表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冒険者の街で、今日もパンを焼いています 〜小さな魔獣との静かな暮らし〜  作者: 白波 いつき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/43

夕方のベーカリーと、小さなお客さま

 夕方。


 閉店の札を下げて、片付けを始めたところだった。

 木陰のベーカリーの裏口が、いつもより少し慌ただしく叩かれる。


「リラ、いるかい?」


 扉の向こうから聞こえたのは、隣の食堂の女将――トヨの声だった。


「はい。いますよ。どうしました?」


 扉を開けると、トヨは少し息を切らして立っていた。

 その足元に、小さな影がある。


「ごめんね。急で」


 そう言って、トヨは後ろにいた子どもを、そっと前に出した。


「孫のマイロなんだけど、今日は少し預かってもらえないかしら。無理を言って本当に悪いんだけど!」


 マイロは、四歳。

 トヨの娘夫婦のところに、二人目の子が生まれる予定だったのだが、どうやら予定より少し早く陣痛が始まったらしい。


 そんな日に限って、トヨの食堂は団体の飲み会でほぼ満席。

 どうにも手が回らず、慌ててこちらに来たようだ。


「前から言い聞かせてはいたのよ。

 赤ちゃんが来るときは、ばあちゃんのところか、親戚の家に行くからって」


 トヨはそう言って、少しだけ肩を落とした。


「いい子にしてな、って」


 マイロは何も言わず、ぎゅっと絵本を抱きしめて立っていた。

 泣いてはいない。

 騒ぎもしない。


 ただ、じっとこちらを見ている。


「……大丈夫ですよ」


 そう答えると、トヨはほっと息をついた。


「助かるわ。本当に。三時間くらいで戻るから」


「ゆっくりでいいです。こっちはもう片付けだけなので」


「あとで何か持ってくるから!」


「いえいえ、本当に大丈夫ですって」


 トヨは何度も礼を言って、足早に戻っていった。


 裏口が閉まる。

 店の中に、少しだけ違う空気が流れた。


 マイロは絵本を抱えたまま、片付け中の私をじっと見ている。


「ここ、座ってていいよ。ごめんね。片付けだけ終わらせちゃうから、ちょっと待っててくれるかな?」


 椅子を指すと、こくりとうなずいて腰を下ろした。

 絵本は、まだ手放さない。


「お水、飲む?」


「……のむ」


 小さな声だった。


 コップを渡すと、両手でしっかり持って飲む。

 その様子が妙に真剣で、少しだけ口元がゆるんだ。


 片付けを再開する。

 食器を重ね、作業台を拭いていると、


「きゅ」


 棚の上から、小さな気配が降りてきた。

 オモチだ。


 床に降りると、マイロのほうを見て、少し首をかしげる。


 マイロの目が、ゆっくりと大きくなった。


「……この子、なに?」


 小さな声。


「オモチ。私のお友達。オモチ、マイロくんだよ」


 オモチは、くるりと一回転してから、粘糸を細く伸ばした。

 形が変わる。


 猫。

 次に、犬。

 それから、耳の長いうさぎ。


 床の上に、粘糸でできた小さな動物が並んだ。


 マイロの目が、一気にきらきらと輝きだす。


「……すごい」


「きゅっ」


 得意げだ。

 ちょっと調子に乗ってる顔をしている。


「さわれる?」


「さわれるよ。やさしくね」


 マイロはそっとしゃがみこみ、指先で粘糸の猫をつついた。

 思っていたより弾力があったのか、ぱっと顔を上げる。


「ぷにってした!」


「そうだね。ぷにってするね」


「きゅう」


 オモチまで誇らしげにうなずいている。

 君が作ったからね。


 そこからは、あっという間だった。


「これなに?」


「いぬ」


「これは?」


「うさぎ」


「これは?」


「……たぶん、くま」


 たぶん、である。

 でもマイロは納得したらしく、大きくうなずいた。


「くまだ!」


 よかったね、くま認定されたよ。


 オモチは気をよくしたのか、今度は粘糸を細く編んで輪っかを作った。

 それを、ころころと転がす。


 マイロが追いかける。

 オモチが転がす。

 また追いかける。


 笑い声が少しずつ大きくなっていく。


 その隙に厨房の片付けを済ませ、店舗側に戻ると、


「……ぎゃー!」


 思わず声が出た。


 少し目を離した隙に、粘糸は床、椅子の脚、棚の端まで広がっていた。

 輪っかだけでは飽きたらず、途中から大作に取りかかったらしい。


「……オモチ?」


「きゅ?」


 視界いっぱいの粘糸。

 オモチはやってしまったと思ったのか、両手を顎の下に添えて渾身の可愛いポーズ。


 そんなことで許される……と、


 うん。……許す。


 でも片付けはしようね。


 マイロはというと、


「わぁ!」


 大興奮だった。

 身体中に粘糸がくっついてもお構いなしではしゃいでいる。


「みて! みて! くっついた!」


「見てる見てる。すごいね」


「きゅっきゅ!」


 オモチも、そうだろうそうだろうと言いたげである。

 共同作業感を出しているけれど、だいたい君のせいだよ。


 私はとりあえず糸巻きを持ち出して、粘糸を一本ずつ回収していった。


「マイロくん、これ持てる?」


「もてる!」


 やる気いっぱいの返事。


 オモチは少し不満そうだったが、途中からマイロも手伝ってくれた。

 それはもう、楽しそうに。


「これ、ぼくの!」


「うん。それ巻いてくれる?」


「できた!」


「早いね」


「ぼく、すごい?」


「すごいすごい」


 褒めるたびに、マイロの背筋がちょっとずつ伸びる。

 分かりやすい。


 オモチも負けじと、器用に粘糸の端をまとめ始めた。


「きゅ!」


「うん。オモチもえらい」


「きゅうー」


 そっちはそっちで満足そうだった。


 片付けが一段落した頃、私は椅子に腰を下ろして深く息を吐いた。


 マイロは、今度はオモチのそばに座っている。


「ねえ」


「なに?」


「この子、なに?」


「魔獣。ヴェロスっていう種類だよ」


「すきなたべものは?」


「甘いものと、フルーツとナッツかな。酸っぱいのと辛いのは苦手」


「とくいなことは?」


「早く動くこと。あと、糸を出すこと」


「にがてなことは?」


「……じっとしてること」


 マイロは、ふむふむと真剣に聞いていた。

 横でオモチがうんうんと頷いている。


「マイロは、なにが好き?」


「りんご」


 即答だった。


「じゃあ」


 私は立ち上がる。


「ちょっと、おやつ作ろうか」


 今日の日替わりで使ったパイ生地が残っている。

 パンに使おうかと思って、フィリングにしたりんごもある。


「やる!」


 さっきまでの静かさが嘘みたいな返事だった。


 マイロと一緒に、りんごを生地にのせる。

 少し多い。

 でも本人は真剣だ。


「のせすぎるとはみ出すよ」


「いっぱいがいい!」


「だよね」


 分かる。


 フォークで端を押さえると、きれいに筋がついた。

 マイロはそれが面白いらしく、何度もやりたがる。


「ぼくの、きれい?」


「うん。上手」


「オモチのは?」


「きゅっ」


 いつの間にか、オモチまで参加していた。

 粘糸で生地の端を押そうとしている。


「それはダメ」


「きゅう」


 しょんぼりしているけど、ダメなものはダメです。


 出来上がったものを、そっとオーブンへ入れていく。

 りんごを欲張ったせいで、形は少し歪だけど、それも悪くない。


「アイスも作れるよ」


「……あいす?」


 目が、さらに輝いた。


「つくる!」


 鍋で牛乳と生クリームを温め、卵黄と砂糖を混ぜる。

 オモチは作業台の端で見張り役だ。


「きゅ」


「味見係じゃなくて?」


「きゅう」


 たぶん図星だ。


 冷ました液体を、保冷機能付きの球状ボールに入れる。

 二つを合わせ、外側にオモチの粘糸を巻いた。


「で、これを、ぶんぶん回す」


「ぼくも?」


「そう。一緒に。できるかな?」


「できる!」


 二人と一匹で、ぶんぶん駒みたいに回す。


「もっと! もっと!」


「待って待って、こぼれる!」


「きゅきゅきゅ!」


 音と笑い声が、店内に響いた。

 こんなに賑やかな閉店後は、たぶん初めてだ。


 汗をかいた頃、開けてみると――

 中には、ちゃんと固まったアイスがあった。


「できた!」


「できたね」


「きゅー!」


 ちょうど、アップルパイも焼き上がる。

 皿に盛り、アイスを添える。


 マイロは目を輝かせたまま、慎重にフォークにパイとアイスを乗せ、一口。


「……おいしい」


 それだけで、十分だった。


 次の一口は大きい。

 その次はもっと大きい。


「おいしい!」


「よかった」


 ふと見ると、オモチも同じ顔で頬張っていた。

 口の周りがべたべただ。


 マイロが指を差す。


「おなじ!」


「きゅ?」


「ほんとだ」


 二人は顔を見合わせて、声を上げて笑った。


 その後は絵本。


 さっきまであんなに元気だったのに、甘いものを食べて安心したのか、マイロの声は少しずつ小さくなる。

 オモチは途中で丸くなり、マイロの膝で眠ってしまった。


 マイロは壊れないように、そっと撫でている。


「ねた」


「寝たね」


 しばらくして、裏口が開く。


「お待たせ」


 トヨだった。


 マイロは立ち上がった。

 その目が、少し潤んでいる。


 楽しかったぶん、名残惜しいのかもしれない。

 それとも、胸のどこかに小さな不安が残っていたのかもしれない。


「ありがとうね、リラ。本当に助かったよ!」


「あのね、あのね……また、あそびたい」


 マイロはそう言って、眠っているオモチをそっと抱きしめた。


「オモチと、ぶんぶんする」


「ぶんぶん?」


「アイスのやつ!」


「へぇ、いいものを食べさせてもらったね」


 トヨが笑う。

 私もつられて笑った。


「また来てもいいよ」


 そう言うと、マイロはぱっと顔を明るくした。


「ほんと?」


「うん。本当に」


「やった!」


 帰り際、オモチは寝ぼけたまま一度だけ鳴いた。


「きゅ……」


 それが見送りになったらしい。

 マイロは満足そうに手を振って帰っていった。


 夜。


 あとで聞いたら、二人目は無事に生まれたらしい。


 お風呂から上がり、寝床に向かうオモチに声をかける。


「マイロ、また来たいってさ」


 伝えると、やれやれと言いたげに一度だけ鳴き、ころんと寝床に転がった。


 その日以降、オモチは毎晩、粘糸で小さなクマを作る練習をしていた。


 どうやら、次はもっと上手に見せたいらしい。


 この日の木陰のベーカリーの夜は、

 いつもより、少しだけ賑やかだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ