんだぜ」

 ちょっと厳しく言ってそのまま練習を続けた。ここで僕が折れたら、ぶりっ子は仕事も途中で投げ出すようになってしまう。

 まだところどころリズムが狂し、僕がギターの伴奏をとちっても、彼女は気づかずにそのまま歌っている。やっぱり、ギターの音を聴きながらリズムを取って歌うまでにはならないようだけど、ようやくある程度の形になった。練習を始めたばかりの頃はどうなるものかと思ったけど。

 実をいえば、僕は音痴なのでリズムを取れるようになったのは、学生時代にギターを弾き始めてからだ。だけど、たいていの日本人は簡単なリズムならちゃんと取れる。そう考えてみると日本の教育ってすごいんだなあと思う。国中のほとんどの人がリズムを取れるように教えこむのだから。きちんとした腕を持った教師と真面目な生徒がいて、それなりのカリキュラムと設備がなければできないことだ。日本は中国にどんどんを追い上げられているとはいえ、総合的な基礎学力という意味では、日本人の平均水準は中国人に負けていない。中国で暮らしてみれば、日本では当たり前だと思っていたことが、じつはすごいことなんだと気づかせられることがよくある。

 それから、今回、伴奏してあらためて感じたのは、中国人は誰かと協同作業するのがやはり苦手なんだなということ。自分が相手に合わせてチームワークを取らなくてはいけないという意識が希薄だ。だから、音譜も知らないのに、伴奏が自分の歌に合わせてくれと平気で言ったりする。集団行動やチームワークについて、親の躾を受けたり、学校で教育を受けたりする機会がほとんどといっていいほどないから、自分を中心に世界が回っていると思い込んでいる。学校を卒業した人間にチームワークをとれといっても、もう手遅れなのだけど、手を変え品を変え、根気よくその大切さを説くしかないのだろう。中国は生存競争の厳しい社会だから、中国人は自分ひとりでも生きていけるようになりなさいと親から教育を受ける。日本人の考え方は逆だ。集団にうまく溶け込めるようになりなさいと教育を受ける。中国人は当然、自国の社会に適応するように育っているわけだから、彼らの考え方を変えるのはむずかしいし、彼らにとって日本人の考え方は受け容れがたいことだとわかっている。一人でがんばりなさいと言って一人でできる仕事を与えれば、かなり張り切って非常によくやってくれるのだけど。悩ましいところだ。

 ともあれ、あとは本番でぶりっ子がちゃんと歌ってくれるのを祈るばかり。

 たぶん大丈夫だろうとは思うのだけど、緊張のあまり彼女が立ち往生して歌えなくなったらどうしようと、やはり心配になってしまう。最悪の事態も考えて、そうなればとっさにマイクを奪って宴会の場を繕えるよう、僕はこっそり別の弾き語りの歌を練習している。



【追記】

おかげさまをもちまして、ぶりっ子は無事歌い終えることができました。

応援してくださったかた、ありがとうございます。

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