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社会主義と独裁主義は別物

 

 中国のことを「社会主義だから独裁主義なのだ」という人がよくいるが、本来、社会主義と独裁主義はまったくの別物だ。「社会主義=独裁主義」という流布された通説は冷戦時代に意図的に作られた誤解だ。

 ひと口に社会主義といっても何種類もあるが、ここでは単純にマルクス主義のことにしておこう。ちなみに、カール・マルクスと彼の盟友だったエンゲルスが提唱した共産主義は数ある社会主義のうちの一種類にすぎない。マルクスは、自分たちの社会主義はひと味もふた味も違うのだと主張し、自分たちの思想を共産主義と名付けた。

 マルクスの予言(とあえて書く)によれば、社会主義革命はイギリスのような資本主義の先進国で起きるはずのものだった。資本主義の矛盾が極まり、どうにもならないほどに行き詰って革命が発生し、社会主義へ移行するというわけだ。

 しかし、実際に革命が起きたのは、イギリスのような資本主義の最先端を行く国ではなく、ロシアや中国といった資本主義の後進国だった。もちろん、後進国というのは「資本主義」という尺度で見ればということであって、別の尺度をとれば、違った見方ができる。ロシア人も中国人も僕は好きだ。

 さて、ロシアと中国は資本主義的な発展の遅れた国だったという以外にも、別の共通点がある。それは、強い権力を好むという国民性だ。ロシアはかつてモンゴル人に国土を蹂躙されたこと――タタールのくびき――が民族的なトラウマとなり、自分たちの身を守るためには強力な権力が必要だと信じるようになった。

 中国は広大な領土と膨大な人民をまとめるために強力な権力を必要とし、世界でも例を見ないほどの巧妙な専制機構を作りあげてきた。中国の歴史は専制強化の歴史といってもいい。なにしろ、大学のなかに公安の派出所があるのだからびっくりしてしまう。もちろん、この公安は酔っ払った学生や喧嘩した学生を取り押さえるためのものではなく、反政府的な動きがあればすぐに取り締まるためのものだ。これでは自由な学問や思想など、生まれるはずもない。

 ところで、マルクスはドイツ人だ。ドイツも後発の資本主義国だが、民主主義の土壌がある国だ。というのは、民主主義は西欧のキリスト教から生まれた思想であり、平たく言えば、神の前では皆平等という考え方が強くなければ成立しないものだからだ。おそらく、マルクスは社会主義というものは民主的なものでしかありえないと思っていた節がある。よく言えば楽天的と言えるし、悪く言えば、独裁国家で社会主義政権が誕生した際にどのような事態が発生することになるのか、その見極めが甘かったと言える。

 独裁主義国で誕生した社会主義国家は、民主主義にはなりようがなかった。

 ロシアも中国も彼らの流儀で政権を運営することになり、社会主義という理想は、革命家たちが権力闘争を重ねるうちに独裁主義によって換骨奪胎されてしまった。つまり、権力維持のために、あるいは権力闘争のために社会主義が利用されるようになったのである。ソ連ではスターリンが、中国では毛沢東が政敵を抹殺するために大粛清を行なった。その犠牲者は数百万人とも数千万人ともいわれている。豊かで平等な社会を創造するはずが本末転倒なことになってしまった。たとえどんな素晴らしい理想であっても、人間の物欲や権力欲という手垢のついた時点で堕落してしまうものなのだけど。

 冷戦時代、ソ連や中国は言うまでもなくアメリカや日本といった西側諸国の敵だった。

 社会主義という思想は、アメリカの自由競争原理主義とは正反対のものであり、わかりやすく言えば、アメリカンドリームとは相容れないものだ。日本にとっては、社会主義は天皇制の廃止につながり、国体(国の基礎的な政治体制)を脅かすものだ。アメリカの為政者にとっても、日本の為政者にとっても、社会主義は自国の原理を脅かす危険な思想だったため、そこで社会主義=独裁主義というレッテルを貼り、悪のイメージを植えつけようとした。ソ連や中国はたしかに独裁体制の国だったので、こうしたプロパガンダはわかりやすく効果があり、誤った通説が広まった。

 こんなことを書いている僕も、昔はこの通説を信じていた。だが、中国へきて中国人と混じって暮らしているうちに、この国はもともと独裁体制しかあり得ない国で、独裁主義と社会主義は別物なのだということが骨身にしみてわかるようになった。また、コーポラティズム(※)または新自由主義という名の極度に歪んだ資本主義の時代に暮していると、昔は過去の遺物にすぎないと思っていたマルクスを見直すようになった。マルクスの分析には、なるほどとうなずかされるものが多い。

 通説、俗説、過去の観念といったものにまどわされずに、真実の在りかを見極めたいものだと思う。


※コーポラティズムについては本連載の第105話『コーポラティズムについて』(2011年5月19日発表)をご参照ください。

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