苦い香りと、職人の昼下がり
昼の山を越えたあとの店内は、音が少ない。
カウンターを拭き終えたころ、外から差し込む光も、少しだけ傾いていた。
焼き上げたパンの香りが薄れ、代わりに静けさが店に残る。
この時間帯が、リラは嫌いじゃない。
扉の鈴が鳴った。
「よぉ」
顔を出したのは、グリムだった。
赤茶の髪を短く刈り込み、太く編み込んだひげを揺らしている。
ずんぐりとした体格に、琥珀色の目。
無骨なドワーフの魔道具師だ。
「いらっしゃい。今日は早いですね」
「様子見だ。あれ、ちゃんと動いてるか気になってな」
そう言いながら、視線は自然とカウンターの奥へ向かう。
魔道具式のコーヒーメーカーは、いつも通り静かに魔力を循環させていた。
熱の揺れも、音の乱れもない。
「問題ないか?」
「今のところは。特に気になるところはありません」
「そりゃよかった」
短くうなずいて、グリムは席に腰を下ろした。
「コーヒー、飲みますか?」
「頼む」
機械のスイッチを押す。
豆が挽かれ、やがて細く湯が落ちる。
この街ではまだ珍しい香りが、ゆっくりと店内を満たしていった。
「……いい匂いだ」
「最初は、なんだこの匂いって、よく言われましたけどね」
「茶に慣れてる連中には、そりゃそうだ」
カップを差し出すと、グリムは受け取り、ひと口飲んだ。
「相変わらず、苦ぇな」
そう言いながら、表情はどこか楽しそうだった。
「だが、頭が冴える。なにより、この深みがいい」
「ですよね。私も朝は基本、コーヒーです」
そう言って、サービスのチーズを小皿にのせて机に置く。
「贅沢なこって。でも、いいなそれ」
俺用のも作るか。
そんな独り言をこぼしながら、グリムはカップを回し、もう一度香りを確かめてから口に運んだ。
「最初に話を持ってきたときはな。正直、どうなるかと思った」
少しだけ、昔を思い出すような目になる。
「温度は安定させろ、湯はもっと細く落とせ、量はぶれるな。
無茶ばっかり言いやがって」
そう言いながら、笑う。
「まあ、作り始めると面白かったんだけどな」
試作一号は、焦げた。
二号は、薄かった。
三号で、ようやく飲めるものになった。
あの頃は、グリムの工房に何度も通った。
豆の挽き方を変えてみたり、抽出の速さを試したり。
エリンまで巻き込んで、ずいぶん大がかりになったのを思い出す。
「その節は、本当にお世話になりました」
「気づいたら、酒の次にブラックコーヒーが好きになってたわ」
がはは、と笑う声が、静かな店内に響く。
コーヒーメーカーは、次の一杯を用意するように、変わらず動き続けている。
「作って、正解だったな」
「そう言われると、何だかこっちまで嬉しくなっちゃいます。ありがとうございます」
「礼を言うのは、こっちだ」
グリムはカップを置いて立ち上がる。
「壊れたらすぐ呼べ。調子いいときほど、油断すると壊れる」
「はい」
扉の前で、グリムは振り返った。
「さて、帰って自分の分のコーヒーメーカーでも作るかね」
それが冗談じゃないから、この人はすごい。
思わず、苦笑が漏れる。
鈴が鳴り、扉が閉まった。
店内に、また静けさが戻る。
棚の上から、オモチが顔を出した。
「きゅ」
「これは、私のだからだめだよ」
慌てて自分用に落としたコーヒーを引き寄せると、オモチは興味なさそうに丸くなった。
カップを片付けながら、ふと思う。
この苦さを、好きだと言う人が増えた。
それが、何だか嬉しい。
木陰のベーカリーの午後は、
今日も静かに、次の時間へ進んでいく。




