どくとるマンボウ讃 ――追悼 北杜夫先生
北杜夫先生の作品を初めて読んだのは中学三年生の時だった。
部活を引退してひまになり、ふらりと寄った書店の「新潮文庫・夏の百冊」コーナーに置いてあった『どくとるマンボウ航海記』を手にとった。昭和三十三年から三十四年にかけて、水産庁のマグロ調査船に船医として乗り組み日本からヨーロッパまで航海した時の紀行文だ。
独特のユーモアがおもしろかった。すっとぼけた感じだけど、上品で朗らかなユーモアだ。それから、いわゆる「どくとるマンボウ」もののエッセイを片っ端から読んだ。なかでも、旧制高校のバンカラな学生生活を描いた『どくとるマンボウ青春記』が面白かった。戦後の食糧難の時代で大変だったみたいだけど、あんなハチャメチャな学生時代を送ることができたらさぞ楽しいだろうなと思う。
『マンボウ周遊券』には作家の阿川弘之先生といっしょにマダガスカル島へ行った時のことが書いてあって、のんびり屋でおっとりしている北先生とせっかちで海軍仕込みのきびきびしたところのある阿川先生のやりとりが面白い。阿川先生もこの時のことを紀行文にしているので、あわせて読めばどくとるマンボウ先生の姿が浮き彫りになって、二度楽しめる。
ユーモラスなエッセイが人気の北先生だけど、彼の本質は詩人だと思う。
個人的には初期の抒情的な短編が好きだ。
『河口にて』というアントワープを舞台にした幻想的な短編が好きで繰り返し読んだものだった。『幽霊』はあまりの詩情に読んでいて眩暈がした。大袈裟ではなく、ほんとうに頭がくらくらした。大阪環状線の電車のなかで読んでいたのだけど、あわてて駅で降りて深呼吸したのを覚えている。ただし、たんに叙情的なだけではない。詩情に流されるだけの書き手ではない。彼は精神科医でもあるので冷徹なまなざしを持っている。『岩尾根にて』、『羽蟻のいる丘』、芥川賞受賞作になった『夜と霧の隅で』には、冷酷なほどの描写が盛り込まれている。叙情性と冷徹さのバランスが北先生の純文学作品の持ち味なんだろうなと思う。
個人的な趣味はさておき、代表作はやはり『楡家の人びと』だろう。ロマン(長編小説)としての完成度が高い。代々精神科医だった北先生の実家・斉藤家(実父は精神科医であり歌人だった斉藤茂吉)をモチーフにした大河小説だ。構成は完璧だし、各登場人物が活きいきと描かれている。なによりユーモアが効いている。もっと評価されてもいい作品だと思うのだけど。
カラコルム登山隊のドクターとして参加した経験をもとに書いた『白きたおやかな峰』のラストは圧巻だった。作品の最後の三分の一くらいからぐいぐいと読者を引っ張る筆力は凄い。北先生はストーリーテラーでもあった。
旧制松本高校時代からの盟友である辻邦生先生との対談『若き日と文学と』を読むと、北先生の一途な文学青年振りがうかがえる。書き手としては二人はまったくタイプが違うけど、北先生は辻先生からかなり影響を受けたのではないかと感じた。北先生にとって、辻先生は頼りになる先輩だったのだろう。
純文学、ユーモア小説、エッセイ、童話と幅広く手がけていながら、どれをとっても「北杜夫」印の作風だった。天才作家だと思う。
北杜夫先生に関するツイートを検索したら、いろんな人が彼に関するツイートを流してた。愛された作家だったんだなあと思うと嬉しくなった。
ご冥福をお祈り申し上げます。